【新入社員日記】「仕事は辛くてしんどいもの」だと、思いたかった《川代ノート》
大学を卒業したら、勝手に「大人」になっているものだと思い込んでいた。
私の家は共働きで、父も母もいつも働いていた。小学生の頃から、私はいわゆる「鍵っ子」だった。親が家にいないのは当たり前だったし、クラスメイトが家族でキャンプやディズニーランドや、長期旅行でハワイに行った、なんて話もいつもどこか他人事のようにきいていた。私の家では父も母もふたりとも休みということ自体がほとんどなかったからだ。家族揃ってどこかに出かけるのは一年に一回あればいい方だったが、別にそのこと自体を寂しいとも思っていなかった。両親が家にいないことが私にとっての常識だったのだ。
父はタクシーの運転手だった。タクシーの運転手という仕事は不規則な生活を余儀なくされる。父は丸一日早朝から深夜までぶっ続けで働いて、その次の日に丸一日休む、というサイクルを保っていた。働く日は思いっきり働き、休む日は働く日のために思いっきり休むという生活スタイルだった。
母は平日も土日も働いていた。仕事を掛け持ちしていたのだ。どちらの仕事も、ハードな肉体労働だった。母が働いていたのは、私の教育費を稼ぐためだった。私が自分の希望する大学で勉強するためのお金が必要だった。だから母は自分の自由な時間を削ってでも毎日働いていた。
でも私は特に何も感じていなかった。物心ついたときからずっと父も母も常に働いている環境で育ってきたし、「大人」が家族のためにがむしゃらに働くのは当然のことなのだと信じきっていた。
「大人」という生き物は自分が好きなことをする時間を削ってでも毎日必死で働くものだと、私も社会人になって働くようになったらきっと勝手にそうなるのだろうと思っていた。それはたとえばピカチュウがかみなりの石を使えばすぐにライチュウに進化するのと同じように、私も就職して社会人になるという儀式をすませれば勝手に両親のように「大人」になれるのだと思っていた。
でも、私は「大人」に憧れを抱く一方で、「大人」になんかなりたくない、とも思っていた。もとい、「つまらない大人」にはなりたくなかった。もし大人になるとすれば、それはかっこよくて、毎日毎日働いてもなにごともなく平然としていて、それでいて趣味も恋愛も充実させているような、かっこいい大人になりたかった。
高校生くらいの頃から、電車に乗るたびに大人が不幸そうな、気分の悪そうな、不機嫌そうな顔で電車に乗っているのを見るとうんざりした。どうしてみんな示し合わせたように眉間にしわをよせて電車に乗っているんだろうと思った。金曜日の終電間際の新宿駅を歩くといつもいらいらした。
いい大人がよってたかって酔っ払って大声で笑い転げて、酒臭い息を撒き散らしながら電車に乗っているのを見ると虫酸が走った。ネクタイを外してスーツをだらしなく着て、今にも倒れそうになりながら満員電車に乗ってくるサラリーマンたちが自分の横に来るとすぐに逃げて別の車両に移った。大人というのはどうしてこうも迷惑なんだろうと思った。公共の場所であばれないでほしいと思った。迷惑をかけないでほしかった。私の世界を邪魔しないでほしかった。仕事のはけ口をアルコールにまかせて酔っ払うことにしか求められないなんてかわいそうな人達だと思った。私は絶対にあんな「つまらない大人」になんかならないと、十代の心に誓った。
私はもっとかっこいい大人になるんだと思った。
そして大学に入学したばかりの頃、私は将来への夢にあふれていた。いかにもキャリアウーマンらしい女性に自分がなるところを想像した。想像のなかの私は、いつもかっこよく、そして忙しそうだった。そこそこの値段がしそうな、ほどよく名の知れたブランドのジャケットを颯爽と羽織り、クリスチャン・ルブタンの黒のエナメルのヒールをかつかつと鳴らしながら丸の内のビル群のなかを歩く。英語で外国人と言葉を交わし、商談をまとめ、社内でも評価されて女性ながら異例のスピードで昇進していく、「できる女」だった。休日には、父と母を高級ホテルの上層階に入っているレストランに連れていく。紗生はできる人間になったなあ、と家族や親戚からは誇りに思われる。地元の同級生にも、川代さんはすごい大企業に就職して、今じゃ世界を飛び回っているらしいよ、へえ、あのおとなしかった子が、随分変わったもんだねえ、なんて噂されるところを想像した。
