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「サバイバル高校生活」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ふじもと(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
10年経った今でも思い出すと胸が苦しくなる。
 
私は高校から吹奏楽を始めた。
県内では吹奏楽が強くて有名な学校だったらしいが、そんなことは全く知らなかった。
強い勧誘でうっかり入部した所は、吹奏楽部のために入学したような経験者の集まりだった。
 
その後3年間「大大大後悔」することとなる。
 
私は「クラリネット」を担当することになった。黒い縦型の形で、見た目はリコーダーとよく間違われる。木管楽器と呼ばれ、柔らかくて丸い優しい音色を奏でる花形楽器だ。
基礎を覚え曲も吹けるようになった頃、早くもクラリネットを選んだことを後悔し始めた。
 
実はクラリネットというのは「連符」と呼ばれる指を早く回す演奏がある。
高音楽器と呼ばれるものには「連符」がどうしてもついてまわる。これがどうも苦手だった。
 
なぜクラリネットにしてしまったのだろうか。
 
そうは言っても、クラリネットにしか出せない優しい音色は好きだった。先輩や同級生の演奏を聴くと、私もあんな風に演奏がしたい。いつからか大会に出ることが夢になった。
しかし誰でも大会に出られるわけではなかった。出場人数には制限があり、部員数が多かった為「校内オーディション」での選考があった。
出された課題を一人ずつ演奏し、採点の結果上位の人が選ばれる。実力主義で過酷なものだった。
 
私は最後まで、クラリネットでオーディションに受かることはなかった。
 
すぐに後輩に追い抜かされ、一緒に入った初心者の同級生も受かり、仲間の演奏を客席で見る。これが本当に悔しくて苦しくて、入部したことを大後悔した。周りから可哀想だと思われているのかな、なんて思うと更に辛くて仕方がなかった。
 
それでも続けたのは、楽器も仲間も大好きだったから。
最後まで大会へ出ることを諦めたくなくて、自主練習の時間を増やした。練習さえすれば出来ると信じて誰よりも朝早く来て、部活後も時間が許す限り残り、休日も練習した。
 
毎日、毎日、頑張って 頑張って 頑張った。
 
しかし、結果を出すことは出来なかった。
 
元々の周りのレベルが高すぎることもあり、どんどん自己嫌悪になっていった。
それは私だけではなかったようで、時には泣きながらお互いを励まし合い、本音で苦しい胸のうちを語り合った。それでも脱落していく人も多く、引き止めたいけど気持ちが痛いほどわかるから止められなかった。
人が辞めていく度に心が折れそうで、更に上手な人たちしかいない状況で私なんかがここに居てもいいのか、何度も消えたいと思った。
 
3年生になり、最後の大会へのオーディションが迫ってきた。
そんな大事な時期に、同じクラリネットパートの低音楽器を担当していた後輩が部活を辞めることになった。クラリネットよりも、もっと音が低いバスクラリネットという楽器なのだが、すぐにでも誰かがやらなければいけない状況だった。
この楽器は演奏者が元々少なく競争率が低いので、オーディションに受かりやすい。
 
「私がやります」と、言ってしまおうか悩んだ。
 
本当はクラリネットで大会に出たい。けれど、それは不可能なことだとわかっていた。私以外みな圧倒的に上手で、大会に出るにはバスクラリネットに転向するしか方法はなかった。
「周りにどう思われるか」そんなプライドよりも、入部当初からの夢だった「みんなと大会に出ること」を私は選んだ。
 
楽器を変え臨んだオーディションは、初めての「合格」。嬉しくて仕方がなかった。花形では無いが、縁の下の力持ちである低音楽器。単調なメロディーが多くなったが、今までの倍練習を重ねた。最後にやっと皆と同じステージに立てる、その一心で。
肝心の大会は、中国大会で金賞だった。全国大会出場こそ逃したものの、歴代の中で一番良い成績を収めることが出来、当時では快挙だった。
演奏者として参加出来たこと、仲間と一緒に喜びあえたことは一生の思い出だ。
 
大会が終わればすぐに引退の時期だ。最後の部活動の日、お別れの会があった。
先生から引退する生徒へ最後の言葉がかけられる。副顧問の先生が投げた言葉が、今でも忘れられない。
 
「楽器を変えて、楽な方に逃げて恥ずかしくないのか」
 
お前にプライドはないのか、と言いたかったのだろう。
今までの努力も結果も認めてくれないのかと悲しかったが、どうでもいいとも思った。
人にどう思われるかではなく「自分がどうなりたいか」が大事だったから、逃げたと言われてもいい。
 
高校3年間の部活生活は、サバイバルのようだと思う。
当時の私にとって「生き残る」ということは「大会出場」だった。
努力だけでは出来ないこともある。様々な方法を探し、実践することが大事であって、生き抜くために必要なのはプライドではない。楽器の転向は手段を変えただけで、逃げではないのだ。
 
それより最後まで生き残って、戦う術を身につけた高校生の自分を誇らしく思う。
 
10年前の大後悔が、社会を生きる術になっているのだから。
 
 
 
 
***
 
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2019-05-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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