地下鉄に乗っていたらサザエさんのエンディングが流れてきました。《天狼院通信》
天狼院書店店主の三浦でございます。
先日のことでございました。
取次のトーハンさんに行く用事があって、江戸川橋駅から地下鉄有楽町駅に乗ると、思いがけずほとんど満員電車でした。
あまり見かけない光景。
なんで満員電車なのだろうと時計を見ると、18時近くを指していました。
なるほど、帰宅ラッシュというやつか。
僕は天狼院から徒歩3分の場所に住んでいて、通勤に電車を使う習慣がありません。今ばかりではなく、職場の近くに家を借りる習性があるので、満員電車に乗るということがほとんどない。
そもそも、僕は経営者であって、天狼院のオーナーであって、自分の働く時間も出勤時間も、自分の裁量で自由に決められるわけで、社会の一般的なルールに従う必要がありません。おそらく、定時に働いている人に比べると、「自由」なのだろうと思います。
満員電車に乗ると、前に乗っているサラリーマン風の中年男性が、遠慮なしに押してくる。
密着状態になる。
やれやれ、でございます。
暗闇を疾走する地下鉄の中で、周りを見渡すと、同じように帰宅する人たちの顔がございます。
正直言ってしまえば、そのとき、僕は無意識的にある種の優越感をもって、その方々の顔を見渡してたのだろうと思います。
こういう働き方から抜け出せて良かった。
頭のどこかで、きっとそう思っていたにちがいありません。
そのときでございました。
あの曲が、どこからともなく聴こえてきたのです。頭のなかで、徐々にボリュームを上げて響いてくる。
それはサザエさんのエンディングテーマでした。
ふっと、暗闇を疾走する地下鉄の速度が、緩んだように感じました。
いや、地下鉄ではなく、僕の周りを流れる時間が急に遅くなるように感じました。
唐突に、醒めた気持ちになりました。
暗闇を疾走する電車の中で、人と密着しながら耐える人々。
しかし、よく見ればどの顔も不幸ではない。無表情ではない。
頬にほのかに色がさすように見えました。
そのほのかな色こそが、幸福なのではないかと思った瞬間に、僕は先ほどとは真逆に、瞬間的に強烈な喪失感を覚えました。
この人たちは、今、家路にある。
この人たちには、きっと、「ただいま」といえて「おかえり」と返してくれる家庭がある。
そこには明るい食卓がある。
テレビを見るのかも知れないし、くだらないバラエティ番組を見るのかも知れない。
プロ野球の結果に一喜一憂するのかもしれないし、年頃の娘に話しかけて無視されるのかもしれない。
妻はいつも不機嫌で、なかなか昇給しないことに対して暗に文句を言われるかもしれない。
それでも、なお、灯りが灯された家庭がある。
それに比べて、僕はどうだろう。
傍から見れば、自由に好きなことをやって、面白い人生を送っているように見えるかもしれない。
それはそれで間違いないのだけれども、気づかないうちに、大切な何かを失ってきたのかもしれない。
本来あったはずの、頬にほのかにさす色。
ほのかではあるけれども、たしかに存在する灯り。
「おかえり」という声。
そういった諸々のことどもを、僕はどこかで失ってしまったのかも知れない。
それはきっと、毎週日曜日の夕方で、サザエさんが描くところの何気ない日常だったはずだ。
サザエさんを写すテレビのこちら側には、サザエさん的な家庭があったはずだ。
そういった日々の、何気ない瞬間瞬間よりも、優先されるものとは何なのだろう。
はてしなく遠い道の先には、何が待っているのだろう。
若い時分に、「こんなのはかっこ悪いから嫌だ」と鼻で嗤って捨ててきたことに、最近になって価値があったことに気づく。
ファッショナブルな人生は、確かに絵になりやすいけれども、その絵とて結局はテレビとしてメディア媒体として、その当たり前のようにあるサザエさん的な食卓を、一瞬で通り過ぎて行くだけなのだろうと思う。
「こんなすごいやつ、面白いやつがいるらしいよ」
「へえ。でさ、今日、会社でさ・・・・・・」
と、一瞬にして消費される。
興奮とある種の狂気のなかで、体力が続く限り仕事をし、ネジが切れるようにして床で寝て、また這い上がって働き続ける。
それを、僕は強さだと勘違いしてきた。
仕事の中に面白さを見つける事こそが、人生の勝者だと思ってきた。そこに存在する「自由」こそが、最も尊いと思ってきた。
しかし、同時に僕は自分の弱点を知っている。
背負うべきものがないという弱点だ。
満員電車にいる周りの人々は、社会のルールに屈服して、自由のほとんどを束縛されているように見えなくもない。
ストレスにまみれ、それを休日に癒やし、また満員電車に揺られ、仕事先で頭を下げる。
ふと、ある人のことを思い出した。
僕をアルバイトで書店に雇い入れてくれた人で、その人がいなければ、あるいは僕は天狼院をオープンさせていなかったかもしれない。
上司にも、そしてお客様にも、不必要なほど容易に頭を下げる人だった。
若い時分の僕は、それを見て、ああだけはなりたくないと思った。まだ粗粗しくトゲトゲした若さを持っていた僕は、プライドを捨ててまで生きることに意味があるのかとすら思った。
ところが、である。
その人のお母様が亡くなり、葬式に出たとき、その人が頭を下げていた理由を知った。
喪服に身を包む美しい奥様と、子どもたちがいた。
彼が守っていたのものは、これだったのか、と思った。
きっと、頭を下げるのも、満員電車に揺られるのも、彼にとっては些事に過ぎないのだ。
彼を待つ、家族がいた。
そのとき僕は、プライドがあるからこそ、頭を下げるのだと知った。
それこそが、本当の強さなのだと直感的にわかった。
そして、それこそが、今なお僕が身につけられていないもの、弱点だった。
あるいは、と思うことがある。
守るべき家族がいれば、逆に実現したい未来をより確実に手繰り寄せられるのではないか。
吉祥寺小ざさの稲垣篤子さんは『1坪の奇跡』において、こんなことを言っている。
背負うものが大きければ大きいほど、力が出る。
もしかして、人生においての飛翔点「テイクオフ・ポイント」を未だに迎えられていないのは、そこに原因があるのかも知れない。
―そんな風に思っていると、社内で「東池袋」とアナウンスされました。電車が止まっていて、ドアが空いていることに気づきました。
「降ります、降ります」
満員電車に慣れていない僕は、泳ぐようにして車外に出ました。
ホームに降り立ち、ドアが閉まり、再び、疾走し始めた地下鉄を傍目に見送りました。
もうサザエさんのエンディングは聴こえませんでした。
「大丈夫、何も失っていない」
そう自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、イヤフォンを耳にして、iPadに入っているいつものプレイリスト「フルスロットル」を再生しました。
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