チーム天狼院

【コミュ障向け自己紹介】「これは私の名前ではありません」 ―店主の三浦さんが ❛のろちゃん❜ のイントネーションを ❛のろちゃん(タラちゃんと同じ)❜ に拘る理由― ≪のろチャンネル≫


記事:野呂

 

「はじめまして、‘のろ’と申します」

 

 

先日薬局でこんなものを見つけてしまった。

 

「ノロパンチ ウイルス除去」「ノロキンクリア 除菌」

 

去年までこんなの見たことなかったから、

おそらく今年の新商品であろう

これらの除菌のスプレーも、

そろそろ時期的に居場所を追われる頃だろうか。

 

苗字を用いて、悪口を言いなさい

というお題があったら、

「野呂」ほど簡単な苗字は他にないだろう。

 

ノロウイルス

 

のろま

 

呪い

 

うすのろ

 

野呂松人形(江戸時代の奇怪な操り人形:今これを読んでいるのが夜中なら、画像検索は避けることをお勧めします)……

 

連想する言葉は全て、汚い、鈍臭い、あるいは怪しげな負のオーラをまとっている。

 

いや、‘NORO’という音自体が暗い。

日本語の5つの母音のうち、「オ」の音は一番暗くくぐもっている。

それが二音続けて発音されて完結。

それぞれに当てられる子音も、NとR、

Oの暗さに、ぬるっとしたような、不快な質感が加えられる。

 

「野呂」から何かいい言葉を連想できた人がいたら、是非とも今すぐ教えてほしいものだ。

 

生まれた時から「負」を背負って20年生きてきたようなものだ。

 

もちろん、生まれてすぐの時は、まわりもみーんな「のろ」だから、気にしようがない。

近所で友だちができても「みさきちゃん」だから、気にならない。

幼稚園の年中の時もまだ「みさきちゃん」だった。

「のろ」という言葉から何かを連想するほどのボキャブラリーのない平和な世界で暮らしていたのだ。

 
その世界が崩壊したのは、幼稚園の年長さんになってからだった。
少しずつ、分かる言葉が増え、単純な言葉遊びが楽しいお年頃。
そして、ちょっといたずらを働くのが楽しいお年頃。
同じさくら組の男の子が「のろみさき」をこう呼んだのだ。

「のろまなうさぎ」

家に帰るなりお母さんに大泣きで飛びつく。
「ママ、つかさくんが みさのこと のろまなうさぎっていったのおおおおお」

でもお母さんは分かってくれない。
「あら、うさぎなんて可愛いじゃない」
そういう問題ではないのだ。
幼稚園の年長くらいの年の子どもにとって、
名前と年齢は自分の存在を証明する数少ない大切なもの。
名前を少しでも傷つけられることは、
自分の存在を傷つけられることのようにショッキングな大事件なのだ。

「のろって、おとうさんの なまえなんでしょ?
おかあさんは、おとうさんとけっこんするの、いやじゃなかったの?」

「おとうさんって、うまれてから いままで、ずーっと のろなんでしょ?
なんで いやにならないの? なんで おじいちゃんに おこらないの?」

でもお父さんもお母さんも、まったく気にしている様子がない。
そうか、大人というのはそこまで名前に拘らないものなんだ、という大発見をする。
とはいえ、私はまだ子どもだから、
「のろまなうさぎ」と言われては悔しくて泣いて帰る日々を送りながら、幼稚園を卒園する。

小学校に上がると幸い、普段は「みさきちゃん」に戻ることができた。
たまーに、喧嘩したりして、お互い心がすさんでいるときは、
かわいい暴言を言い合う中で「のろま!」などと罵倒された記憶もなくはないが、
(この頃はまだノロウイルスの存在はあまり有名ではなかった)
そんな時はこちらもかなり強気なので、あまり傷ついた記憶はない。

 

この頃の、今でも覚えている些細な思い出に、用務員のお兄さんがいる。作業服を着ていて、休み時間や給食の時間などに校舎と校舎の間に出ると、たまに会う、背の高い明るい男の人。名前も覚えていない。おそらく当時もよく知らない。その人が、私のことを覚えてくれていて、見かける度、「のろちゃん」と呼んでくれた。(今思えばなんとタラちゃんと同じイントネーション!)