どんな企業に入りたいとか、どんな仕事をしたいとか、どんな風に社会貢献したいなんて何も考えていなかった。夢のなかの私が「かっこいい大人」でいてくれるなら、会社名も仕事内容もどうでもよかった。Googleでも、外務省でも、トヨタでも、三菱商事でもなんでもよかったのだ。でもなんとなく、「丸の内のオフィス」や「国際的企業」や「英語でクライアントと商談」なんかのフレーズはすごくかっこよくきこえたから、商社とかコンサルとか外資系のメーカーに入りたいと思った。そういうかっこいい単語が似合う大人になれるんだと信じてやまなかった。自分のやりたいことはそれであって、順調に成長していけば当然のようにそういう大人になるものだと思って疑わなかった。
社会人になったら、私のなかで、何かが変わる。
きっと革命が起きる。
そう思って、大学を卒業した。
「川代紗生の第2章」は予想どおり、なんなく、スムーズに、はじまるはずだった。
でも不思議なことに、いつまでたっても、入社式が直前に迫っても、アルバイトをやめても友達と別れの挨拶をしても、進化の兆しはこなかった。少しも変わらなかった。川代紗生が「かっこいい大人」になれるらしいという知らせはなにもこなかった。
でも働けば何かしら、変わるだろうと私は希望を持っていた。自分のなかの何かが。何かのきっかけというか、嵐のようなめまぐるしい日々が私を襲ってきて、そういう毎日に順応しようと努力するうちに、なにかが変わっていくのだと思って期待していた。きっと先輩に怒られたり、仕事で大失敗をしたり、人に迷惑をかけたり、そういう苦労や挫折を積み重ねていくうちに、自分はできる人間へと、「大人」へと進化できるものだと思った。
そしてこの春、不安と期待を半々に抱きつつ、私は社会人になった。会社でお給料をもらって働くようになった。「社会人になる」というイベントは案外あっけなく訪れ、そして終わった。
高校生の頃に想像していたような丸の内勤務でもなければ、ルブタンのエナメルヒールもなかったけれど、それでも私は働くようになった。毎日二時間かけて会社に行き、八時間勤務して、そしてまた二時間かけて家にかえる。寝る。また次の日、朝早く家を出て会社に向かう。その繰り返し。父や母がやっていたのと同じように、私も働くようになった。
外資系でも商社でもなく、私はサービス業に就職した。サービス業だから、接客することも多かった。多くの人をもてなす心を持つことが重要だった。当たり前だけれど、接客にもいろいろなマニュアルがあった。会社特有のルールがあった。私はそういうルールがとてもめんどくさいと思った。四年間大学という空間のなかで、ルールのない、何をしてもいい自由な生活に慣れきっていたのだから、突然現れた厳しいルールを面倒だと感じるのは無理も無かった。でもそれも一ヶ月すれば慣れた。会社はそういうものだと知った。ルールがあるからみんなが働けているのだ。多くの人がいひとつの場所にあつまって、何か大きなことをなしとげるためには、一定の秩序がなければものすごい手間になる。
サービス業だというのは父とも母とも同じだった。両親と同じだからという理由でサービス業に入ったわけではないけれど、それは多少なりとも私に安心感を与えてくれた。なんとなく、きっと大丈夫だろうと思えた。両親が普通に毎日こなしていた「大人」が私にだけできないはずはないと思った。だって父も母も、あたりまえのように毎日働いているんだから。
でも「大人」というのは、そんなに簡単じゃなかった。
