高学歴コンプレックス
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:斉藤萌里(チーム天狼院)
「ねえ、きみ、どこ大の人?」
京都、四条河原町の交差点。
ここではよく、夜のお仕事の勧誘をしている男の人に遭遇します。
京都に住んでいた頃、大学生だった私は、そこで二度ほど男性に声をかけられたことがあります。
ナンパではありません。二度とも、同じ男性だったから、分かりました。
髪の毛の色が金色で、派手でした。
歩き方も、弾むような足取りで特徴的だったので、間違いなく勧誘の人だということを察知したんです。
「お姉さん」
一度話しかけられると完全に無視することができない性分の私は、「面倒くさいな」と思いながらも、男性に適当に相槌を打ちながら駅の方まで歩きました。
とにかく、その状況を早く脱することだけに集中して。
「大学生?」
「はい」
本当は答えちゃいけないのだと分かっていても、「無視」という手段を選べなかった私は、臆病です。
「そっか、何回生?」
「三回生」
男性は私の横にぴったりとついて、次から次に質問をしてくれます。
話がどんどん進んでしまうことに、「あ〜何やってんだ私!」と自分を詰りたくなりました。
男性は、フンフンと軽く頷きながら、私の身分を徐々に明らかにしてゆくのです。
「へえ、どこ大の人?」
ついに、その質問が飛んできたとき、私はドクッと心臓が跳ねるのがわかりました。
ああ、いやだ。
いやだ。
答えたくない。
「ああ、分かった。同志社でしょ。そんな感じする」
「いや……」
もうすぐ、京阪電車の駅の入り口に到着します。
改札へと続く階段が、その時の私には天国への道筋に見えて仕方ありませんでした。
「すみません、もう帰るので」
「ああ、残念。またの機会に」
意外とあっさりと引き下がってくれてた男性を見て、ほっとしました。
彼を振り切ったあと、どっと疲れが出て、しばらく夜の四条河原町交差点には寄り付かない
ようにしようと、心に誓ったのです。
私は、生まれてこの方自分に自信があると思ったことがありません。
そういう人は、私以外にも大勢いるでしょう。
もともとの性格がそうだと言えばそれまでですが、性格以外に、自分への自信のなさを裏付ける根拠がありました。
私は、自分の学歴がコンプレックスです。
気を悪くする人がいたら、申し訳ないと思っています。
ただもし自分と同じような人がいたら、この文章を読んで、どう感じたか教えて欲しいのです。
私は、2019年に京都大学を卒業しました。
昔から負けず嫌いであることは、自分でも自覚していました。
また同時に、人から教わることを完璧にしなければ気が済まないという性格でした。
小学校、中学校、高校、で成績をひたすら気にしていたのは、特に後者が原因だったことが大きいかもしれません。
テストの点数が悪いと、気持ち悪いのです。
「分からない」という感覚に、焦りを覚えました。
周りの人からどんどん、自分が置いていかれるようで、それが「怖い」とさえ思っていました。
頭が良くなりたい、とか、
将来学者になりたい、
大企業で働きたい、
という願望は微塵もありませんでした。
ただひらすら、やることなすこと全て、「完全」であることが、私の理想でした。
とくに勉強においては、努力次第で力がつけられることだったので、ことさら力を入れていたんだと思います。
成績さえ良ければ、先生からも褒められます。
一目置かれます。
贔屓目に見られます。
親も「勉強しなさい」と言ってくることはありません。
何より、それだけが自分の「自信」に繋がりました。
成績という、分かりやすく数値で示される結果だけが、臆病な私の自尊心を保ってくれました。
教室の中で完璧の地位を築き上げることが、私の生きがいだったとも言えます。
もちろんいつも一番ということはなく、私なんかよりも勉強ができる子はたくさんいました。そういう子がいると余計に頑張らねばという気にさせられました。
成績が良い時もあれば、順位が落ちて悪い時もあります。
特に高校生になると、教室に中間テスト、期末テスト「成績順位表」というものが貼り出されるため、同学年の誰が賢いのか、というのが皆に知れ渡り、成績の上がり下がりが如実に分かりました。
順位が落ちたとき、私はとことん落ち込みます。
家に帰ると悔しさがこみ上げて泣いていました。
精一杯泣いたあと、次こそはと、奮起できたからまだ良かったことですが。
小さい頃からのその習慣が功を奏したのか、いわゆる「一流大学」と言われる京都大学に合格しました。志望校だったので、心から嬉しかったです。
喜びの中、晴れて京大生になりました。
京大生になった時、周りからひたすらチヤホヤされる日々が続きました。
高校の友達、中学の友達。
お世話になった先生。
離れて暮らす親戚。
その時いくら自信のない私でも否定できないほど、褒められることに「心地よい」と感じました。
自尊心は、満たされました。
けれどそれも、ほんの一時的なものだったんです。
「京大生だからできるよね」
「賢いから大丈夫」
「就活だって簡単じゃん」
「書類で落ちたことないでしょ」
大学四年間、他人から浴びせられた言葉は、ほとんど同じだった気がします。
特に初対面の人だったり他大学の子だったりする人たちに、似たような反応をされました。
自己紹介の時、最初は皆びっくりします。