最初は「のろ」という呼び名に過剰に警戒していたので、ムッとした記憶がある。

しかし、そのうちに、その人の言う人懐っこい「のろちゃん」が、なんだかとても可愛らしいものに感じられてくる。この人は私を傷つけたり、バカにしようとして「のろちゃん」と呼んでいるのではなくて、可愛がってくれているのだ、というのは少女のこれまた大発見であった。

何を話すわけではないが、その人とすごく仲良しでいたのを覚えている。用務員さんが変わってしまって、何も言わずにお別れしてしまったのがとても悲しかった。今、その人元気かな。

 

こうして小学1年生の私は「野呂」という苗字に対して、中立的になった。「野呂」という苗字は、たしかに「のろま」を連想するけれど、だからって絶対的に負なものでもない。お父さんやお母さんがさほど気にしないのも理解できるようになった。

 

年齢が上がるにつれ、名前に「ちゃん」や「くん」をつけるよりは、名前の一部を少し加工・変形させたニックネームをつけあうようになっていく。

 

そして小学校高学年になると、男女のちがいが少しずつ気になりだすのと同時に、互いを苗字で呼び捨てにしたりする。

 

だからなのか私も男の子にも女の子にも「のろー!」と呼び捨てで呼ばれるようになる。

 

……いや、だから、という割には、

なんだか乱暴に、文字通り呼び捨てられていたような記憶があるが、

それは果たして、

名前の語呂のせいなのか(苗字が二文字の人には共感してもらいやすいだろうか)、

粗雑に扱われるような性格と関係性のせいなのか。

(「のろ」の後の「-!」の語気の強さを考えると後者の可能性が高い)

 

下の名前で呼ばれることはめったになかった。

呼ばれても、ちゃんと反応できるか不安なぐらい。

皆、「のろ」、あるいはもう少し丁寧に「のろちゃん」と呼んだ。

 

だから、天狼院の最初の面接で、

「あだな、何にする? みんな、一番最初に決めるんだけど!」

と言われた時も、

「のろちゃん ですかねー」

「ええ~僕が ‘のろちゃん’ って呼ぶのー(笑) 変だよー(笑)」

と三浦さんに笑われてしまう。

天狼院の子たちはみんな、だいたい下の名前で呼ばれるからだ。

変って言われてもなー。

その日は「でもまぁ、いっかぁー」

と三浦さんは半ば不満そうだったが「のろちゃん」に決まった。

 

 

数週間後、

カフェ業務のシフトで、ピクルスのスライスをしていると、

三浦さんがお店に戻ってくるなり、

「決めた。‘ろちゃん(例のイントネーション)’にしよう」

と言うのである。

ろちゃん?! (笑)」

ロって……(笑)」

先輩スタッフの方々の笑いが聞こえる。

「え、なんでですか?」 「そのほうがなんかいいから(笑) ろちゃん。タラちゃんと同じ」

そう言って、その後何日かは、

「のろちゃんーじゃなくて、ろちゃん!」

ろ、の、あれどっちだっけ(笑)」

と、だいぶ長いあだ名で呼んでもらっていた。

「ほんとは、私自身どっちでもいいんですよー(笑)」

 

自分の名前にこだわりなんてない。

苗字に対しては絶望と割り切りを経て中立的になっていたし、

下の名前で呼ばれることもほとんどないから、おまけみたいなものだし、

代々引き継がれた苗字と、親がすごく時間と労力をかけて選んだ名前だけど、

世界にたった一人の私につけられた、特別で大切な名前、だなんて思いはなかった。

 

「あ、またろちゃんピクルス切ってるのー(笑)」

「そうなの(笑) 別にいつもってわけじゃないのに、

切るたびみんなに「また(笑)」って言われる(笑) なんでかな(笑)」

 

瓶詰になったピクルスを、半分はパニーニ用に薄くスライスし、

半分はホットドック用にみじん切りにする。

それぞれタッパーに入れ、「ピクルス ○月○日スライス」と書いた付箋を貼り、冷蔵庫へ。

そうなのだ。

どんなに深い意味や思いの込められた名前だって、

刻んだピクルスの入ったタッパーに貼られた、「ピクルス」という付箋のようなもの。

たまたまピクルスという名前で長年呼ばれているから、そう貼るだけで、

始まりがもし「トマト」だったなら、

あるいは外国に行けば、

新しい商品名で売られ、それが浸透すれば、

「ピクルス」なんて名前じゃなくなるはずだ。

 

名前なんて、物を指すラベルに過ぎない。

私の名前も、私をほかの人と選別するためのラベルに過ぎない。

 

数字じゃ少し味気ないけど、数字と同じ、私という人間を指す記号的な役割を持つもの。

 

特に知らない人の名前なんてもっとそうだろう。

 

その人にはその人の生活があり、人生があり、

笑ったり、何かに夢中になったり、悩んだり、失恋したり、

人間らしい活動をし、人間らしい心の動きがあるのだろうが、

名前にそれを伝える力はない。

自分の名前は、長年連れ添ったから愛着はあるが、

なにかであれば、なんでもよかったのだ。そう思っていた。

 

