【劇団天狼院レポ】「正直、私は怖かった。すべてを見透かすように言う、店主が。でもそれならいっそ、見透かされてしまいたいとも思った。そうしなければ、一歩も前に進めないような気がしたのだ」《川代ノート》
「正直、私は怖かった。すべてを見透かすように言う、店主が。でもそれならいっそ、見透かされてしまいたいとも思った。そうしなければ、一歩も前に進めないような気がしたのだ」
不感症を治したいという美しい脚をもった女、真面目な性格ゆえに悩み苦しむ編集者、誰にも明かしていない秘密がある女流作家。薬のように、本を処方してもらうために天狼院を訪れた三人の主人公は、クライマックス、観客席にいる私たちに、そう言った。
どうしてだろう、私は彼らが言ったその言葉に、ぎゅっと胸の奥の奥をつかまれたような気がした。
今だから言えることだが、大丈夫かなあ、と内心思っていた。
なにしろ、プロは主演の石神さん、たったひとり。参加してくださったお客さまのほとんどは素人で、演劇経験など一度もない人ばかり。そのうえ、音楽も脚本もすべて手作り。著名な監督も、今をときめく国民的女優も、大がかりなセットもない。はっきり言ってしまえば、観客にとっても「確実に面白い」という保証はなかった。私は、ちゃんと成功するんだろうか、と心配になっていた。
台本がキャストに渡されたのは、驚くべき事に、本番の九日前だった。そのうえ、もちろん参加者のほとんどは日中、演劇とはまったく関係のない分野で働いている。長い独白シーン、共演者同士のかけあい、発声や話し方。それを仕事を終えたあと、天狼院にかけつけ、それから終電まで、ときには始発まで練習をする。うそ、本当に間に合うの?誰か倒れちゃうんじゃないの?
劇団に参加していなかった私は、毎晩キャスト達ががむしゃらに練習している姿を見ながら、心のなかではずっとひやひやしていた。
劇団のみんなの眼の色が変わったのは、直前、三日前くらいだと思う。
彼らはもはや、「天狼院のお客さん」ではなくなっていた。それぞれがひとりの役者として、存在していた。与えられた役を全うしようと、この「膝上29センチ以下の彼女」を最大限に面白く見せようと、本気になっているのがわかった。
本当に不謹慎というか、軽率なのだが、私はそんな彼らを見て、ああ、劇団、入ってみたかったかも、と思ってしまった。大丈夫かな、とうまくいくかどうかの心配をしてばかりいたにもかかわらず、だ。
自分だけおいてけぼりにされた小学生みたいな気分だった。劇団天狼院のメンバーは、苦しんで、悩んで、不安になって、それでもやっぱり、輝いていた。夢中になっていた。今目の前にある「劇団の成功」のために、全力だった。それは「努力」なんて簡単な言葉じゃ言い表せないくらいのエネルギーだった。情熱だった。
そしてやっぱり誰よりも、エネルギーを、情熱を注いでいたのは、今回演出をした天狼院のスタッフ、本山だった。
私はここでどうしても、彼女のことを知ってほしい。劇場に足を運んでくださった方々にはほとんど顔も見せなかったが、本山という若き演出家が、誰にも見えないところで、必死になって走り回っていたことを、どうしても知ってほしい。真っ黒の服を着て。黒子になって。自分を押し殺して。
私は、同年代の女の子を、こんなにもかっこいい、と思ったことはなかった。
本山と出会ったのは、初夏のことだった。
「新しく入ったから。女優やってる子だよ」、そう言って三浦さんに紹介された彼女は、前から話にきいていたよりもずっと、物腰やわらかく、ふんわりとしたイメージで、女優というからには気が強いんだろうなあ、なんて勝手に想像していた私は拍子抜けしたくらいだった。天然っぽいそのしゃべり方からは、劇団を主宰しているとはとても信じられなかったが、彼女が演劇に関わるとき、どんな風になるのか、見てみたいと思った。
驚いたのは、劇団天狼院旗揚げ公演の一ヶ月前くらい、たまたま劇団天狼院のイベントの時間に居合わせた私が、面白そう、という理由だけで参加したときのことだった。
「いよいよ当日が近くなってきました。本番に向けて、今日はビシバシ演技指導しますんで、ちゃんと付いてきてくださいね!!」
まず、彼女の声があまりに大きすぎて、私は度肝を抜いた。もともと綺麗なよく通る声だと思ってはいたが、こんなに大きくはきはきした声で話すのか!普段とのギャップにびっくりして、彼女をじっと観察してしまっていた。
演劇に関わる彼女は、本当に活き活きとしていた。演技に対するコメントも、わかりやすく、適確だ。そして何より、参加している人達を、演劇の世界に連れて行くのが抜群にうまかった。自分のやっていることに誇りをもっているんだろうなあ、と思ったし、なにより、本当に演劇が好きなんだなあ、と思った。彼女は自分がビシバシと厳しく演技指導をすることによって、自分がどう思われるかなんて全然考えていなかった。とにかく劇団を面白くすること、演じる人に演劇の世界に深く深く入ってもらうこと。それを一番に考えていて、その目標のためならどんなことをしても構わないと思っているようだった。
本山さん、すごい。
そのとき、彼女の「本気」に触れて、これまでの人生で演劇にはほとんど興味の無かった私も、当日がとても楽しみになった。もちろん、短期間でちゃんと成功するのか、と心配もしていたけれど。
