チーム天狼院

「高学歴=賢い」は間違っていると思う、京大生的発想。≪弥咲のむしめがね≫


私はよく、初めて会った人から、「へぇ、賢いねー」と言われる。

これを聞いて「は? 自慢かよ」と思った方、すみません。私はバカです。私は賢くありませんし、他人の気持ちを汲み取れないほどのバカです。別に自慢しているわけじゃないですし、さらに言うと私は「賢い」と言われたくないから、この文章を書いています。

 

でも、やっぱり「賢いね」と言われる。そのときは、決まって、ある言葉の後だ。

そう、大学名だ。

「京都大学で勉強しています」と自己紹介すると、ほとんどの確率で「へぇ、賢いねー」と言われてしまう。さらに、その言葉を言う前と後で、「賢い」と言われるばかりでなく、相手の顔色や対応が明らかに異なるときだってある。出会って2分、難しい話なんてしていないのに、自己紹介しかしていないのに、学歴だけで「賢い」というレッテルを張られる。しかも、日本で一番偏差値が高いといわれている東大じゃないのに。

 

私だって、はじめは「賢い」と言われて嬉しかった。自分の成果に対して与えられる、褒めの言葉として、「賢い」を捉えていた。

そもそも勉強を面白いと思い始めたのは、親に「賢い」と言われたのが理由だったんじゃなかったっけ。「賢い」って言われたいから、勉強をしていたんじゃなかったっけ。

私の親は超放任主義で、我が子に習い事もさせなければ、勉強を教えるということもなかった。保育園や小学校に通っていたときの私は、とにかく校庭をめいっぱい駆け巡り、泥だらけになって遊んでいた気がする。もちろん塾になんて行かなかったし、当時は塾の存在すら知らなかった。なんでも好きなことをさせてくれていた両親だったが、ただ一つ、私が努力したことは必ず褒めてくれた。だから、学校のテストで良い点を取ると、「賢いねえ」と言ってくれた。「賢い」は「良いこと」という感覚が出来た。

大学に入ったときも、その感覚は変わっていなかった。大学に合格したときは鼻が高かったし、親族に「賢い」と言われるのは当然みたいに驕り高ぶっていた時期もあった。

 

でも今は違う。京大で学力トップクラスの友人たち、天才と呼ばれる研究者たち、講師として大学に訪れるエリート社会人と話して、分かった。

高学歴だから「賢い」ということで喜んでいた自分が如何に愚かだったか知った。賢くなろう、と思っていた過去の自分が恥ずかしくなった。賢いかどうかにとらわれていた自分が情けなかった。

今は、「賢い」と言われても全く嬉しくない。

 

これは贅沢な悩みかもしれない。だけど、顔がブスだからと話を聞いてもらえなかったり、女性だからと相手にされなかったりしたら、誰だって嫌だと思う。禿げているからって、出会い頭に笑われたら、気落ちするだろう。私もそれらと同じように、学歴だけで「賢い」と決められるのが嫌だ。

 

 

そもそも学歴ってなんだ? 学歴の善し悪しって、誰が決めたんだ?

就職先は学歴で決まるだとか、学歴のある人と結婚したほうがいいとか、まじでなんなんだ。自分の人生なのに、何故学歴とかいうちっぽけなものに左右されなきゃいけないんだ。本当に正しいのか、誰か教えてほしい。きっと、世間的に学歴が低いとされる人たちほど、この深刻な問題に直面しているのだろう。

「学歴廃止」という風潮はあって、就職でも学歴を排した採用が行われていると聞く。とはいえ、学歴を言ったら「賢い」と思われるのと同じように、就職活動でも未だ学歴フィルターは存在していた。私の体験として、就職活動の選考に残るのは、大企業ほど高学歴の学生ばかりだった。

その理由の一つとして、学歴という価値観があることで、楽な側面がたくさんあるからだろう。学歴があることで、人をカテゴライズしやすくなるし、おおよそのイメージもつきやすい。大学入試の点数が高い学校は、集団属性として「賢い」人が多いというのもうなずける。

 

しかし、私は世間が、「賢い」の意味が間違っている、と声を大にして言いたい。私は、高学歴だから賢いと感じるのは間違いであるし、賢い人は学歴の世界に存在しないと思う。

ただ、「賢い」には、いろいろな種類があって、それぞれに濃淡があるだけなのだ。たったそれだけ。世間は「賢い」の基準があまりにも固定されすぎていると思う。

 

世間の「賢い」は、学校のテストの点数が高いこと、である。言い換えると、情報処理が得意かどうか、ということだ。

学校のテストでは、思考力や読解力、記憶力が問われるが、これはすべて情報処理能力だと思う。授業で学んだ語句や数式、条件といった情報を処理し、それをテストで的確に使用していくに過ぎない。難解そうに見える数学の問題だって、与えられた情報を冷静にひとつずつ紐解いていけば必ず正解にたどり着く。解決の手順が多いほど、選択肢も広がって解きにくくなっているだけなのだ。

処理が得意な人がいれば、苦手な人がいるのは、至極当然のことなのだ。だから、学歴がないから人生終わった、なんてことは絶対にない。他の「賢い」点を伸ばせばいいのだ。

 

「賢い」には、もっと種類がある。

学歴的に「賢い」場合でも、いわゆる勝ち組になれるとは限らない。社会で戦っていくには、案外、それ以外の能力が重要だったりするように思う。学歴コンプレックスなんていらない。コミュニケーション能力とか、統率力とか、ポジティブ思考とかのほうが必要。

無数にあるそれらの能力は、「賢い」の萌芽だと思う。それを、他人が一目置くほどに懸命に育てられた人だけが「賢い」と思う。誰でも努力すれば、賢くなれる。

 

それに、それらの能力は「できる」「できない」で白黒に分かれているんじゃなくて、濃淡がある。得意で濃く塗りつぶせるときがあれば、上手く事を進められないときだってある。不得意なことは得意なことでカバーして、バランスを保ちながら、能力を磨けば良いと思う。

 

私の出会った「賢い」と思う人たちは、みな、学力以外に武器を身につけていた。他人が真似できないほどの能力を身につけていた。中には大学を出ていない人だっているけど(うちの店主なんかもそうだ!)、そういう人だって私の数十倍も賢いし、私はそういう人をめちゃくちゃ尊敬する。

ただの学力だけじゃない。人をはかるときには、もっと多様な物差しがある。

 

少なくとも、私は、そうやって成熟した自分を客観的に見られて、「賢い」と言われたい。見かけの肩書だけで、自分を判断されたくないのだ。

そうじゃないと、本当に賢い人に失礼だと思うから。これ以上、うぬぼれたくないから。

私は、私の中に眠っているはずの能力を、これからきちんと育てていきたい。

 

記事:飛田弥咲(京都天狼院スタッフ)

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