思いのほか、特別先輩や上司に怒られることも、思いっきりひどいミスをして自信がなくなることもなかった。予想外だった。
もちろんまだ入社して二ヶ月しかたっておらず、そもそも怒られるほど重大な仕事を任されていないから、ということもあるが、私にとっては予想外だった。辛くて辛くてたまらない毎日を予想していたからだ。
でもそれでも、私は仕事が大変だと思った。楽しいことも刺激的なこともたくさんある。まわりにいる人もみんな魅力的だった。毎日が新鮮だった。でもそれでも、仕事は「しんどい」と思った。大変だと思った。でも私にはなにが大変なのか、なにをしんどいと思っているのか、よくわからなかった。
でも心のどこかで、警告音がなっていた。何かがまちがっている、と私は思っていた。このままじゃいけないと、何かがおかしいと言っていた。でもそれを見つけてしまったら、私は自分のことをとても嫌いになるんじゃないかという気がなんとなくしていた。だからその原因を見つける努力もしなかった。きっとそのうちなおるだろうと思った。
幸いにも、私のまわりには優しくしてくれる先輩もたくさんいたし、悩みを共有しあえる同期の仲間もいた。仕事にいくと、新しい情報を常に吸収できるから、面白かった。
けれど私はどうしても、いつも「仕事はしんどい」と思った。久しぶりにあった大学の友人にも、仕事は大変だと話した。みんな新しい環境に慣れるのに必死だった。みんな「仕事は大変だ」と言っていた。
それはまるで、「仕事は大変だ」と言っているみんなはまるで、一気に大人になってしまったように見えた。仕事に苦労しながらもがんばって働くその姿は、ちゃんと「大人」のカテゴリーに入っているように見えた。
でも私は、私だけが、大学生の頃から何にも変わっていないような気がした。はっきり言って、大学生の頃の自分と今の自分との違いを説明しろと言われたら困るくらいだった。それくらい、心のなかに変化がなかった。環境が変わっただけで、なにも成長していないと思った。私のまわりで働く先輩を見ていると、みんなちゃんとした「大人」だった。でも私は大人じゃなかった。もう進化するだけのレベルには到達しているはずなのに、私はいつまでも子供のままな気がした。いつまでも両親のいる「大人」のカテゴリーに入ることが許されていないような気がした。
「大人」って何なんだろう。
大人になるって、どういうことなんだろう。
はやく「かっこいい大人」になりたいと思った。
自分は立派な大人です、と胸を張って言えるような人間になりたいと思った。
そう思いながら、毎日目の前のやるべきことをこなしていった。
でも一向に、私が「大人」になれそうな気配はなかった。
会社を出ると、きまって足がぱんぱんになった。毎日動き回っているからだった。ためしに万歩計をつけて一日働いてみると、一万歩をカウントしていた。むくんでかちかちになったふくらはぎをさすりながら電車に乗った。
早く帰りたいのに、電車はいつも満員だった。私はぼんやりと、自分も「帰宅ラッシュ」のなかに紛れるサラリーマンのひとりになったのだと思った。疲れ切ったスーツの人たちがぎゅうぎゅうに押し込まれている鉄の箱のなかに入るのは想像しただけで苦痛だったが、それでも一刻も早く帰って、熱いお風呂に入ってベッドに飛び込みたかったから、結局は我慢して電車に乗った。電車のなかにはわたしと同じように一刻もはやく帰りたがっている人たちでいっぱいだった。