本番が近づくにつれ、劇団の人達が、夢中になって輝いている一方で、不安になっていくのがわかった。当たり前だ。はじめての舞台、それもキャパ802人だ。緊張しないという方がおかしな話だ。
でも本山は、不安な顔を見せることはなかった。きっと彼女が崩れたら、劇団がすべて一気に崩れてしまうということがわかっていたのかもしれない。彼女はいつも「大丈夫、絶対に大丈夫」、そう言っていた。あいかわらずの大きな声で。
正直私は、本山さんって楽天家だなあ、と思っていた。
あんなにぎりぎりで、無茶な状況で、それでも大丈夫、と言い続けられる彼女の度胸がすごいと思った。
でも、当日本番になって。
劇団の受付をしていた私のところにきた、全身黒服の彼女の姿を見て。
あ、私、思いっきり勘違いしてた、と気が付いた。
彼女の顔には、明らかな、不安と緊張の色が浮かんでいた。
そこにはいつものような彼女の楽天的な笑顔はなく、まるで、補助輪をはずして、ふらふらと自転車をこぐ子供を見守るような、母親のような顔をした彼女がいた。
それを見て、私は、なんだか妙に安心してしまった。
本山さんも、ちゃんと、人間なんだ。
どれだけ本気でやっても、力をそそいでも、やれるだけのことをした、と思っていても。それでもやっぱり、勝負の日というのは、不安だ。それくらい情熱を注ぐからこそ、不安で不安で、仕方ないのだ。それが人間というものだ。人間らしさというものだ。
そういう暑苦しいくらいの人間らしさを持った彼女が演出する演劇なら、絶対に面白い、と私は思った。
そして、その彼女を、本当に美しい、と私は思った。
メイクもせず、ひっつめ髪で、真っ黒のセーターに真っ黒のズボンの、どう見ても裏方の彼女。きらきら着飾ってもいないし、女らしくもないし、寝不足で疲れ切った顔をしてはいたが、それでも私は、彼女が美しいと思った。
自分で主宰した劇団だ。本当なら自分だって女優として出たかったかもしれない。誰よりも目立ちたかったかもしれない。自分だって注目されて、ステージに立って、観客の拍手を浴びたかったに違いない。
でも彼女は、誰よりも目立とうというプライドを捨てた。自分が認められたいという見栄も捨てた。恥も捨てた。
とにかく劇団天狼院を成功させるために、彼女は自分が捨てられるものは、すべて捨てて臨んだのだ。
それくらい、本山は本気だった。
劇団が終わると、誰よりもはやく、撤収の準備をしていた。楽屋を確認し、公会堂の人と話して時間を確認し、荷物を運び、観客がいなくなると走り回って舞台を片づけて掃除をした。
そうやって汗をかいて、がむしゃらになる彼女は、美しかった。かっこよくて、強くて、凛としていた。
人の品性とは、見た目なんかよりも、そういうところに宿るのかもしれない、とそんな私と同世代の演出家、本山由美を見てぼんやりと感じた。
店主の三浦が、彼女は演出に向いていると言った理由が、少しだけわかったような気がした。
「正直、私は怖かった。すべてを見透かすように言う、店主が。でもそれならいっそ、見透かされてしまいたいとも思った。そうしなければ、一歩も前に進めないような気がしたのだ」
その台詞が、どうしても演劇を観たくて、受付が終わったあとにこっそりとドアの隙間からのぞいていた私を、どきりとさせた。心臓が跳ね上がるような心地がした。
三人とも、この台詞に魂をこめているだろうことがわかった。きっと何度も何度も練習したんだろうと思った。話しているのは同じ台詞のはずなのに、全部、違う風にきこえた。
それはまるで、私の気持ちを代弁しているかのようだった。
私も彼ら三人のように、誰にも言えない秘密を、本を処方して治して欲しい悩みがあるのだと、見破られたかと思った。誰にも知られたくない。自分が認めたくないからこそ、ずっと目をつぶって蓋をしてきた部分を、思いっきりつきつけられるのは、本当に怖い。今までの自分を全否定することにもなりかねないし、ともすれば、立ち直れなくなるほど落ち込んでしまう可能性だってある。
でも、私も彼らのように、救われたいと思った。
私も誰かに、私自身を見透かして欲しいと思った。私には、あの三人の気持ちが痛いほどよくわかった。お願いしますから、私を治してください。自分に嘘をつかず、他人とのあいだに壁を作らず、素直に、正直に、がむしゃらに生きたい、と思った。
そう、この演劇に魂をこめた、本山由美みたいに。
だけど、そう強く感じた瞬間。
ああ、もしかすると、この彼女の姿と、そして彼女とともに、最後まで走り抜けた劇団天狼院そのものが、私にとっての処方だったのかもしれない、と私は思った。
人がどう言うかはわからないが、少なくとも私は、「膝上29センチ以下の彼女」に心が救われた。次はどんな感情を私に与えてくれるのか、今からとっても楽しみだ。
みなさん、本当に、おつかれさまでした。
そして、どうもありがとう。
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近日、劇団天狼院旗揚げ公演「膝上29センチ以下の彼女」の上映会を開催する予定でございます。
今回日程が合わず参加できなかったという方、ぜひお越しくださいませ。
近々、情報を公開する予定ですので、しばしお待ちください。
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