【日本一ミイラのいる街】「勝手に開けてはならない」禁断の扉。その向こうにあるものは…【山形県酒田市海向寺】【即身仏】《海鈴のアイデアクリップ》
勝手に入っちゃだめよ。小さい時、そう聞かされた場所がある。
それは、厳しい冬が終わり、春がやってきたころ。家族で花見に出かけた時だった。
いちばんの花見スポットといえば、あそこしかない。「日和山(ひよりやま)公園」での花見だ。
「山」といっても、そこまで標高は高くない。どちらかというと「丘」という表現が近いような場所。
たくさんの桜の木が咲きほこる下で、たくさんの出店が軒をつらねている。
どうしてそういう話の流れになったのかは分からない。
だが、幼心に、その話を聞いたときの私は、なにか神聖なるものの雰囲気を感じとった。
せっかく花見に来たというのに。
まだ小さかった私は、花見の楽しさよりも、その神秘的なものの存在に強く心を打たれてしまった。
私の中での花見の印象は、「それ」がいる場所、というイメージの方が大きく残っている。
当たり前だ。ふつうに考えたら、そんなものがこの世に存在できるはずない。
しかも、こんな住宅街のどまんなかに、堂々と「いる」だなんて。
花見から帰ってきても、私の心は、あの場所に置いてけぼりだった。
どうして、その存在になろうと思ったのだろう。
どんな気持ちで耐えてつづけていたんだろう。
この時代に生きている私には、とうてい理解できそうにない考えだった。
大人になり、故郷を離れた私は、初めて知ることになる。
「あれ」は、まったくふつうの存在ではないということ。
なぜなら、他の地域ではめったに見られたいものであったからだ。
故郷に帰るとき、今でも
あの場所には「あれ」がいる――
そう考えると、背筋がしゃんとする。どうしても、神秘的なものを感じずにはいられないのだ。
私の故郷である、山形県・酒田市。
そこは、日本で唯一、ミイラが2体、同じ寺に納められている街だ。
ミイラといっても、エジプトに見られるようなものとは違う。
エジプトなどで発見されるミイラは、死後、埋葬されミイラになる。もちろん、死後であるため、ミイラになる過程での苦しみはない。
しかし、私の故郷にいるのは、「自ら志願し、ミイラとなることを望んだ」者。
つまり「即身仏」なのである。
山形県は、全国でも珍しい即身仏のほとんどが集中して存在している。
そのルーツは、おなじく山形県にある湯殿山神社だという。
湯殿山は、「月山」「羽黒山」にならぶ、出羽三山のひとつである。
海向寺にいる2体は、約200年前に入定したとのことだから、ふつうに考えれば、時を同じくして対面できるなんてことはありえない。
修行僧は、食をおさえ、極限まで体重を落とし、厳しい修行を経る。
そして、土の中へともぐり、お経をとなえながら、静かに、静かに、即身仏へとなっていくらしい。
その過程は、想像を絶する凄まじさが感じられる。
暗くせまい土の中で、念仏をとなえつづけ、誰にも知られず、ひそかに絶命していくときの気持ちを、想像できるだろうか。
どうして、そうまでして即身仏になろうと思ったのだろう。
このような記述がある。
我が余生は 衆生済度のため
木食行に身を投じ 一切衆生の精神苦 病苦 解脱の杖となり
願いをかける者には すべての諸願を成就せしめん
-砂高山 海向寺
今では、自殺行為にあたるとして、即身仏になることは禁止されている。
しかし、人びとのためになろうと、みずから仏になることを選んだ姿には、強い志が感じられる。
現代ほど恵まれた時代ではなかったころの話である。飢饉や病気なども多かっただろう。
だからこそその時代に生きていた人びとは、いつ終わるか分からない短い生を、人びとのためにまっとうしようと、強い想いを持ち続けられたのだろう。
その気持ちを、現代の私も忘れてはならないと思う。
海向寺の即身仏は、ふだんは建物内に納められている。
しかし入館すれば、いつでも2体の即身仏にまみえることができる。
さらに毎年8月1~3日は、即身仏の御開帳する日で、特別に無料で拝観できるらしい。
心に強い想いをもって生きねば。最近、私はますますそう思う。
東京で、元気にちゃんとやっていきます。これからも。
報告も兼ねて、次に帰省するときは、かならずお参りしよう。そう決めた。
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