週刊READING LIFE Vol,93

運命(さだめ)はダイスに聞いてくれ。―私がクトゥルフ神話TRPGを始めた訳―《週刊READING LIFE Vol,93 ドラマチック!》


記事:佐和田 彩子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
タコの化け物、だろうか?
緑だけで描かれたそれは、あまりの異形さに、背筋がブルリ、と震える。
うねる触手を携えた顔、なのだろうか?
三対の目が、こちらをじっと見据えている。
これは、絵だ。こんな生物、この世に、いる訳ない。
そう、頭の中では分かっている。分かっている、はずなのだが。
怖い、この絵が、怖い。
私は、率直に、そう、思ってしまった。
描かれているのは、クトゥルフ。
一三〇年前に生まれたSFホラー小説作家が、この世に産み出した邪神の姿だ。

 

 

 

コロナウイルスの影響で、私のプライベートは一変した。
行きつけの喫茶店は軒並み一時閉店。スタバすら自動ドアが硬く閉ざされている。
映画館、デパート、博物館。アミューズメントと称される建物に入れないことに、私は精神的に参ってしまった。
遊びに行けないのなら貯金に回せばいい。そう家族からは言われたが、それとこれとは話が違う。どうしようもない。みんな一緒。そう言って仕舞えばおしまいだが、ストレスはそう簡単に抑えることはできない。
さて、どうしたものか。
ふと、友人の一人が動画を教えてくれていた。
なんでも、クトゥルフとかいうゲームを遊んでいるもので、すごく面白いのだという。
私は、なんの気なしに、その動画を再生した。

 

 

 

その数ヶ月後に、なぜ、私は、ここに来たのだろうか?
有楽町マルイの八階。イベントスペースの一角に、それは、あった。
『混沌のクトゥルフ展』
ポスターには人々が折り重なってできた山の向こうに、禍々しい邪神が描かれている。かわいいものが好きな私にはちょっと、いや、だいぶ、見るのが辛い方に分類される絵だ。でも、細部まで細かく描かれたそれは、おぞましいはずなのに、なぜか目を背けることができない。そんな、得体の知れないパワーを感じる絵。

 

 

 

クトゥルフ、とは、正式名称は『クトゥルフ神話』という、ゲームだ。
ハワード・フィリップ・ラヴクラフトというアメリカの小説家が発表したSFホラー小説が軸になっていて、日本にもファンは多い。このゲームの要素を取り入れたゲームや小説、アニメなどは数多く、有名なところでは映画の『死霊のはらわた』や『キャビン』、ライトノベルに至っては『這い寄れニャル子さん』というド直球な作品まである。
このゲームはTRPGというゲームスタイルを取っているのが特徴だ。
数人で行うのがネックだが、ルールブックと紙とペン、そしてサイコロさえ用意すれば問題なく行うことができる。TVゲームが出る前はこのような形態でゲームを楽しんでいたのだろう。私が数ヶ月前に観た動画は、そのリプレイ動画になる。
リプレイ動画とは、ゲームを楽しんだ後、そこで起こった事実を動画にしたものだ。ゲームの最中に行われたプレイヤー同士の駆け引きを存分に楽しむことができるものになっている。ノベルゲームのように立ち絵と文字で紡がれる動画は、まるでアニメや映画のようだ。楽しんでいるプレイヤーが、邪神やモンスターに襲われ、必死に対抗する情景が画面に繰り広げられていく。拳銃を撃つ者、殴って活路を見出す者、あまりの恐怖に正気を失いって朽ち果てる者。それぞれのプレイヤーが、紡ぎ出す物語は、全てサイコロの目で決められる。例え、どんな窮地でも、サイコロの目が微笑んでくれないと成功できない。そんな絶体絶命な場面でも、みんな楽しそうに遊んでいるのだ。本当に、本当に、楽しそうだ。
プレイヤーになって、あの世界を楽しみたい。
切に、そう、思ってしまった。
恥ずかしながら、私はあまり反射神経がよろしくない。適切なタイミングでボタンを押して指示を出すTVゲームはどうにもこうにも相性が悪いのだ。でも、これなら、私にもできるかも知れない。動画を観てすぐに、教えてくれた友人にやってみたい、と強請った。
友人は二つ返事で快諾してくれた。どうやら、私にその動画を見せたのは、一緒に遊んでくれる仲間を作りたかった為らしい。
いきなりゲームに誘うより、分かりやすかったろ?
電話の向こうで笑いながら言われてしまい、どう殴ろうか? と一瞬考えてしまったのは許してほしい、と思う。