足がくたくただった。頼むから座らせてくれと思ったけれど、老人でも妊婦でも子連れでも怪我人でもない、ただのありふれた新入社員であるわたしが、席をゆずってもらえるわけがなかった。むしろ席を譲る側の人間だ。座れないどころか、つり革すらも空いていなかった。手すりも空いていなかった。立つのも精一杯だった。筋肉痛の足をふんばり、なんとか倒れないように電車に乗り続けた。となりに立つおじさんの息が顔にかかって、気持ち悪くて横をむくと、今度はポニーテールの女の人の毛先がチクチクと顔にささっていたかった。足をずらそうとすると、下には部活帰りの高校生がどずんとおいたスポーツバッグが置かれていて、わたしには足の踏場もなく、今にもバランスを崩して転びそうになった。最寄り駅まであと三十分はある。それまでこの状況で耐え続けなければならないことにいらいらした。こっちはすでに仕事で疲れきって、足が痛くてたまらないのだ。電車のなかに疲れている度合いをはかる機械があって、疲れている人を優先して座らせてくれる装置があればいいのにと思った。
苦しくて、気を紛らわせようと、まわりの人間をちらりと見た。
席に座って寝こけているサラリーマンの顔が目に入った。ぐっすり疲れ切って眠っているように見えた。
立っているおじさんの顔を見た。眉間にしわを寄せて、隣の人に自分の陣地を取られているのが嫌なんだろうなと思った。
ドアの前にいるキャリアウーマンらしい女性の顔を見た。つまらなそうに、なにも考えていなさそうに、スマホをいじっていた。
よく見ると、電車に乗っている人みんながつまらなそうな顔をしてスマホをいじっていた。
なんだよもう、と私は思った。みんなしてスマホいじりか。ただのヒマ潰しだろう。そんなにつまらなそうにしているなら、本くらい読めばいいのに。もっと時間を大切にすればいいのに。気分が悪くなるから、みんなして暗い顔するのやめてほしい。
もう、たかが電車だけでこんなに暗くなるなんて、この国はどうなってるんだよ、と思って、ふと顔を上げた。窓ガラスの向こうは真っ暗の空だった。人と人の間から、頭ひとつぶん小さい顔が窓に映っていた。不機嫌そうに、つまらなそうに、眉間にしわをよせて、うつろな目でこちらをにらむ女の顔がそこにうつっていた。
それは紛れもなく、疲れ切った私の顔だった。何の違和感もなく、満員電車の暗い雰囲気に紛れ込んでいた。いや、紛れ込んでいるどころか、その場にいる誰よりも、不幸せそうな顔をしていた。そして私の手のひらには、がっちりとスマホが握られていた。
どこか遠くで、制服を着た女の子が、こちらを軽蔑の目で見ているような気がした。
彼女が私に対して何を思っているかなんて、考えるまでもなくわかった。
「あんな疲れ切ったつまらない大人には絶対になりたくない」
眉間にしわを寄せていて、つまらなそうに携帯をいじっていて、満員電車で座れないことにいらいらしているのが、思い切り顔に出ている、不細工な女がそこにいた。
二十二歳の私は、十七歳の私がもっともなりたくなかったはずの大人に成り下がっていた。
何が──何が、つまらない大人にはなりたくない、だよ。
いらいらして電車に乗って不幸そうに働く大人になりたくない、なんて。
どのツラ下げて、言っていたんだろうか。
気持ちが悪かった。吐きそうだった。そんな女の顔をいつまでも見たくなんかなかった。でも私は、その暗い空と窓でできた鏡に写っている自分から、目をそらすことができなかった。
私は何をやっているんだろう、と思った。
どうしてこんなにイライラしているんだろう。
仕事もある。お金ももらえるようになった。いじめてくる先輩もいない。残業だってない。休日にはちゃんと寝れている。
それなのにどうして、「仕事は大変だ」なんて思っているんだろう。
どうして頑なに、仕事が大変だと言おうとしているんだろう。仕事はしんどいと思い込もうとしているんだろう。
簡単なことだった。
私は期待していたのだ。めぐりめぐる環境の変化や、まわりの人や、会社や、社会のシステムが、私自身を勝手に「大人」へと進化させてくれることを。
私は苦労なんかしたくなかった。先輩に怒られたくもなかった。大失敗して自信を失うのもいやだった。何かミスをして、同期のみんなから見下されるのがいやだった。あいつは仕事ができないと思われるのがいやだった。
