【11/9発売・殺し屋のマーケティングレビュー】その本を読みたいがために、人生で最も辛い2年間を過ごした女子大生のこと
酒井(チーム天狼院)
本当にここにいてよかった
いや、あのときから今までここに留まっていてよかった
と、わたしは心から思っていた。
本当は何回も辞めよう、逃げてしまおうと思うことがあった。
はっきりと口に出したことはないけれど、我慢できなくなって何度も記事にした。
だから、たぶん「あの子、そろそろ限界じゃない?」「辞めちゃうよ、きっと」「やっぱ続かないね」と周りは思っていたことだろう。
こんな小説にさえ、出会わなければ、
わたしはとっくに自分にとって心地の良い環境に居場所を変えて、楽しいだけの2年を過ごしていたはずだった。
天狼院書店
というちょっと、いやかなり変わった書店で、同じ時期に働き始めた同期の中で、わたしは確実に、落ちこぼれであった。心底何もできなかった。記事を自由にアップできるようになるのに周りの倍の時間はかかったし、自らイベントを企画したのは片手で数えられるだけで、任されたイベントの集客もろくにできない始末。それに加え、基本である店舗でのカフェ、書店業務すらできるようになるまですごく時間がかかった。さらに言えば、セルフプロデュースが下手で何の特徴もないわたしは、個性の塊が集まる天狼院という場所で完全に埋もれ、お客様に顔と名前を覚えてもらえるなんてことはなかった。
辞める辞めないの前に、クビを宣告されなかったことに驚いている。ここでは、0から1を生み出す力が必要だった。利益をつくる力が必要だった。そして、それを最後までやり遂げる能力が何より重要視されていた。わたしにはそのどれもなかった。
わたしにとって、最も不幸だったことは、こんなに辛い状況に人生で初めて出くわしたことだった。今まで、自分が周りより圧倒的に劣っていると感じたことはなかった。「勉強ができて頼れる優等生」そんなイメージを持たれることが多く、事実そうだったと自分でも思う。友人からも先生からもチヤホヤされてきた。怒られた記憶なんてない。自分はこれで完璧だと思って生きてきた。それは大学でも変わらなかった。わたしにとって1番ということは自らのアイデンティティであり、人生をかけて「優等生」を目指してきたのだ。そこまでして築いてきた「優等生」という城から出ることは、これまでの人生を全否定するような感覚になった。
自分が1番になれないところにはいたくない。いても意味がない、と本気で考えた。チヤホヤされないことがこんなにも心地悪いことを、初めて知った。自分がここでは劣等生であることが本当にショックで、認めたくなかった。
だから、いつか辞めようと思っていた。だって、自分を辛い状況に追い込んでまで、1番にもなれないのに、いる意味はないから。認めたくないなら、辞めればいい。そうだ、逃げよう。そして、また「優等生」の自分だけの城に帰ろう。クリエイティブな仕事で溢れる天狼院側からしても、わたしみたいな人間は必要ないんだろうなと思っていた。
「殺し屋のマーケティング」
こんな奇妙な単語を初めて聞いたのは、今から丁度2年前、わたしが自分を劣等生だと認識し始めた頃だった。
天狼院書店店主の三浦が、こんなタイトルで演劇をやると言っているらしいくらいのことで、まさか2年後に小説として出版されることになるなんて、このときは知らなかった。同じ時期に開催した文化祭で本当に演劇公演をしてしまったことにも、驚いた。そんなレベルだった。
単純にタイトルだけで面白そうだと思った。
本を装丁買いする女子大生の感覚なんてそんなものだ。演劇公演では、大学と天狼院の同期が主人公を演じると聞いて、これにも驚いた。スーツを着た彼女がライフル銃を持っているチケット写真にも衝撃を受け、何これ面白そうすぎる、と俄然興味が湧いた。
ただ、わたしは2年前の演劇公演は観ていない。だから、あれから2年後の今年、小説となった「殺し屋のマーケティング」のプルーフを読むまで内容は全く知らなかった。タイトルと主人公のイメージだけを知っていて、内容を知らないのはあまりにも辛いおあずけだった。
文化祭での演劇公演が終わって、周りが「最高に面白い」と感想を言うのを聞くだけ。わたしは完全に蚊帳の外だった。悔しかった。いつか辞めようと思っていたはずなのに、絶対に辞めるもんか、と思うようになっていた。自分だけ仲間はずれなのは、もうごめんだった。
「殺し屋のマーケティング」の公演後、あれよあれよという間に、店主の三浦は小説家養成ゼミを立ち上げ、たくさんの小説家の先生の話から聞いた小説の極意を日々吸収しているように見えた。会う度に「殺し屋のマーケティング、最高に面白いよ。これはやばいことになる」と言われまくった。公演を観ていないわたしは、内容は全く知らなかった。だから、この2年、どんな話かも知らない小説の、「とにかく面白い」という感想だけを聞いてきた。
そんな感想だけを聞いて、ここを辞められるはずがなかった。1番になれない天狼院で、劣等生として、チヤホヤされないことは、このときもまだ辛かったし、嫌だった。今だって逃げたいと思うことの方が多い。でも、「殺し屋のマーケティング」の内容を、「天狼院の外の人間」として知るのは、もっと嫌になっていた。
今度こそ、「殺し屋のマーケティング」を「発信する側」になりたかった。
だから、わたしは天狼院を辞めなかった。
本当にここにいてよかった
いや、あのときから今までここに留まっていてよかった
と、わたしが心から思ったのは
「殺し屋のマーケティング」の小説が書きあがった、と聞いたときだった。
プルーフを手に取って、実際に読んだときだった。
イメージだけだったスーツを着た彼女が、小説の中で自由にしゃべって、動き回っているときだった。
そして、何より自分も周りと同じ「最高に面白い」という感想を言うことができたときだった。
2年間かけて、やっと言えた言葉。
この2年は、わたしにとって伏線でしかなかったのだ。
「最高に面白い」
この一言を言うための伏線。
天狼院書店は本当に恐ろしいところである。
怒られなれてなくて、思い通りにならないと逃げを選ぶ、そんな甘ったれた女子大生が人生でこれまでにないくらい辛く過ごした2年を
たった一冊の小説で
すべてを伏線として回収してしまう。
そんな天狼院書店店主の三浦が書いた「殺し屋のマーケティング」はなんて恐ろしいのだろう。
「殺し屋のマーケティング」を書いたのは、わたしではなく店主の三浦である。間違いなくそうである。わたしは何もしていない。これも事実である。ただ、だからこそ、わたしはこの記事を書いている。
今こうして、「殺し屋のマーケティング」のレビューを書いていることが信じられない。2年前はただ感想を聞く側だった自分が、まさか感想を書いて発信する側になるなんて、考えもしなかった。わたしが2年間ずっとやりたいと思っていたことだ。
本当にここにいてよかった
人生のすべてだった「優等生」を捨てて、「劣等生」として辛い2年を過ごしてよかった
そうまでして読みたかった本が、今日発売になった。
皆さんにとって、人生のすべてとは何で
それを捨ててまで、読みたい本に出会ったことはあるだろうか?
きっと、人生のすべてというものは人によって違う。
わたしの場合、それがたまたま「優等生」であることだっただけ。
他の人からすれば、なんて小さい、くだらないことなんだと笑われるかもしれない。それでも「優等生」であることは、わたしにとって人生のすべてだった。
それを捨ててでも、どうしても読みたかった本。それが、
「殺し屋のマーケティング」
だった。
何回も読み直して、何度も思う。
「最高に面白い」