チーム天狼院

あの日のぼくらの、キャッチボール《三宅の妄想京都天狼院》

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僕は投げる。
肩にいっぱい風をうけて、
遠くの、遠くの、遠くのほうに、
精一杯きみに届くように。

だけどボールは届かない。
そのたび僕は、ミットを持った君を見る。
君は、怒ってるのか悲しんでるのか
嘲笑っているのか失望しているのか、
僕には全然、わからない。

 

――――――京都天狼院という不思議な本屋の店長をしていると、
毎日いろんなお客さまに出会います。
みなさんそれぞれの想いを持って
本を買ってゆくのですが。
たまに、不思議なことに、
『自分は、この本を買っていいのか』という
表情をされたお客さまもいらっしゃいます。

たとえば、こないだ店にいらした、
細い縁のメガネと、品のいい膝丈ズボンがお似合いの、
真っ青なTシャツを着た、いかにもかしこそうな小学生の男の子。
彼もまた、そんな表情をしたお客さまの一人でした。

科学辞典や伝記やミステリー小説の似合いそうな彼は、
「あの……こ、この本ください」
こもった声でそう言い、眉を下げ、下を向きながら、
ある小説を差し出しました。

その彼が差し出した小説は―――、
あさのあつこさんの『バッテリー』。
スポーツよりも勉強の似合いそうな彼には少し違和感のある、
野球少年たちの成長物語シリーズです。

「この本、面白いですよね」
お会計しながら私が言うと、彼は
「友達もそう言ってました」
ちょっとだけ緊張をほどいた笑顔で、そう言いました。
「そのお友達に勧められたんですか?この本」
私が聞くと、彼の目が横に泳いで、
「勧められたっていうか……」
そう言葉を濁し、早口で
「僕、一日でもはやく、ちゃんとボールを投げられるようになりたいんです、
この本を読めば、何か、わかるかと思って」
そう言いました。

そして、「これお金ですっ、どうもありがとうございますっ」
少年は少しかすれた声で、あわてて言いながら、
本の代金を税込ちょうどでレジに置きました。
そして本を受け取るなり、
からん、と扉の音を立て、天狼院から走り去っていきました。
ぴしっとアイロンのかけられたTシャツを着たその背中が、
青くて、妙にこわばったまま、天狼院のドアから離れていったのです。

 

次の日、その少年が、息をきらしつつ天狼院のドアを開けました。
そして、まっすぐに『バッテリー』のある棚へ向かい、
迷わず2巻を取り、レジへ持ってきたのです。
私は思わず微笑んで、
「ね、面白かったでしょう」と言いかけたところで、
私の言葉を遮るように彼は
「おもしろかった!!!」
と言い、今までで一番少年らしい表情を浮かべます。
「僕、小説よりも科学辞典とかのほうが好きだけど、
この本は特別! めっちゃカッコよかった!!」
二巻をどうしても早く読みたくて
ランドセル持ったまま店に来ちゃいました。
そう言いながら少年は、へへっと笑います。
「この本を面白いって言ってたお友達にも、
本読んだよって伝えましたか?」
私がそう言うと、
少年は急に表情を曇らせました。
ん、と思った私は、
「お友達とは喧嘩中ですか?」
小さな声でそう聞くと、
案の定少年は、少し黙った後に、こくん、と頷きます。
彼のぎゅっと結んだ口元に、なんだか申し訳なくなって、
「このシリーズを読み終わるまでに、仲直りできるといいですね」
私がシリーズ全六巻が入っている棚を指差してそう言うと、
「…………うん」
彼は、小さな声でぽつりと答えました。

 

少年が来るようになってから3日目、
彼がいつもよりくたっとした薄緑のTシャツにジーパンという、
ラフな格好でやってきました。
2巻もめっちゃ面白かったー!と言ったあと、
すぐさま3巻を棚から取ってきました。
少年は、これから野球の練習しにいくんだ、と笑います。
「前『バッテリー』を好きって言ってたお友達も、
野球好きなんですか?」
「うん、あいつめっちゃ好きだよー!!」
少年は、これまでにない明るい声で答えます。
「そのお友達は、どんな方なんですか?」
と聞くと、少年は表情を輝かせ、笑いながら、
堰を切ったようにしゃべりだします。

