天狼院通信

写真の中に七色に輝く「流れ星」をはっきりと捉えたとき、僕が感じたのは純度の高い諦めだった。《天狼院通信》


たとえば、性別も時代も関係なくて、何になりたいかと聞かれたのならば、迷いなく、僕は主婦になりたいと答えるだろう。

もちろん、主婦の人が聞いたら、甘く見るなと怒るだろうが、なりたいのだから、仕方がない。

けれども、世の中は男女平等とうたいつつ、ちっとも男女平等じゃなくて、男に生まれた僕としてはその選択肢はきっと宇宙飛行士になるよりはるかに難しく、致し方なく、僕は今、起業家をやっている。

小さいころの夢は、おそらく、農家になることで、小学校の先生は、小さな東北の田舎の町から出る可能性が最も低いのはクラスの中でおまえだろう、成人式のときの幹事をやるようにと僕に言って、そのときにみんなに渡すものを僕に託した。

ところが、成人式の日に、僕は田舎には戻らなかった。
戻らずに、東京にいた。

今、僕が何をやっているかといえば、

起業家であり、会社の代表取締役であり、
天狼院書店の店主であり、
劇団天狼院の主宰であり、演出家であり、脚本家であり、
雑誌『READING LIFE』の編集長であり、
TENRO-IN FILMの製作総指揮であり、監督であり、脚本家であり、
プロのライターであり、編集者であり、
著者の先生のエージェントであり、アーティストのエージェントであり、
そして、来年度からは何件かオファーを頂いているので、きっと大学の講師にもなる。
まだ、公にできないことで、進んでいる話も多くある。

主婦になりたかった僕が、どうしてこんなことになってしまったのか、半ば途方にくれている。

僕は本当に多くの人に愛情を過分な愛情をかけられながら、わがままに育てられてきたのだけれども、それだからか、温かい家庭に憧れている。
実は、人間、それだけがあればいいのではないかとも思うときがある。

それなので、ありていにいえば、今の状況は本当は不本意で、たとえば、ラーメン屋に入ったときに躊躇なくチャーシュー麺を頼めるくらいには安定した給与があって、クリエイティブじゃなくともなんとか続けられる仕事があって、自分が帰ることができる温かい家庭があるというパラレルな選択肢があるとすれば、僕はそちらの世界を選ぶだろう。

僕にとって、叶わない夢というのは、世の中に覇を唱えるような、世界に可能性の極限を示すような壮大な夢ではなくて、むしろ、より多くの人が、普通に手に入れている類の幸せである。

振り返ってみると、それを手に入れようと、僕は、これまでもがいてきたんだろうと思う。

けれども、どの局面でも、可能性を弾かれてきた。

「普通」という決して共有できない幻想を追い求めているうちに、知らず知らず、「普通」から欠落した部分を補うため、僕は通常よりも人生のアクセルをより深く踏み込むようになっていた。

フルスロットルで人生を回しているうちに、いつしか、自分が取り組んでいることどもに、夢中になるようになった。

夢中になって様々なことに挑戦しているうちに、その軌跡のように、肩書きが増えていった。
できることが、増えていった。

少しずつ、テレビやラジオ、雑誌や新聞など、マスメディアへの露出が増えてきて、それに連れて、僕の話を聞く人が少しずつ増えてきた。

様々な可能性が舞い込んできて、様々な人が、僕に会いに天狼院にやってくるようになった。

テレビや雑誌などでしか見たことがなかった人と、親しくさせてもらえるようになった。

天狼院をオープンさせてからというもの、僕が常に感じていたのは、高揚というよりも、むしろ焦燥だった。

アクセルを深く、深く、踏み込むうちに周囲の景色が少しずつ、変わっていったのだ。

僕は、そのことに確信して気づいたときには、もはや、遅かった。

「実はね、僕は主婦になりたかったんだよ」

そういうと、人は僕の顔を訝しげに眺めて、ふっと笑い、こう言うのだ。

「誰がそんなこと、信じるんですか」

「だよね、誰も信じないよね」

と、僕も笑うしかない。

先日、天狼院の旅部で日光に行った。

お客様とスタッフとともに、大型バスをチャーターして一泊二日で夏の日光を楽しんだのだ。

深夜、カメラマンの松本茜先生とみんなで星を撮ろうと外に出た。

夕方までは雲がかかっていた空は、嘘のように晴れていた。

雲ひとつなかった。

満天、星に満ちていた。

僕は映画を撮るために買ったCanonの70Dと三脚を持ち込んで、空にレンズを向けていた。

リモートでシャッターを押す機材を僕は持っていなかったので、茜先生に言われたとおりに、モードダイヤルをボルブに合わせ、ISO感度を調整し、F値を最大限に開き、ピントを微調整して、シャッターを押し続けていた。

シャッターを押し続けている間、シャッターが開きっぱなしになり、開きっぱなしになっている間にカメラは空の弱い光までも取り込み、その結果、小さな星までも染みこむように写真に写りこんでいくという仕組みだ。

