お前が幸せかどうか、決めるのは誰だ?〜月20万稼いでいた学生時代のこと〜《リーディング・ハイ》
記事:平野謙治(チーム天狼院)
違和感を感じたことがある。
向けられた、その眼差しに。
あれは、大学生の頃。当時の僕は、派遣会社でライブスタッフとして働いていた。
あくまで、アルバイトではあったのだけれど。学生にしては、かなり働いていたと思う。
朝から晩までフル回転の日も多く、長期休暇などで日程が空いていれば連勤もした。
少ない月でも10万円は、稼いでいた。
派遣会社の登録者数は、14000人。向こうから仕事に誘われるわけではなく、バイトが勝手に応募して現場へと向かうスタイル。
だから月に1回しか来ない人と、僕のようにバリバリ働いている人が混在していた。それぞれの働き方が、許される文化だった。
共通している点は、誰もが「名も無きスタッフ」であること。
現場で僕らは、「バイト君」と呼ばれる。個人の名前などは必要なく。ロボットのように、指示されたことを忠実にこなすことだけが求められる。
現場が終われば、「さようなら」。
二度と会わないスタッフもたくさんいるし、どっかで見たことあるような気がするけれど名前がわからない人ばかり。そんな環境で、働き続けていた。
「平野くん」
それは、働き始めてから半年が経過しようという頃。東京国際フォーラムで働いていた時のことだった。
休憩中、トイレに向かおうとした時。社員の村岡さんに、突然呼び止められた。
「僕のこと、知ってるんですか?」
狼狽えながら、僕は振り向いた。「名前が無い」のが、もはや当たり前になっていたから。自分という個人を、認識されていることに、驚きを隠せなかった。
「最近、よく入ってくれてるよね」
村岡さんは、頷いた。
僕に声をかけた理由。それは、今後もたくさん現場に来て欲しいとのことだった。
どうやら知らないうちに、働きぶりが評価されていたらしい。
「今後は個人的に誘うから、よろしく」
そう言われて、LINEを交換した。
今まで、誰にも見られていないと思っていた。それでも丁寧に、仕事をしてきたけれど。どうやら見てくれている人は、いたみたいだ。
この日僕は、いつもより張り切って仕事をしていたと思う。
働き始めたときは驚いたけれど、大抵の現場に社員は1人か、2人しか来ない。あとは全員、アルバイト。ウチの会社は、そうやって毎日複数の現場を回してきた。
滞りなく回すには、どう考えてもアルバイトの力が必要になってくる。それなのに、14000人いる登録者の中から誰が来るかは、毎回ランダム。考えてみれば、とても恐ろしいシステムだ。
だからこそ社員は、囲い込む。「使える」スタッフを。
僕の連絡先を欲したのも、そういう理由だ。僕は「使える」と、判断されたのだ。
ひとつの駒くらいにしか、思われていなかったかもしれない。
それでも僕は、嬉しかった。自分の存在が、認められたような気がした。
そこからは、より一層働く日々が始まった。
自分の都合で現場を選んで働くのではなく、村岡さんに呼ばれた現場に足を運んだ。
本当はこっちの方が、家から近いんだけどな。他の会場の募集を見て、そう思うこともあった。
でもせっかく必要としてくれているのだから、呼ばれた方に行こう。一瞬迷ったものの、声をかけてくれる限り、村岡さんの現場へと向かった。
わざわざ、僕を呼ぶくらいだ。大抵は人が足りていない、大変な現場だった。時には一日で15時間近く働いた。
それでも他のベテランスタッフたちを観て、仕事を覚えていき、次第に指示を待たなくても動けるようになっていった。働いた分だけ、自分の戦闘力が上がる感覚。それは、「やりがい」と呼んで差し支えないものだった。
そうして会社からの評価をグングン上げていき、一年後。
僕は、「チーフ」という役職を手にした。それは、14000人いる登録者の中で、80人程度にしか与えられない称号だった。
「おめでとう」
村岡さんから、緑のプレートが手渡される。僕はそれが、誇らしく思えた。自分が特別な存在になったような、そんな気がした。
緑のプレートを胸につけるようになってから、忙しさに拍車がかかった。
指示を待っていた、あの頃とは違う。指示が出なくても、率先して動いていた、この間までとも違う。
今ではもう、全体を見渡し、指示を出す立場。重い責任が、肩にのしかかっていた。
どこかしらでトラブルが起きれば、一目散に向かう。しくじったスタッフがいれば、すぐに代わり、何とか対応してみせた。
クライアントに、理不尽に怒鳴られるようなこともあった。それでも社員と一緒に頭を下げた。すべては、現場を滞りなく回すために。