「あいつはね、僕の学校に今年ひっこしてきた転校生だったの。
背ぇ高くてでっかくて、野球がめっちゃ好きで、
前はリトルリーグでキャッチャーやってたんだって。
でもこっちのリトルリーグで、カントクと会った日に
ケンカして、やめたんだって」

彼が瞳をきょろきょろさせながら嬉しそうにしゃべるので、
私も嬉しくなって、「やんちゃなんですねぇお友達」と笑って言うと、

「もーーー超ケンカっ早いよ!僕もマジでこわかったもん最初!」
「でも集団登校いっしょだったから一緒に学校いかなきゃいけなくて、
で、クラスも同じじゃん?
それでみんなあいつにビビってるしさぁ。
僕があいつと、友達になるしかなかったんだって」
「僕……ケンカ強くないから、
今までいじめてくるやつに、あんまり勝てなかったんだけど」
「あいつと仲良くなってから、いじめられなくなったの!」
「あいつと遊んでたら、はじめて塾とかピアノとかサボっちゃったんだけど、
お母さんにバレなかった!」
「はじめて教頭先生にイタズラしたりしてー、
ハゲなの教頭先生!めっちゃ面白かった!」
「お姉さん、ココアシガレットってお菓子知ってる?
あいつと自転車とばして
てんとうむしって駄菓子屋さん行ったときはじめて食べたの、
タバコの形してるおかしなんだよ!」
―――少年がひとしきりそんな話をしたあと、
私が笑いながら、
「そんなに仲のいいお友達と一緒だと、
野球の練習も楽しいですね」
そう言うと、
少年は、不意に顔を曇らせました。
そして、少しだけ下を向いて、

「いまは、一人でボール投げる練習してる」
彼はぽつりとそう言いました。

なんで彼がそんなに仲のいい友達と喧嘩してしまったのか、
なんで彼がいまだに仲直りしてないのか、
野次馬根性のある私はそんなことが気になってしまったのですが、
彼は買いたての3巻をそそくさとかばんにしまい、
ごめんお姉さん、行くね、と天狼院を出てゆきました。

 

4日目、お客さまもほとんどいない店内に、
彼が、すりむいたまま膝を真っ赤にしてやってきました。
私は彼の膝を見て驚き、
「どうしたんですか、大丈夫ですか」
と手当てをしようとすると、
彼が「こっちの方を早く!」と言って『バッテリー』の4巻を差し出しました。
はいはい、と言ってお会計をしたあと、
救急箱を持ち出し、膝の手当をすべく、少年を椅子の上に座らせます。
少年は大人しく半ズボンをめくり、脚を突き出します。
「こんなにケガしてまでボールを投げる練習だなんて、まるで『バッテリー』の主人公ですね」
私が微笑みながらそう言うと、
「全然ちがう!」
がたっと椅子から立ち上がり、彼は今までで一番大きな声を出しました。
そして、はっと口をつぐみ「……ごめんなさい」と言って、
また椅子に座り、手当てしていた膝を突き出しました。

窓から、さあ、と風が吹いてきて、
少年の短い髪がなびき、やわらかく彼の頬を撫でます。
ふたりとも少しの間黙っていたのですが、
やがて少年が口をひらきます。

「僕……今まで全然運動してこなくて」
彼は少し、声を震わせながら、小さな声でしゃべります。
「だから」
ぎゅっとTシャツの裾を握り、

「あいつのところまで……ボールがとどかないんだ」

少し汚れたメガネのふちが、彼の涙で濡れます。
「ドッジとかもいじめられるのがイヤでさぼったりしてて、
出させられても逃げてばっかいたから。
いままであんまり、ボールとか投げたことなくて」
「だからぜんぜん、キャッチャーのとこまで、ボール届かなくて」
「男子でボールそんなに届かないってやばいって
わかってんだけど、ほんとにできなくて」
「あいつが失望してんのわかるんだけど、
力いっぱい投げても、届かない」