およそ、15人が空に向かって同じようにカメラを向けていた。

僕は、心のなかで、数を数えていた。

1,2,3,4…

茜先生には20秒か、30秒、押し続けるように言われていた。

9,10,11,12…

その時だった。

「あ、流れた」

誰かの声が、夜空に響いた。みんな騒然となった。

流れ星だ、と声が上がった。

星が流れた瞬間を僕は見たわけではなかった。

「誰か、撮ってた?」

「いや、私は今、撮ってなかった」

「ああ、撮りたかった」

と、所々で声が上がった。

ふと、僕は気づいた。

僕の指はしっかりとシャッターを押し込んでいた。

心のなかのカウントが続いていた。

18,19,20。

ゆっくりと、指をシャッターボタンから外した。

液晶ディスプレイに今撮った写真が現れる直前の刹那、いやな予感がした。

ふっと暗闇に光を灯すように、写真が現れた。

紺色を背景に煌めくあまたの星の中央に、まるで静寂の夜空を切り裂くよう、七色に輝く流れ星がくっきりと写っていた。

流れ星の生誕から終焉までも、その写真は鮮明に捉えていた。

なぜか、瞬間的に泣きそうになった。

ああ、とため息が出そうになった。

それを見た瞬間に僕が感じたのは、高揚や喜びではなかった。

あるいは、それは諦観だったのかもしれない。

諦観が、もう後戻りはできない、先に進み続けるしかないという、覚悟を促した。

僕が求めるのは、いつの時代も「普通」という幻想だった。

ところが、アクセルを踏み続けるうちに、徐々に普通と乖離し始めた。
気づいたときには、取り返しのつかないところまで来ていた。

けれども、加速する日常の中で、いつも「普通」に戻るチャンスを、本能的にうかがっていたのだろうと思う。

写真に飛び込んできた「流れ星」は、僕の小さな希望を、切り裂いてしまうのに十分なインパクトがあった。

泣きそうになりながら、僕は、暗闇の中でふっと自分の運命を嘲笑うかのように笑ったのかもしれない。

そして、そんな想いを振り払うように、僕は夜空に拳を突き立てて、諸手を上げて、やったー、と大仰に喜んだ。

正確には、喜んで見せた。

けれども、過剰なまでに、喜んでいるうちに、本当に嬉しくなってきた。

もし、僕が「普通」という幻想に対する未練を振り払うことができたらと考えた途端に、視界が開けた。

「流れ星、撮れた!」

そう声を上げると、みんな、僕の回りに集まってきた。

液晶ディスプレイに写った流れ星を見ると、みんな、本当だ、すごい、と声を上げた。

もし、僕の大好きなスタッフたちやお客様の、自由や幸せを担保するために、僕が「普通」を諦めるのだとすれば、それはとても尊いことなのではないかと思った。

たとえば、天狼院のスタッフやお客様が、僕が切り拓く未来の天狼院によって、自由や幸せを少しでも実現することができるのなら、アクセルを踏み込み続ける理由となる。

そして、その未来のほうが、今まで執着してきた「普通」という幻想よりも、はるかに僕の中で燦然と輝くのではないだろうか。

あるいは、こういうことなのかもしれない。

「普通」という概念は、あたかも、女性が待つ「白馬の王子さま」のようなもので、まさに幻想の範疇にしか存在しないのかもしれない。

決して手の届かない幸せを、リアルにするために必要なのは、今起きている現実を、幸せだと認めることだ。

考えて見れば、普通とはステレオタイプであって、一般が想い描くと想定される幻想であって、実際にはそれはリアルではない。

固定観念をすっきりと排除したときに、むしろ、リアルに起きていることのほうが、よほど幸せだと気づくことがある。

そう、僕には主婦になる適性も、普通の働き方をする適性も、ささやかな幸せで満足するような適性も、そもそもなく、それはやはり、固定観念が創り上げた幻想だったのだ。

今起きていることのほうが、はるかに素晴らしい。

それはまるで、追い求めていた理想の「白馬の王子さま」ではなくて、近くにいた男性のほうが自分に合っていて理想よりもすばらしいと認めることに似ている。

日光から戻った僕は、また、せわしない日々をフルスロットルで駆け抜けている。

『皆様、離陸いたします』

キャビン・アテンダントのアナウンスが機内に響く。

今日も、福岡に向かう飛行機の中で、この記事を書いている。

飛行機は一気にスピードを上げて、まずは前輪がふっと滑走路を離れる。まもなく、後輪も離れ、そこから機体は一気に空に向って上昇する。

そう、今、僕もまさに人生のテイクオフ・ポイントを迎えようとしている。

大きく右に旋回しながら天高く駆けのぼっていく機体の窓から、僕は外の様子を眺めていた。

海が見えて、そこを行く船が見える。そして、今、飛び立ったばかりの羽田空港が見えた。

朝一番の便だったので、空はいまだかつてないほど澄みやかで、五時の方向からまだオレンジ色の朝日が少し、窓から機内に差し込んでくる。

やがて、雲の上に出ると、光はさらに強くなった。

雲原の上を、西に向かって機体は進んだ。

そして、雲の向こう、遠くに海が見えたときに、ふと、僕は気づいた。

気づいたことに、嬉しくなった。

僕の方法で、僕だけしかできない方法で、すべて実現すればいい。

そう、何一つ、僕は諦めていないのだ。

 

【天狼院書店へのお問い合わせ】

TEL:03-6914-3618

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。イベントの参加申し込みもこちらが便利です。
【天狼院のメルマガのご登録はこちらから】

メルマガ購読・解除

【有料メルマガのご登録はこちらから】

バーナーをクリックしてください。


天狼院への行き方詳細はこちら


2015-07-29 | Posted in 天狼院通信, 記事

関連記事