それがプラスの意味でなら良いですが、「京大生なんて自分と別次元の生き物だ」という目に見られることも少なくはなかったのです。
考えすぎだ、と言われたらそうかもしません。
でも、私の中では他大学の人や、たまたま訪れた美容室の美容師にはっきりと分かるほど「引かれる」のを感じると、私の身体はスンと固くなりました。
大学で出会った同期の友人たちが皆、何かと特技があって、輝いて見えました。
時間をかけずにレポートを書ける人。
音楽に命をかけている人。
世界一周の旅に出る人。
授業を適当に受けて、サボることも多いのに、しっかりと単位をとる要領の良い人たちを、たくさん見てきました。
対して私は、授業をサボると話についていけなくなるし、レポートも前日の夜中に仕上げる根性なんてないし、テスト対策も万全にしなければ成績を保てない、要領の悪い女でした。
同大学の輝く人たちを見る度に、どんどん自信をなくしてゆきました。
もう、誰にも自分が京大生だなんて名乗りたくないと思うほどに、自分が出来損ないだと思っていました。
勉強も、高校生の頃から記憶が薄れてゆき、一般教養の知識が剥がれ落ちていきます。
それならばまた復習すれば済むことなのですが、大学では大学でやらなければならない勉強があったので、そちらにシフトせざるを得ません。
京大生だからできるよね。
いつしかプレッシャーになっていた自分の学歴を、投げ捨ててしまいたいと、何度も思いました。
就職活動のグループディスカッションでは、他大学の人に自己紹介するのがたまらなく嫌でした。大学名を告げた後の、あのなんとも言えない気まずい空気。「すごいですね」という言葉が、重荷になります。
そこからの議論は、自分が進めなくてはならないという無言のプレッシャーもありました。「京大生に任せたら安心」という同じグループの人の視線が刺すように感じられました。
自意識過剰、と言えばそうなのかもしれません。
実際他人はそこまで気にしていないことでしょう。
それは分かっていました。
しかし、一度言ってしまった「私は京大生です」という言葉が、ずっと鉛のようにお腹の中にずしりと居座ってどいてくれません。
ごめんなさい。
京大の中にも、超優秀組と普通の人間がいるんです。
私は、名ばかりの「京大生」なんです。
肩書きだけなんです。
つまらない人間なんです。
顔に書いておくことができたなら、そうしたかもしれません。
世間からすれば、その人の実力がどうであれ、「一流大学の学生」として、期待込めた目を向けられました。
期待。
皆の期待は、私には重すぎるのです。
自尊心が劣等感に、変わっていました。
と同時に、なんとかして、周りからの期待に添えるようにしなければ、という焦りが生まれました。
大学三回生の時にある企業でインターンに参加し、社会人になるための予習だと思いながら、仕事をしました。簡単な仕事を担う傍ら、自ら創出した仕事もありました。
書類選考や一次面接で何度も落ち、失敗に終わった就職活動。
吐くほど自分が嫌いだと思いながら、なんとか内定をいただいた会社で働き出した社会人一年目。大きな会社ではありましたが行きたかった業界ではなく、与えられた仕事をしながら、「ここで、いいの」と自問自答する毎日でした。
そこでの日々は、荒波がなく、人間関係でも付かず離れずの距離を保てるような会社でした。泣きたいほど苦しいと思った仕事はなく、かと言って泣きたいほど嬉しいと思う瞬間もありませんでした。
淡々と、やるべきことをする毎日でした。
同じ大学を出た友人たちが、第一志望だった会社で活き活きと働いているのが、SNSの投稿で分かりました。
ここでいいの。
実力のない私は、この優しい場所で安寧の毎日に身を浸して。
それで、あの日の私は納得するの。
「京大生だから大丈夫だよね」って言われて焦っていた私を、慰めることができるの。
答えは明白でした。
私は、自分の肩書きに恥じない人間になりたいのです。
気がつけば、学生時代にアルバイトとして働いて大好きだったこの場所に、戻ってきていました。
実力のない私を、強くしてくれそうだと、感じたからです。
入社してからまだ間もないけれど、ここでの仕事は日々頭を使うことばかり。
一日の終わりには疲れ切ってぐっすりと眠れるようになりました。
まだ、足りないことばかりで、できないことばかりで、先輩たちの話についていくだけで必死です。きついと思うことも多いです。
でも、しんどさの中にあるやりがいは、何ものにも変えがたいこと。
泣いたり笑ったりしながら、肩書きに恥じない私に、なりたいです。
私は、自分の学歴がコンプレックスです。
気を悪くする人がいたら、申し訳ないと思っています。
けれど、コンプレックスが自分を強くしてくれることもあるのでしょう。
周りの期待に押され、嵐のような日々の中で、生き残ることができるように。
昨日の自分を、追い越しましょう。
■著者プロフィール
斉藤萌里
天狼院書店スタッフ。
1996年生まれ24歳。福岡県出身。
京都大学文学部卒業後、一般企業に入社。2020年4月より、アルバイト時代にお世話になった天狼院書店に合流。
天狼院書店では「ライティング・ゼミ」受講後、WEB LEADING LIFEにて『京都天狼院物語〜あなたの心に効く一冊〜』を連載。現在は小説家を目指して活動、『罪なき私』販売中。
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