少年は、声を震わせながら、ぐいっと目を拭います。

「だからもう僕野球とかやだこんなのやりたくないって言ったら、
あいつ、怒っちゃって」
「そんなん最初からできるもんばっかやっててもしゃーないやろって」
「できんからみんな練習するんやって」
「できるやつほど練習するのに、
できんやつがほっぽっていいわけあるかって」

『バッテリー』の巧だって、あんなに天才なのに、めっちゃ練習してるのに。

「僕、わかってんだけど、でも、あいつと他のことやってたら楽しいのに、
野球は楽しくないから、他のことであいつとあそびたくて、だから」

――――だから喧嘩しちゃって。

「そんで、そんで、そんで、あいつ」
そう言ったまま、少年はぼろぼろと大粒の涙をこぼしました。
口をぎゅっと結んだまま涙を拭おうとしない少年に、
私が何も言えず、彼の背中を撫でていると、
すぐ、少年は、帰ると言って、
痛そうな足を走らせながら帰ってゆきました。
―――ぜんぜん、『バッテリー』のふたりみたいになれないよ、お姉さん。
そんな言葉を残しながら。

 

次の5日目、明らかに顔を赤くぼうっとさせた少年がやってきました。
これから練習に行く、と言うので、びっくりして私が
「今日は熱があるんじゃないんですか、やめといたほうが」
そう言った瞬間、
彼はふらっと倒れそうになります。
私はびっくりして抱きかかえ、
とりあえず少年を、スタッフ控え室のソファに寝かせます。
親御さんのご連絡先に迎えを頼み、
他の店員に店番を任せ、彼のそばにいると、
彼はぼんやりと口をひらきました。

「あいつが……練習やって言って、僕を川原に連れてくの」

野球の練習を、川原でするんですか?
そう聞くと、苦しそうな彼は息を荒くして目を閉じ、か細い声で、続けます。

「川原で、こう、
こっちに僕がいて、あっちにあいつがいて、
足元の草がカサカサ言ってて、
風がびゅうびゅう吹いてるなかで、
頑張って川の向こうまでとばそうって……僕が投げるんだけど、
ボールが全然届かない」

京都で川原、というとほぼ鴨川のことだと思うのですが、
鴨川の幅はかなりあります。
鴨川でキャッチボールをしてる人はたくさんいますが、
かなり距離のある対岸同士で、ボールを投げ合ってる人はなかなかいません。
「それはなかなかむずかしい話です」
私が苦笑しながらそう言うと、彼は、目をいっそうぎゅっと閉じます。

「届かないボールを投げるたびに、
あいつがどんな表情してるのかわかんなくて」

あいつが僕をどう思ってんのか、わかんなくて。
こんなふうに球のひとつすら投げられない、僕を。
できないからダサいしやりたくない、って思って、
あいつがあんなに好きな野球をやりたくない、って言った僕を。

「だから……練習しなきゃ、僕」
彼は息を吐きながらそう言います。

少年がそこで目を閉じたので、
私は―――そっと立ちあがり、京都天狼院の本棚から、本をとりに行きました。
『バッテリー』5巻。
その本を、私は彼に手渡します。
「これ………、熱が下がったら読んでくださいね」
角川文庫の、つくしが印刷された表紙。
「5巻は、
1巻の頃のような、爽やかな話ばかりではないです」
私はそっと、彼の髪を撫でます。
「でも、泥くさい彼らも、カッコイイことに変わりはないんですよ」

たとえ、
天才じゃなくても。
自分がいやになっても。
誰かに嫉妬することがあっても。
誰かを拒みたくなっても。
それでも、
それでも必死に逃げずに踏ん張って頑張ろうとし続けるから、
「頑張ってるきみは、かっこいいです」
―――少年は手に、本を握ります。

少年が私の話を聞いていたのか眠っていたのかは分かりません。
ただ、彼の苦しそうな息だけが、響いて、
彼はものすごく細い声で、
「そう、かなぁ……」とだけ言いました。

 