気を抜ける瞬間なんて、滅多になかった。弁当を食べることもできず、持って帰ることが増えた。
それは、休憩が与えられなかったからではない。自分が、とらなかっただけだ。自分がそのセクションを離れることが、リスクだと判断したからだ。
何か起これば、責任を追求される。無事に終えることが、何より最優先だ。そのためなら、休憩なんて惜しくなかった。
働き方も、学生離れして来た。大手町での仕事を終えた24:00過ぎ、村岡さんと二人で機材搬入車に乗り込む。
車で向かうのは、次の現場である横浜。経費でビジネスホテルに泊まり、翌日6:00から働く。複数日続くイベントでは、連泊だってこなした。そんなことが、ザラにあった。
「平野さんって、学生なのに、めちゃくちゃ働いてますよね」
それは再び、東京国際フォーラムにて。
朝7時から休まず働いて、16時過ぎにようやく休憩所を訪れた時のこと。弁当をとって、席に着いた僕に、知り合いの学生スタッフがかけた言葉だ。
「そんなに稼いで、どうするんですか?」
「うーん、べつにどうもしないけど……」
なんと言ったらいいかわからず、僕は曖昧な表情を浮かべた。
彼の言葉が、賞賛の意味合いでないことが、すぐにわかったからだ。なんなら、ドン引きに近い。
「チーフの時給って、俺たちと100円しか変わらないですよね。それだけの差なのに、仕事量は倍以上。弁当を食べる時間もない。時間外労働もあるし、どう考えても割に合わない。
オマケに何か起きれば、めちゃくちゃ怒られる。よく、やってられますね」
口を挟む隙などなく、一気にまくし立てられた。
驚いて彼の顔をみると、しっかりと目が合った。
「ほんと、同情しますよ」
彼が僕に向けた、その眼差し。それは憐れみを、色濃く写していた。
「かわいそう」。本心からそう思われていることが、ハッキリと伝わってきた。
違和感を感じた。なんでだ?
なんで、そんな目で見られなきゃいけないのか。
「……いや、俺はさ」
言葉を紡ごうとした時、左耳にざらついた音が入った。トランシーバーだ。
それは本部からの指示。今すぐ、4階に来いとのこと。急を要しているのは、明らかだった。
「なんか呼ばれた。打ち合わせあるらしいから、4階行ってくるわ」
テキパキと弁当のフタを閉め、すぐに向かおうとする僕の姿は、彼の目にはどう写っただろうか。
そんなことはもう、気にしている余裕がなかった。
「……弁当、名前書いておきます。あとで食べてくださいね!」
休憩室を出て行く僕の背中に、彼が投げかける。振り向かずに礼を言った。
そうだ。あいつだって、心配してくれているんだよな。ありがたいよ。その気持ちは。
だけどさ。
さっきは、気分が悪かった。
かわいそう? そんなこと、思われる筋合いなんてない。
疲れるよ。プレッシャーだってある。休憩なんて、ロクにとれやしない。
時給にして、たったの100円? その通りだよ。そんなところに、価値なんか置いてない。
もっと楽で稼げる仕事も、あるかもしれない。けど僕は、ライブ業界が好きだし、その力になりたいと思っている。
だから責任のある仕事に、やり甲斐だって感じている。
それに誇りだって、持っていた。名も無きスタッフから、勝ち取ったチーフという役職。学生では、歴代で4人しかいないという。
べつに大したものじゃない。そう言われれば、それまでだけど。なったからにはしっかりやろうと。そう決めて望んでいた。
だいたい、本当に嫌ならとっくに辞めている。辛いこともある。当たり前だ。仕事なんて、そんなもんだ。べつにライブスタッフに、限った話じゃない。知っている。それだけじゃない。ライブの素晴らしさも。仲間たちと現場を成功させる喜びも。打ち上げで飲む酒の旨さも。知ってんだ。全部。その上でここに居続けることを、自分の意思で選んでいる。
憐れみの目を向けられる筋合いなんて、一切ないはずなんだ。それなのにあんなこと、言われたら。
「まるで俺が、不幸な奴みたいじゃんか……」
スッキリとしない気持ちを抱えながら、4階へと続くエスカレーターを駆け上った。
それもこれもすべて、3年以上も前の出来事。振り返る機会なんて、なかったのだけれども。
どうして今さらになって、思い出しているのだろう。
きっかけを与えてくれたのは、一冊の本。
あの日の感情が蘇ったのは、つい先日のことだった。
「この本、絶対に平野さん好きだと思って」
二週間前。最近東京に来たばかりの後輩が、一冊の小説を持ってきた。
お礼を言い、受け取る。天狼院でも随一の読書家の彼女が薦めるのだから、良い作品なんだろうなと思った。
