チーム天狼院

自分らしく生きる、とか嘘。甘ったれるな。≪弥咲のむしめがね≫


「ほんま、あんたって変人やなぁ」って言われたら、普通の人は苛立つんだろうか。「なんて失礼なこと言うの!」って、怒り出すのだろうか。

私は、めちゃくちゃ頻繁に、「変わっている」と言われ、友人にも先輩にも先生にも家族にも変人扱いされる。私が当たり前にやっていることを、楽しんでいることを、否定されたような気がして、初めのうちは変人よばわりされることがとても嫌だった。

しかし最近は、変人であることがアイデンティティーだ、という自尊心を持つようになった。「変人」は誉め言葉と思えるようになった。

 

その気持ちの変化の一端を担ったのが、世の中の「自分らしく生きる」ブームである。

ありのままの自分を受け止める。自分がやりたいことをする。無理をしない。

日々のちょっとした変化に気づき、丁寧に毎日を暮らしていくような生活を求める人が増えてきたように思う。他人に振り回されるんじゃなくて、ひとりでもいいから、自分が楽しめることをやろう、という考え方が広まってきたと思う。

 

この考え方のおかげで、救われた人は数知れないだろう。たくさんの悩める人の自己肯定を促して、生きる意味を与えたんじゃないだろうか。私だって、その一人だから、その偉大さをちょっとばかりは理解できる。

 

人と違うということは、時には攻撃の対象になる。集団と考え方が違ったり、奇抜な方法で自己主張してみたり。そんなときは、決まって、「変だ」とか「おかしい」とか言われる。異質なものは、本能的に脅威なのだ。突然変異のような枠にとらわれない発想が、大きな何かを動かしたりするものなのに、普段の生活ではついつい忘れてしまう。

 

 

私は、私が思ったことを、正直に述べた。「もっとこうしたほうがいいんじゃないか」「こういう案はどうか」と。もっと面白いことが出来るんじゃないかと意見した。でも、返ってくる言葉は同じ。

「やっぱ変わってるよねーあははは」

私の意見はそれで流れてしまって、結局、当たり障りのない結論に落ち着く。

突飛な発想をして何が悪いんだ。だれだって、面白いことをしてみたいんじゃないの。挑戦するほうが楽しくないの。悔しい。分かってくれなくてもいいから、理解しようとするくらいはしてほしい。

でも、これ以上主張したら、火に油を注ぐだけで、事態が良い方向に進むとは全く思えなかった。同じことを言わないと、話を聞いてもらえない状況が、とても嫌だった。

 

真面目な話し合いのときだけじゃなくて、女子会とか飲み会とかのときだって、「変わってる」と言われることには変わりなかった。まあ、人がやらないようなことに興味を持って、体験してみようと思うから、「変わってる」と言われることは仕方のないことなのかもしれない。それに、意味もなく仲間外れにされないだけ幸せなのかもしれない。でも、一種の見捨てられたような気がするのは間違いじゃなくて、人との違いを共有できるような雰囲気があればもっと過ごしやすいのに、と思っていた。

 

そういうことを幾度となく経験して、長いものに巻かれて、とがったことを言うわけでもなく、周りに意見を合わせるということが自然と多くなった。きっと、誰だってそういう側面はあると思う。感じてもいないのに「かわいい~~~~」と言ったり、おかしいと思ったことも「ほんまそれーーー!」と言ったり。これって、わたしにとって、めちゃくちゃ疲れる行為だけど、一周まわってそれが一番精神的に楽だった。

 

自分が人と違うことを悔しく思ったり、自分の中で人前での振る舞い方に折り合いがついていなかったりしたこともあって、ここ数年の「自分らしく生きる」ブームは喜ばしいことだった。それぞれ考え方が違うんだな、って行動で示してくれる人が増えたし、互いに意見を主張し合うようになったから。

私だって、「変わっている」ことを個性として面白がってくれる人が多くなったし、自分の意見も面白半分で聞いてもらえるようになったし、なによりも、私の中で、私を愛しむ気持ちが大きくなっていた。これが私なんだ、と臆することなく認めることが出来るようになった。

肩の荷がおりたみたいで、すぅーっと気持ちが軽くなった。いままで、知らず知らずのうちに無理してたんだろうな。他人からの評価が気になって、背伸びして周りに合わせていたんだろうな。そういう締め付けが一気に消え去ったような軽さだった。

 

 

自分らしく生きる歴、2年と少し。

私は、やりたいことを優先して、気の合う人ばかりに会って、興味のあることにとことん時間とお金を費やした。行きたくない飲み会は断り、気分が乗らないことは出来る限りやらないようにして、ゆったりとした時間を作るようにした。傍から見ると変な行動でも、私が楽しかったら問題なかった。そんなふうにして、自分らしく生きた。

でも、私がかっこいいと思う人たちを見ていると、「なんて自分はバカだったんだ」と思った。自分らしく生きることが正義、なんてことは絶対にないと思った。自分らしく生きるというのは、ただ怠けていることを正当化しているだけだ。自分に甘えているだけだ。

 

たしかに、自分を認めることは大切なのかもしれない。自分を愛することも必要だ。そうじゃないと、こんなしんどい人生やってらんない。

でも、自己承認にたどり着くルートは、「自分らしく生きる」ことが正しいのだろうか。それはただの怠惰なんじゃないか? 諦めなんじゃないか?

好きなことをやって楽しいのは当たり前だ。しかし、そこに成長がなければ、それは本当の自己承認につながるのだろうか。毎日こたつでまったりしている人が、「私の人生、これでいいのだ」と思っても、それはあらゆる可能性を捨てていることにならないのだろうか。

自分を認めてあげることは、誰かと何かを成し遂げて称えあったときとか、自分にとっての苦難を乗り越えたときに、心からできるんじゃないだろうか。自己承認は、なにか辛いことを克服したときにだけ、現れるんじゃないだろうか。そして、さらに高みを目指せるんじゃないだろうか。私には、そう思えてならない。

 

「変わってる」と言われて、自分の殻に閉じこもってしまった私が、本当にすべきだったことは、「自分らしく生きる」ことじゃなくて、自分の考えの伝え方を見直すことだったように思う。表面的な違いばかりに気を取られて、相手がどんな風に思っているかまで理解しようとしていなかった。

自分の好きなことだけして暮らすことは、大きな目でみると排他的で、大きな機会損失を生んでいるように思う。ゆっくりとダラダラと時間が過ぎゆくだけで、何も生み出さないように思う。

私は、そうして生きることが、本当の幸せにつながっているようには思えなくなった。多様な人に出会って考えを深め、苦労や苦難を次々に乗り越えていくことが、幸せだと思う。嫌なことを経験するのは、自分を変えるチャンスなのだ。過去を振り返ったときに、「成長したなー」と思えることって、素晴らしいことだ。自分の好き勝手に過ごすよりも、挑戦することで、工夫することで、知らない世界を知り、自分の価値観を広げていくほうが、私にとっては快感だ。

 

 

 

だから、自分らしく生きるなんて、止めろよ。

攻撃されることが、その後の幸せなんだから。

しんどいとか言って、逃げるなよ。

な、分かったか?

分かったか、!!!!

 

 

記事:飛田弥咲(京都天狼院スタッフ)

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