まったく影響されていない誰かの文章に「似てるよね」と言われたときの悔しさと情けなさについて《川代ノート》
村上春樹の文章に似てるね、と言われたほうがまだマシだった。
なんでそんな、一回も読んだことない人の文章に似てるなんて言われなきゃいけないの。その人に「似てる」って言うなんて、なんかその言い方って、それって。
腹が立った。久しぶりに腹が立った。自分のなかにこれほどの熱があるんだとびっくりした。もちろん顔には出さなかったけれど、私はそのとき抱いたあの怒りの熱を、一生忘れないだろうと思った。
仕事だったか、プライベートだったか、もはやどんな経緯でその人と知り合ったのか覚えていない。ただ、それほど親密な仲ではなかったことは記しておきたいと思う。きっと今はもう、私の文章を読むこともないだろう。私の存在すら忘れているかもしれない。そのくらいの関係の人だった。
たまたまちょっと話す機会があって、当たり障りのない世間話をしていた。最近あの人ってこうですよね、ああ、たしかにそうですね。そんな話だ。中身も覚えていない。でもその流れでふいに、彼は言った。
「なんか、川代さんの文章ってあの人に似てますよね」
すんと、体の奥のほうにある芯が縮こまって固まったような感覚があった。相手はとくに悪気はないようだった。ただの世間話のひとつなのだ。別に犬の話だって近所のラーメン屋の話だってなんだってよかったのだ。でも私はそうだとわかっていても、相手になんら意図するところはないと理解していても、じわじわと湧いてくる熱をおさえることができなかった。
そしてその人は、ある女性ライターの名前を口にした。知っている名前だった。Twitterのアカウントのプロフィールを見たことがある人だった。ネットでバズった記事が広まってきて、4000件以上のいいねと、1000件以上のリツイートを見て、その魅力的なタイトルを見て、それで、その記事のリンクをタップしようとして──。
しようとして、結局、読まないようにしたその人の、名前だった。
なんで。
なんでそんなこと言うんだろう、と思った。どうしても理由を追求したくなった。理由なんかないってわかってるのに、でもやっぱりどうしてだと思った。別に理不尽なことなんて何ひとつないのに、猛烈な理不尽さを、身勝手にも感じていた。
意図したものじゃなく、世間話でふっと思いついたその話題が、たまたまその彼女の記事だったということも、余計に腹が立った。
「あの人の文章に似てる」なんて。
それを言っちゃったら、まるでその人のほうが物書きとして優れていることの、明確な証明みたいじゃないか。
それがもう、悔しくて悔しくてしかたなかった。でも何も言わなかった。平静を装って、へえ、そうなんですね、たぶん、名前くらいは聞いたことあるかな? うん、それならちょっと今度読んでみようかなあ。なんて、当たり障りのない返答をした。
名前くらいは聞いたことある?
うそだ。
知っている。ずっと前から知っている。
その名前を目にしたくないという気持ちが強いあまりに、かえってずっと脳裏から離れてくれないそれを、「名前くらいは聞いたことあるかもしれない」?
笑わせる、と思った。なんだよこれ。バカみたいじゃん。
別にこの人何も悪気ないのに。そうだった。私をいじめようとしている人なんて誰もいなかった。「似てる」と言ったその彼も、一度も読んだことがないその文章の書き手も。でも「似てる」と言われたその一言で、すべての感情が沸騰したように湧き上がっていた。
村上春樹の文章に似てるね、って言われたほうが、ずっとマシだと思った。
だって影響を受けている自覚があるからだ。べつに彼の文章に寄せているつもりはないけれど、昔から愛着を持って読み続けていれば、なんとなくリズムや言葉遣いが似てくる程度のことはあるかもしれない。それくらいなら納得できる。
でもそれは、相手が村上春樹だからだ。到底及ばないようなはるか彼方、見えない先にいる相手だからだ。もともと「届かない」とわかっているものに対して、人は嫉妬したりしない。
ああ、そうか。
嫉妬。
嫉妬、しているのか、自分は。
そうだった。嫉妬していた。猛烈に嫉妬していた。
会ったこともない彼女に、読んだこともない彼女の文章に、嫉妬していた。
本当はその場に私がいたかもしれないのにと思うと、心底腹が立った。
一歩間違えたら。ボタンがかけ違っていれば。私があなたのステータスを手に入れていれば。
わかっている。そんなことを言ってもただの負け惜しみで、相手には十分な実力がたしかにあって、私にはその場に到達できるだけの実力がなかった。それだけのことだ。なのに、なのに、なのに──。
私が、私こそが、「川代さんの文章に似てるよね」って、言われるほうになりたかったよ。
言われる立場にいたかった。「〇〇さんに似てますね」なんて絶対に言われたくなかった。
でも。
でも、私だってこれまでに、同じようなことを何度もしてきたじゃないか。
「〇〇の絵に似てるね」
「すごく声が〇〇っぽい!」
「この写真の雰囲気、〇〇さんの作品みたい」
悪気なく、幾度となく、そんな言葉を口にした。それはあるいは、褒め言葉のつもりだったかもしれない。最近話題のなんとかさんに似てるって言われたら嬉しいんじゃないかなと思って、何気なく。
でも、自分が言われてみてはじめて気付く。
自分が真剣につくっているものにたいして「似てる」って言われるのって、こんなに悔しいことだったんだな。
悔しいというのか、悲しいというのか、もはやよくわからなかった。この感情をどう表現すればいい。どの言葉を選べば。どんな表現で。どんな文体で。どうやって。ああ。
もしもそのずっと遠くにいる彼女ならば、どんな言葉でこの気持ちを書き記すんだろう。
なんて、猛烈に嫉妬している最中ぼんやりと、どこか冷静に、そんなことを考えていた。
❏プロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
ライター。 天狼院書店スタッフ。ライティング・ゼミ講師。東京都生まれ。早稲田大学卒。WEB記事「親にまったく反抗したことのない私が、22歳で反抗期になって学んだこと」(累計35万PV)「国際教養学部という階級社会で生きるということ」(累計12万PV)等、2014年からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店で働く傍ら、ライターとしても活動中。
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