本物の名曲は時に、経験すら錯覚させる《スタッフ平野のミュージック・ラボ》
記事:平野謙治(チーム天狼院)
そうなんじゃないかなって、ずっと思ってた。
疑いが、確信に変わる感覚。間違いない。やっぱり、そうだ。
ハッキリと、自覚した。
子供の頃より。高校生の頃より、3年前より、今。確実に……
涙脆くなっている、自分がここにいる。
なんでだろう? 不思議に思う。
一般に、大人より子供の方が、すぐ泣くイメージがある。
転んで痛いと泣き、欲しいおもちゃが手に入らないと泣き、何か気に入らないことがあると泣く。そんな子供を、何回も観てきた。多分自分も、そうだった。
……まあ当然、そんなことで泣くことは無くなった。
そりゃ、そうだ。いい大人が思い通りにいかないからって泣くわけにはいかない。
今涙を流すのは、そんな理由なんかじゃなくて。
作品を観て、泣くことが増えていると感じる。
映画やドラマはもちろんのこと、マンガや、ドキュメンタリーまで。コンテンツの受け手として、涙を流すことが圧倒的に増えた。
おかしいな。10年前は、そんなことなかったのに。
むしろ、冷めていたんだ。感動的なVTRを観て、スタジオで泣いている出演者たちに。
「何でこんなことで泣いているの?」、「自分たちの話でもないのに」、「その方が、好感度上がるから?」とか。うがった見方しか、出来なかったんだ。
純粋に、信じられなかった。涙を流すような理由が、見当たらなかった。
徳光和夫とか、柴田理恵とか、何でそんなにいつも泣いてるのって。
半ば腹立たしさすら、あったんだ。
それが今は、どうしてだろう。すぐに涙が、流れる。
感動的なシーンや、悲劇的なストーリーはもちろんのこと。頑張っている姿や、報われない想い、家族愛なんかを、目の当たりにした時。それはもうすぐに。
正直、泣いている人を見るだけで、同じように泣いてしまう。なんだかわからないけれど、泣けてくる。
あとは純粋に、美しいもの。美しいなと思っただけで、涙が出る時もある。
なんだこれ? 僕は一体、どうしてしまったのだろう。
どっかのタイミングで、涙腺がぶっ壊れちまったのかな。そんな風に、少し不安に思っていたけれど。
べつに心配することないって、最近気が付いた。
意外と、周りにたくさんいたんだ。大人になってからの方が、涙脆くなったっていう人が。
なんで、なんだろう。
落ち着いて、中学生の自分と、今の自分を比べてみる。違いは、どこにあるのか。考えてみて、浮かび上がる答えがひとつあった。、
そう。それは、経験の差だ。
僕ももう、25年間生きてきた。まだ若いと、人は言うかもしれないけれど。中学生の頃に比べれば、様々な経験を積んできたはずだ。
時間をかけて努力したけれど、報われなかったこと。反対に、大きな成功を収めたこと。
恋焦がれた人と、両想いになった経験や、酷い失恋。
仲間で何かを成し遂げたことや、対人摩擦によるストレス。
身内の死。大切な人たちとの、別れ。
この10年間だけでも、いろいろなことがあった。
同時に、様々な感情を味わった。
喜び、悲しみと言った、単純なものだけでなく。短文では言い尽くせないような、複雑な感情まで、いろいろと。
プラスも、マイナスも。その範囲は、大きく広がったように思う。
生きている中で、たくさんの感情を知った。
だからこそ、共感できる範囲が広がったのではないかと思う。
厳密に言えば、誰かとまったく同じ経験をすることはない。ひとりひとり、バックボーンが異なっているから。
だけど推測して、共感することはできる。自分の経験の中から、心当たりのある感情を探して。
「ああ。似たような思いを、自分もしたな」とか。「今あの人は、あの時の自分と同じような気持ちなのかな」なんていう風に。
周囲にいる人々はもちろんのこと。時に、映画や、テレビや、本の中の人に、思いを馳せるんだ。
感情移入が進むと、一体化する。誰かと、自分の境目が曖昧になって。気づけば同じように、感動したり、悲しんだりする。
結果、涙を流すことが増えたんだ。
そうだ。単に、泣き虫になったわけじゃないんだ。
僕らは経験に伴って、共感できるだけの材料を、無意識のうちに増やしてきた。人の痛みや、心情を、たくさん理解できるようになったんだ。そう思うと、なんて素敵なことだろうか。
抱えていた疑問の答えにたどり着き、スッキリとした気分に包まれた。
そうだ。僕は、正解に気付けたんだ。
……
……
……
……そう、半分は。
半分は、正解だ。
気づいてしまった。世の中には、この法則では説明できない、とんでもないコンテンツが存在していることに。
日本語ロックの先駆者のひとり。浜田省吾の、『I am a father』という曲がある。
世代じゃない。友達に教えてもらって、たまたま聴く機会があったんだ。
瞬間。僕は、衝撃を受けた。
なんて、いい曲だろう。
帰り道。TSUTAYAに寄って、すぐにCDを借りた。
家に帰りすぐ、CDをパソコンに入れる。音源を取り込み、部屋を真っ暗にして、もう一度聴く。
涙が流れた。大袈裟じゃない。音楽ひとつに、これだけの感動があった。何より衝撃だったのは。
この曲が歌っていることに、僕が経験したことなんてひとつもないことだ。
そりゃそうだ。この曲のタイトルは、『I am a father』。タイトル通り。そこに描かれているのは、一人の父親の思い。
僕には、子供なんかいない。ましてや、結婚すらしていない。
それなのに。どうして、これだけ胸が熱くなるのか。
不思議に思えて、仕方なかった。
ただ僕は、この曲を前に、なす術などなく。
こういうものなのだと。思い知る他に、なかった。
「本物の名曲は時に、経験すら錯覚させる」と。
僕がたどり着いた答え。それは、間違いなんかじゃない。似たような経験の方が、共感しやすいことは、確かだ。
だけど、より優れたコンテンツは、その法則すらも凌駕する。
その内容に心当たりなんて、ひとつもないのに。まるでその人に、成り代わったかのように。記憶や、経験などといったものには、関係なく。
あたかも自分自身の出来事であったかのように、次第に錯覚していく。
気づいたら、涙を流していたんだ。
あの時僕は、完全になっていた。家族のために日々闘う、父親の気持ちに。
理屈なんかを超越する、音楽に出逢うたびに思う。
ああ。僕は、死ぬまで音楽を聴き続けるだろう。
また圧倒される瞬間を、追い求めて。
浜田省吾の、『I am a father』。
全国の戦う父親に知って欲しいと、心の底から思う。
きっとこの上なく、励ましてもらえるから。
だけど、それ以外の人にも。ぜひ聴いて欲しい。
後悔は、させない。僕が、保証する。
確かに、涙脆くなったよ。それは、間違いない。
だけど経験も全くない、本来共感できないようなことでは。
そう簡単に、泣いたりしないって。
浜田省吾『I am a father』
◽︎平野謙治(チーム天狼院)
東京天狼院スタッフ。
1995年生まれ25歳。千葉県出身。ライブスタッフ歴4年。
早稲田大学卒業後、広告会社に入社。2年目に退職し、2019年7月から天狼院スタッフに転身。
学生時代には友人とのバンド活動に励む一方で、ライブスタッフとしても活動。
14,000人以上の契約社員の中で、80人程度にしか与えられないチーフの役割を務める。
小さなライブハウスから、日本武道館、さいたまスーパーアリーナまで、様々なライブ会場での勤務経験あり。
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