入社して一ヶ月、その私の「したくない」は思い通りになった。私は苦労をしなかった。不運も訪れなかった。大変な事件がこの身にふりかかることもなかった。
でもそれじゃ困るんだ。そんなんじゃ困る。
「仕事は大変」で、「仕事はしんどいもの」じゃないと、困るんだ。
私は昔から、必死で働く大人を見てきた。がむしゃらに、理不尽なことが起こっても、自分の時間を削ってでも、汗だくになって毎日働く母を見てきた。
不規則な生活に耐えながら、二十四時間ぶっ続けではたらく父を見てきた。
父も母も、「大変そう」なことを、当たり前のようにこなしていた。
でも私は、8時間労働をするだけで、仕事を教わるだけでくたくたになっていた。両親が当然のように働いていることを、私は当然のようにはできなかった。できることならもう働くことから逃げ出したいと思った。
私はようやく気がついた。私は大人になれなかったんじゃない。大人になりたくなかったんだ。
だから逃げていた。大人になる道を避けようとしていた。
私は認めなければならなかった。自分が努力をしたくない怠け者だということを。
「無駄な労力を消費したくない」なんて、かっこいい理由からじゃない。ただ、がんばりたくない。ただ努力したくない。それだけだ。
でも成功はほしいから、確かにこの手の中に手に入れたいから、「仕事はしんどい」と呪文みたいに繰り返す。仕事がしんどくないと間違っているみたいに、仕事が楽しいことはいけないことみたいに、私はただ繰り返して、自分は努力しているのだと、自分自身に対して暗示をかけ続けた。
就活中、いろんな人の話を聞いた。社会で働く人の話もきいた。成功している人の話もたくさんきいた。
どの「大人」も、口をそろえてこう言った。
「仕事は、大変なものなんだよ」、と。
「辛くない仕事なんてない」、と。
どの「大人」も、そう言っていた。
仕事はきっと大変なものなのだろうと、私は思った。
失敗も多いのだろうと、怒られることも傷つくこともあるんだろうと私は思った。
でも私は、苦労なんかしたくなかったし、挫折も経験したくなかった。
ただ、「苦労した」という経験だけがほしかった。
大変な仕事を乗り越えて成長したあとの自分がほしかった。大変なことを乗り越えるための努力はしたくなかったけれど、そのあとの功績や、成長しきった自分はほしかった。
苦労したり、大変な思いをしたり、血の滲むような努力をしている、その瞬間の辛さは絶対に味わいたくなかったけれど、「辛い経験」だけは喉から手が出るほど、ほしかった。
だって、どの成功者も、大人も、そうやって大人になってきていたからだ。
結局、私は「社会人になる」というイベントそのものに、期待していただけだったのだ。自分を変えてくれることを。大人にしてくれることを。
きっと環境が自分を変えてくれると思った。そのうち勝手に自分は大人へと成長できるのだと思った。
でも私は全然、大人になんかなれなかった。父や母のような大人にはなれなかった。苦労を乗り越える勇気もない私が、ちゃんとした「大人」になれるはずもなかった。
私は、いつまでも子供でいたかった。
親に、甘えて生きていたかった。
誰かに甘えて生きていたかった。
「仕事は大変だ」と言うのは簡単だった。言葉にするだけだ。それだけで、私は何も言わないよりもずっと、みんなから助けてもらえる。
「仕事がしんどい」というのは、私にとっての免罪符だった。甘えるための言い訳だった。「大人」の仮面をかぶって「子供」でい続けるための、言い訳だった。
言うだけなら、どんなに簡単だろう。
私は、そうやってずっと、努力することから逃げ続けるために苦労している振りをし続けていた、卑怯で汚い人間だったのだ。
電車の窓に映った不細工な顔は、仕事で疲れきってくたくたになっているサラリーマンたちよりも、ずっと汚くて虚ろな顔は、平気で嘘をつく人間の顔だったのだ。
私に、眉間にしわを寄せて我先にと電車に乗るおじさんたちを「つまらない大人」だと言う資格なんて、まったくなかった。