しかも彼女は、ただオススメの作品を持ってきたわけじゃなかった。僕に合うだろうなと、わざわざその本を選んできてくれたのだ。
忙しさを言い訳に、最近本を読んでいなかったのだけれども。ここまでしてくれて、読まないわけにはいかないなと。帰りの電車ですぐに、読み始めた。
読み進めていって、わかったことがある。
この作品は、章ごとに視点人物が変わる。一見して、バラバラの人たちに見えるけれど。
よくよく考えてみると、そこには確かな共通点があった。
血の繋がりのない親子。婚期を逃した中年女性。病気で仕事を失った人など。
章ごとの主人公たちは、世間から「不幸」と決めつけられ、何かしらの生きづらさを抱えている。
自分らしく、伸び伸びと生きたいのに。世間の目が、なかなかそうさせてくれないような。閉塞感の中でもがく姿を見て、考えさせられるものがあった。
程度や、深刻さは全然違う。だけど僕の中では、クロスオーバーした。
「不幸な社畜」だと決めつけてきた、あいつの、あの眼差しが蘇ってきたんだ。
読んでいるうちに、当時の感情がフツフツと湧き出してきた。
あの日に戻って、もう一度あいつに会えるのなら、俺は何が言いたのだろう。
そうだ。思い出せ。あの時俺は、言いたかったんだ。
「大丈夫だよ」って。「憐れむ必要なんてないよ」って。だって俺は、幸せだから。自分で選んで、この職場にいるのだから。
お前の目に、どう写っているかなんて知らないけれど。不幸だなんて、思う必要はないと。
少なくとも俺は、自覚の中で、そう思っているのだから。そう、伝えたかったんだ。
幸せかどうかを決めるのは、他ならぬ自分自身だ。他人じゃない。今でも、そう思う。
しかしながら、「それでいい」と。「他人にどう思われてもいい」と、開き直って生きていくのは、時に困難だ。
僕ら人間は、社会的な生き物。集団が生み出す固定観念というのは、そこかしこにあって。
影響を受けずに生きていくことは、許されない。飲み込まれそうになることだって、一度や二度じゃない。
好きでもないブランド物を身につけたり、
ステータスのためだけに誰かと付き合ってみたり、
SNSで充実アピールしてみたり。「他人から見て幸せな自分」を、必死に演出してきた。
ついつい見栄を張ってしまい、かえって疲れたり、自己嫌悪に陥ることもある。
度々、疑問に思う。家が裕福じゃないから、不幸せなのか。
仕事が忙しくてなかなか休めないから、不幸せなのか。
彼女がいないから、不幸せなのか。
そんな風に、僕は思わないつもりだけれども。もし、圧倒的マジョリティの価値観が逆だったとしたら。それでも僕は自分の感覚を、信じ抜くことができるだろうか。
想像してみたら、怖くなったんだ。
だから感情が迷子になりそうな時は、落ち着いて考える必要がある。
これは自分の内側から出てきた、純粋な気持ちなのか。それとも「世間体」の影響から、生み出された気持ちなのか。
一概には、言えないだろう。それでも目を凝らして、見極めるべきだ。その中で何を大切にして、生きていくべきなのか。
『わたしの美しい庭』という作品は、そんなメッセージを僕の中に残してくれた。
だから僕も、問い続けたい。自分自身に。悩める人たちに。
あなたは幸せですか? 不幸せですか?
その答えは、どっちでもいいのだけれども。
その「幸せ」、もしくは「不幸せ」が、誰によって決定づけられているのか、
もう一度よく、考えてみてほしい。
この本の登場人物たちの人生をなぞりながら、ぜひ確かめてみてほしい。
凪良ゆう『わたしの美しい庭』(ポプラ社)
◽︎平野謙治(チーム天狼院)
東京天狼院スタッフ。
1995年生まれ25歳。千葉県出身。
早稲田大学卒業後、広告会社に入社。2年目に退職し、2019年7月から天狼院スタッフに転身。
2019年2月開講のライティング・ゼミを受講。
青年の悩みや憂いを主題とし、16週間で15作品がメディアグランプリに掲載される。
同年6月から、 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部所属。
初回投稿作品『退屈という毒に対する特効薬』で、週刊READING LIFEデビューを果たす。
メディアグランプリ33rd Season総合優勝。
『なんとなく大人になってしまった、何もない僕たちへ。』など、3作品でメディアグランプリ週間1位を獲得。
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