しあわせを食べて生きるいのち《リーディング・ハイ》
記事:おはな(リーディング&ライティング講座)
小川糸さんの本を読み終えると、体の隅々までしあわせが染み渡るのを感じる。
「あー、美味しかった」
そんな気分で大満足になる。
「おいしい」が、日々訪れる当たり前の時間になることもあれば、涙が出るほど忘れられない瞬間になることもある。
「おいしい」を作り出す為に命を削る人もいれば、「おいしい」に命を救われる人もいる。
人にとって、食べることは、いきること。
おいしいものを食べられることは、しあわせなこと。
この本には、「しあわせないのち」が、ぎっしり詰まっている。
読み終えた時、おいしいものを食べたあとの、あの幸福感に満たされる。
彼女の綴ることばは、ひとつひとつが丁寧で、あたたかくて、うっとりするほど濃い。
そんな文章を読んでいると、わたしは祖母がよく作ってくれた「りんごの煮たやつ」を思い出す。
戦争を経験している祖母は、台所を自分の居場所とし、人生の終わりまで、自分で食べるものは自分で作っていた。
そんな祖母は、昭和の終わりに生まれた孫にも、平成の色めきだったお菓子を与えることは少なかった。
茹でたトウモロコシやじゃがいも。
おせんべい、おまんじゅう、こんぺいとう。
のどに絡みついてむせ返るほど甘~い玉チョコ。
赤や緑の銀紙をはがすと現れる玉のチョコの中には、ネットリ練られた砂糖のクリームが入っていて、目が飛び出るほどに甘かった。
「鼻血が出るよ!」と怒られるまで夢中になって食べたあの味は、今でも思い出すだけで、ウットリしてしまう。
それでも、そんな玉チョコすら霞んでしまうほど、わたしが大好きだったのが、
祖母特製の「りんごの煮たやつ」だ。
世間的には「りんごのコンポート」という名前がついているということを、中学生の頃に母が買ってくれたお菓子のレシピ本で初めて知った。
だけど、やっぱりわたしには祖母が命名した「りんごの煮たやつ」が一番しっくりくる。
なにしろ、りんごの皮を向いて食べやすい大きさに切ったものを鍋にいれ、水を入れ、砂糖を入れて、クツクツと煮る。
水分がとんで、濃厚なシロップがからみつくまで煮込んだら完成。
りんごを煮ただけで出来上がり。「りんごの煮たやつ」以上にぴったりくる名前はない。
ガラスの器に入れたそれは、真っ黄色でツヤツヤとしていて、出来立てのアツアツも、冷やして食べても、透明で濃い甘さが口いっぱいに広がった。
こどもながらにウットリしてしまう、「おいしい=しあわせ」を教えてくれた一品だった。
透明なのに濃くて甘くて、しあわせな気分にしてくれる。
そんな祖母が作ってくれた「りんごの煮たやつ」と、小川糸さんの綴る言葉には、共通点のようなものを感じてしまう。
「りんごの煮たやつ」は、決して派手に飾られたお菓子ではない。
華やかではないが、素材も作り方もシンプルだからこそ、そのおいしさが際立って光る。
丁寧に手間ひまかけて煮込むから、出来上がったシロップは透明でツヤツヤと輝いている。
一切れ食べても十分満足なのに、まだ残っているとわかると、嬉しくて仕方がない。
りんごを食べきってしまった後は、シロップをスプーンですくってなめる。
最後に、「あー、これで本当に無くなったー」と名残惜しく一息吸うと、そこには口いっぱいにやわらかく爽やかな甘さが広がってくる。
毎日毎日、いつだって吸っているこの空気が、こんなにも甘いのかと驚く。
ただ空気を吸うだけで、体全体に甘さが染み渡り、こころがしあわせで満たされていく。
小川糸さんの綴る言葉も、決して格好つけたキザな言葉ではない。
「食べること」「生きること」ありふれた何気ないテーマと真剣に向き合い、磨き続けることで、わたし達の日常が、どれほど美しい輝きを放っているかを、教えてくれる。
短いコラムがたくさん連なっているから、ひとつひとつはあっと言う間に楽しめて、次は何が来るんだろうとワクワクしてしまう。
一冊読み終えた後は、またパラパラとめくりながらお気に入りを読みなおす。
「あー、おもしろかったー」と床に寝転び、両手両足をぐーんと伸ばすと、こころがじわーっとあったかくなる。
食べられること、おいしいを楽しめることのしあわせが全身を巡っていく。
『日々の豊かな食卓は、平和の上に成り立っている。
「おいしい」は、かけがえのない奇跡の賜物だった。』
穏やかな食卓を大好きな人と囲み、「おいしいね」とほほ笑み合えること。
そんな時間が、何にも代え難いしあわせだということを、つくづく実感できる。
いつでも祖母が作ってくれた「りんごの煮たやつ」を、わたしはもう食べることはできない。
何気ない日常が奇跡であり特別なしあわせだということを、おいしいものは、教えてくれる。
母やわたしが真似をしてりんごを煮ても、あの味、ツヤと濃い甘さは、やっぱり祖母にしか出すことができない。
それでも、目を閉じて鼻からすーっと息を吸うと、喉の辺りにあの甘さを思い出すことができる。
前掛けをした祖母が台所に立ち、焦げ付いた雪平鍋でコトコト煮込んでくれた、あのりんご。
タッパに詰めたそれを持ち帰り、母が毎日少しずつおやつに出してくれる。
「美味しいね」と言いながら母も一切れだけ一緒に食べる。
ふたりで「あー美味しかった」と言いながら、思い切り息を吸う。
「今度はいつおばあちゃんちに行こうか」と言いながら、夢見心地に浸る。
そんな光景を思い出すだけで、もうすっかり大人になったわたしは、幼かった頃のわたしが、祖母にどれだけ愛されていたかを、知ることができる。
ただりんごを煮ただけのそのおやつの記憶は、今は亡き祖母に代わって、たくさんの大切なことを、今でもわたしに語り続けてくれている。
「おいしい」
ただそれだけで、人生は豊かになる。
ただそれだけで、物語は広がる。
ただそれだけで、「愛」の意味や、「生きる」ことの価値を学ぶことができる。
そんな「うれしい」がぎっしり詰まった「おいしい」を食べることで、
「しあわせないのち」が育まれる。
愛情込めて作られた「おいしい」を食べてきたからこそ、
誰かに愛を込めた「おいしい」を返すことができる。
しあわせを食べて、しあわせを生み出す。
それが何気ない日常になることが、どれだけ幸せか。
それを小川糸さんは「神様からの贈り物」と表現する。
生まれてから死ぬまで、毎日は、おいしい奇跡の連続だ。
「おいしい」を感じ続けられる人生がどれほどしあわせかということを、この本は教えてくれる。
祖母が元気な時に作ってくれたあの「おいしい」を味わうことができた奇跡。
祖母が亡き後も、その「おいしい」をいつでも思い出すことが出来るしあわせ。
わたしの中ではいつも「しあわせのいのち」が鼓動を打っている。
だからこそ、わたしは毎度手を合わせる。
「いただきます」「ごちそうさま」と。
さて、今日はどんなおいしいものに、出会えるかな。
『海へ、山へ、森へ、町へ』小川糸著、2013年、株式会社幻冬舎発行。
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