それを言うなら、私みたいな嘘をつく人間の方がよっぽど、「大人」にすらなりきれていない私の方がよっぽど、つまらない人間だ。
***
自分自身のことが嫌になって、もうどうしていいかわからなくなって、そうやってぐるぐると考えているうちに、電車は最寄駅についた。
私はまたひとつ、嫌いな自分を発見してしまった。
家に帰ると、思わずぼおっとしてベッドに横たわる。
私はどうしたいんだろう。どうしたらいいんだろう。
がんばりたい。がんばれる人間になりたい。一生懸命、素直に仕事をがんばれる人間になりたい。
社会の、役にたちたい。
いや、社会とは言わない。誰か、でも誰かから少しは、必要とされたい。誰かの幸せのためにがむしゃらに努力できるような人間になりたい。
もやもやした感情が胸のなかに沈んでいく。
コンコン、とドアをノックする音がきこえる。
「コーヒー、のむ?」
母がそうやって声をかける。元気のない私を気遣って声をかける。
一瞬、ああこうして親に甘えている場合じゃないんじゃないか、と私は思う。「大人」になりたいというなら、独り立ちして、家を出て行った方がいいんじゃないかと。
でも母を見る。私のために、家族のために、がむしゃらに頑張ってきた、働いてきた、湯気のたつコーヒーを持つ、母の少し荒れた手を見る。
ああ、もしかすると、大人になるというのはたとえば、こういうことかもしれない。
傷ついている誰かのために、コーヒーを淹れてあげようとか。
くたくたになっている誰かにマッサージをしようとか。
イライラしている誰かの眉間のしわを、つんとのばしてあげるとか。
「ありがとう」
コーヒーを淹れてくれた誰かに、素直に感謝の気持ちを伝えるとか、たとえば、そういうことなのかもしれない。
大人になるというのは、きっと、「ひとりでも生きられるようになる」といことではなくて、自分以外の誰かのために何かをしたいと心から思うことなのだ。
自分のことにばかりいっぱいいっぱいじゃなく、まわりの人のために何か行動を起こしたいと思う、その心が「大人」への進化の一歩なのかもしれない。
私は、自分のことばかり考えていた。
自分が大人になって、かっこいい大人になって、社会的に認められることや、「成功者」になることばかり考えていた。
でも本当に大人になるというのはきっと、もっと、他人に心を向けられるということなのだ、おそらく。
他の人がどう言うかはわからないけれど、少なくとも、私にとっては。
正直、私は当分、「子供」のカテゴリーのなかから抜け出せそうにない。
まだ私はどうしても、他人のために何かをしたいだなんて、素直には思えないのだ。自分が自分が、と我を通すことばかり考えている、いかに苦労せずに生きようかと考えてばかりの、自分勝手で卑怯な人間のままだ。
そういう意地汚い自分は、反吐が出そうなほど嫌いだ。
でも、それでも私は、生きていかなきゃならない。
なんとかして、少しでも自分を好きになろうと、頑張らなきゃならない。
それなら、ひとまずは、自分から動いてみよう。
働くことを、楽しもう。
「仕事はしんどい」と思わなきゃいけないだなんて、変な思い込みはもうやめにしよう。
これからきっと、仕事が本当に「しんどい」と思える日も増えるだろう。
毎日泣きたくなるくらい、自信がなくなる日もあるだろう。
こんなことでなやんでいた日々を懐かしく思う日も来るだろう。
なら、本当に仕事を辛いと思う日が来るのを、恐れずに働こう。挑戦しよう、もっと。
自分をもう少し、信じてみよう。
仕事をどう捉えたって、自由だ。人それぞれだ。
楽しくたって、辛くたって、どう思おうが、自由だ。
待ってばかりの自分じゃなく、期待してばかりの自分じゃなく。
誰かに助けてもらうことばかり考えている自分じゃなく、誰かを助けたいと思える自分に変われるように。
***
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