6日目、元気そうになった彼がやってきました。
体の調子なんかを聞きながら、
「いよいよ最終巻ですね」
私が微笑むと、
「あの―――、お姉さん今忙しい?」
上目遣いで申し訳なさそうに、彼はそう言いました。
うーん、少しだけ店内にいるお客さまが気になりましたが、
まぁ少しくらいならいいでしょう。
同じシフトの子に目と手でお詫びしながら、
「そんなに忙しくないですよ」
と言いました。
「ほんと!?」
彼は表情を明るくして、
「一緒についてきてほしいところがあるんだ」
そう言いました。
私は、なんだろう、と思いながらも、
彼に着いていくことにしたのです。

 

着いた先は――――

近くの病院、でした。

 

「あいつがいるんだ」
彼は緊張した面持ちで、そう言います。
私は彼の手を握り、
「いきましょっか」と言いました。

 

彼の病室へ向かう最中、ぽつりぽつりと、彼が喋ってくれました。
「喧嘩した翌日、あいつ、事故にあっちゃって、
病院でずっと意識が戻らない、らしい」

そして彼は、立ち止まって、病院の廊下にうつる、自分の足元を見つめます。

「でも……僕、こわくて」
彼の声は震えていて。
「だって、もし喧嘩したまま、あいつが……あいつが、もし、いなくなっちゃったら」
私の手を、ぎゅうっと握ります。
「だ、だから僕、ずっと、意識ないあいつに会うのが、こわくて」
病院にも、ずっと、来れなかった。

「だけど、そうしてるうちに……あいつが毎日夢に出てくるようになった」

少年は顔を上げて、私の方を見ます。

「夢で、あいつが毎日、僕を川原に連れてく」
ああ……熱が出たとき言ってたのは、夢の話だったのか。
私はぼんやりそう思います。
―――あいつは川の向こう側にいる。
僕は投げてボールを届けたいのに、
僕のボールは、あいつのところまで届かない―――

「毎日毎日、同じ夢」

対岸にいるあいつは、どんな顔をして僕を見てるのか、全然わからない。
「だから……あいつがすっげぇ好きって言ってた、野球の本を読めば、
あいつの言ってたこと、なんかわかるかと思って」
そんで、本屋さんに、『バッテリー』を買いに行ったんだ。

 

―――私は、少年の手をぎゅっと握りながら、
「なにか……、なにかわかりましたか?」
そう聞きました。
すると、それまで声を震わせていた彼が、大きく息を吸って、言いました。

「昨日の巻がね、一番よかった」
少年は、涙目になりながら、しゃっくりをしながら
まっすぐ前を見つめます。

「逃げんなよ、って……キャッチャーの豪が言うとこ」

だから。

「だから、昨日の夢で、僕、あいつに向かって、思いっきり叫んだんだ。―――今はまだ、そっちに球は投げられないけど、けど、頑張ってグラウンドで届けられるような球投げるから、
だから早く、こっちで一緒に練習しよう、って」

僕も、僕も逃げずに頑張るから。
お前もそっちで僕のボール待ってないで、
早くこっち戻ってこいよ。
逃げずに、一緒にこっちであがこう。

 

夕日が窓から差し込んできて、少年を照らします。
そして少年は一歩ずつ踏みしめ、進んでゆきます。
この、さあっとオレンジに染まる廊下を。
「ここがあいつの病室だ」
すう、と彼は息を吸います。
「お姉さん、ついてきてくれてありがとう」
一人じゃたぶん、ここまで来れなかったから。

彼はそう言って、私の手を離します。

私は、「忘れ物ですよ」と、
『バッテリー』6巻を彼に渡します。
彼は、「ありがとうございます!」
と笑顔を見せ、
銀色のひんやりとした病室の扉のバーをつかみました。

彼のだいじなだいじな、バッテリーの相方に、会いに。

 

 

それから少し経ったあと、
その少年と、そして意識を取り戻して元気になった「あいつ」が、
一緒に京都天狼院にやってきたのは
また、別のおはなし。

 

―――ここは、京都天狼院。
毎日、いろんなお客さまがいらっしゃいます。
つかれたときや、ちょっとゆっくりしたいとき、
ゆっくり立ち寄ってくださいね。
いつでも、どなたでも、お待ちしてます。

 

※このお話は完全なる妄想フィクションです!


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