その考えが変わったのは、

高田郁さんの「みをつくし料理帖シリーズ」『八朔の雪』で、

主人公の澪が、幼い頃、水害で両親を失った時のことを夢で思い出してしまうシーンを読んだときであった。

 

 

場面が移ると、澪は父に背負われて、一面水路と化した道を渡っていた。明るいのは天を駆ける稲妻のせいか。横殴りの雨で視界がきかない、息もつけない。足元の水かさは増す一方で、一歩踏み間違えれば流れに飲まれてしまう。母が水に足を取られた。父が左手を伸ばす。届かない。泥水に乗って、材木の残骸や遺体が流れて来る。次の瞬間、容赦なく濁流が家族を飲み込んだ。

「澪!」

「澪!」

うねりの中、そう叫ぶ父と母の声だけが、はっきりと耳に届いた。

声のない悲鳴を上げて、澪は飛び起きた。全身に水を被ったように汗をかいていた。雨はまだ続いている。澪はがたがたと震える自身の身体に両手を回した。

享和二年(一八〇二年)七月一日、長雨で淀川が決壊、大坂市中でも夥しい数の家屋が水没、多くの死者を出した。塗師だった父伊助、そして母わかもその中に含まれている。

十年経っても、目の前で濁流に父と母を奪われた記憶は、澪の記憶の奥深く刻まれて、決して消え去ることはなかった。

「澪」

澪のただならぬ気配に、芳が身を起こした。屋根を打つ雨の音は、ますます激しくなるばかりだった。

 

 

この時の「澪!」という名前は、

決してその少女を指すラベルなんかではなかったはずだ。

 

濁流によって引き裂かれていく親子を繋ぎ止めようとする、綱のような役割。

流されながらも、離れぬように、めいっぱい伸ばした腕のような役割。

 

この時の「澪」という名前は、

恐ろしく悲しい思い出に身を震わせる少女を、

無力とはわかりつつ、優しくなだめ、

隣にそっと寄り添うような役割。

 

私の名前もきっとそう。

 

今までいろんな人との間をつなぎとめてきてくれたものであり、

今までいろんな人がそっと隣に寄り添うように投げかけてくれたもの。

 

私という存在を指して、そう呼ぶわけではないのだ。

 

私の名前は、私という人間を示す、私だけのものではない。

それまで、そしてこれから縁あって付き合っていく人たちみんなが共有してくれるもの。

 

そして、私のまわりの人の名前も同じく、

その人だけのものではなく、私のものでもあるのだ。

 

そう思うと、

三浦さんがあれだけ呼び名にこだわるのも分かる。

 

本人がどっちでもいいって言ってるんだからいいのに……

違うのだ。

私たちは、互いの名前で結ばれて、今後いろいろと付き合っていくことになる。

その結び目が、適当でいいわけがない。

 

 

春である。出会いの季節である。

自己紹介をする機会も多いだろう。

 

初めて会うその人は、

どんな性格で、どんなことが好きで、今までどんな人生を送ってきて、今どんな思いを抱えていて……

そんなこと、初見じゃ分からない。

 

人との会話に苦手意識を持っていたりすると、

会話を途絶えさせないようにと、その人についての質問をいろいろ投げかけて、

早く互いを知り、距離を縮めようと焦るかもしれない。

 

それで一番初めに聞いた「名前」は、それらの情報の二の次になっているようなことが私には多々あった。

 

しかし思い返せば、

小1のときの用務員さんがそうだったように、

三浦さんがそうであるように、

この仕事苦手だな……と思うバイト先で、辛くても続けられたのがそうだったように、

人に自分の名前を呼んでもらえるのは、

とても居心地がよく、

受け入れられているような、安心した気分になれるものだ。

自分が相手のことを知っているとか、

相手が自分のことを知っているとかはあまり関係がなかった。

きっと対人関係がうまくいっている人は、名前から相手を大事にする。

 

名前を大事にしてみよう。

これから会う人も、以前からの付き合いの人も、

互いの名前を、互いのものとして、大事にしてみよう。

そこからはじめよう。

 

 

ろちゃん」って、呼んでください。

イントネーションに迷ったら、タラちゃんと一緒って思い出してください(笑)

 

ご来店お待ちしております。

 

【今回の紹介本】

『八朔の雪』高田郁(角川春樹事務所)

途中にもあったように、八歳で両親を失い、天涯孤独に。故郷大坂を離れ、江戸の料理屋で、江戸と上方の味の違いに戸惑いながらも、まわりの人々に支えられながら、芯の強さと才能を活かして生き抜いていく。澪のひたむきさと、澪を囲む人たちのあたたかさ、おいしそうな料理の描写がとにかく心に沁みる連作時代小説です。

≪のろチャンネルの棚≫に置いてあります。


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