 

 

 

友人の手を借りながら数回、ゲームを行ったが、楽しい反面、かなり頭と体力を使うことが分かった。そして、様々な発見が待っていた。
私は、『クトゥルフ神話』というゲームを『ドラクエ』や『モンスターハンター』、『スーパーマリオ』のようなゲームソフトのような物と思っていたが、それは全くの間違いだった。
『クトゥルフ神話』にはとんでもない数の物語が存在する。ルールブックの巻末に付いているものから、個人で作成したしたものまで。その物語を一つ選び、ルールブックに書かれた指示に従って遊んでいく。それが、『クトゥルフ神話』の遊び方だ。
物語を把握し、ルールブックと照らし合わせて指示を出す人間『キーパー』が、『Switch』や『PS4』などのゲーム機。その指示に従って行動したり、推理したりする人間『プレイヤー』はゲームのコントローラーを持つ方だと思って頂ければ分かりやすいと思う。
電気で指示を出してキャラクターを動かすのではなく、情報やコミュニケーションを交換しながら遊ぶ。反射神経を使わない分、とことん考え尽くして脳みそが痛くなりようになるものの、本当に楽しい。時々、とんでもない要求がキーパー、プレイヤー両方から飛んでくることがあるが、屁理屈でもいいから道理が通る提案を出すことでこちらのダメージを軽減することも可能だ。プレイヤーごとに難易度を微妙に調整することができるのも、本当にありがたい。古参のゲーマーも、やり始めた初心者も一緒に楽しめるのはTVゲームやオンラインゲームには難しい芸当だ。自由度が高い分、敷居が高いのと、要求されるミッションがどうしても多くなりがちで長時間拘束される、というネックはある。だが、それが全く苦にならないほどの宝物がこの中にはたくさんある。ストーリーをやり切ったという達成感と、プレイヤー同士で手を取り合って最後まで走り抜けた達成感、遊んだ後に感想を言い合う時間に漂う達成感は一言では言い表せない。
自分が、非日常に巻き込まれて、命からがら逃げていく。現実世界では味わえないスリルがそこにはあるのだ。

 

 

 

有楽町マルイ八階で行われている『混沌のクトゥルフ展』は8月31日まで行われている。
ルールブックの表紙を飾ったアート作品やラヴクラフト氏が遺した作品のコミカライズ原稿などが無料で拝見できるのは太っ腹だ。
恐怖と畏怖を心いくまで堪能した私は、併設されているショップで様々な本を買った。
『クトゥルフ神話』はとてつもなく奥が深い。人間を襲う邪神は一柱二柱ではないのだ。私はまだまだ勉強が足りない、と資料になりそうな本を買い漁った。
そういえば、店の外がどうも騒がしい。聞くと、どうやら今日は漫画家の海野なまこ先生がサイン会を行なっているとのこと。彼女の本はもうすでに持っている。観ているだけで不安を煽る邪神たちを可愛らしくディフォルメされていて、どんなに凝視しても怖くない。愛でながらざっくりとした説明を補完していく。初心者にはうってつけの本の一つだ。
なんでも、一定の金額以上グッズを購入したお客さんだけがその権利を懸けたガラポン抽選器を回せるらしい。
サイコロじゃないんだ、と思いながらくるりと一回、ハンドルを回す。
すると、空の皿に、黄色の玉が落ちてきた。
「おめでとうございます! 当選です!!」
満面の笑みで拍手する店員に、私は呆然とその光景を見るしかなった。
「なんで、ここで、クリティカル出しちゃうかなぁ」
私はそうぼやきながら、通路で順番を待つ人々の中に飲み込まれていった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐和田 彩子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

埼玉県生まれ
科学、サブカルチャーとアニメをこよなく愛する一般人。
科学と薬学が特に好きで、趣味が高じてその道に就いている。
趣味である薬学の認知度を上げようと日々奮闘中。

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2020-08-24 | Posted in 週刊READING LIFE Vol,93

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