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虫歯の家はどこにある?


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:瀬川理絵(ライティング・ゼミ10月コース)
 
 
虫歯は歯の中以外にも巣を作るということを初めて知った。
 
ある休日の昼下がり。私は左の奥歯に鋭い痛みを感じた。なんとなく嫌な予感がした。
しかし鏡で口の中を見ても別段変わったことはない。ただ銀色のかぶせ物が左の奥歯に鎮座していた。しばらくすると痛みは引き、私は何もしない怠惰な連休へと戻っていった。
 
次の日の夕方、案の定私は歯医者にいた。
理由は左の奥歯が痛むからだ。しかも顎まで割れそうなのだ。
ここへやってくるまでには難航を極めた。最近の歯医者というのは、当日簡単に予約が取れないらしい。運よく予約をねじ込んでくれる親切な歯科医院が家の近くに見つかり、転がり込んだというわけだ。私は拍動する左顎の痛みと共に診療チェアの上でそわそわと歯科医師を待っていた。診察室の中は大きなモニターや素人にも最新式と理解できる名前のわからない器具が並んでいる。10分ほどした頃だろうか。
「お待たせしてすみません、歯科医師のTです」
私は診療チェアから期待を込めて振り返り、言葉を失った。
T先生には眉毛が一本もなかったのだ。そして眼光は鷹のように鋭かった。
……あ、帰りたいな。
そう思ったが、他に行く当てもなく左顎を放置する勇気もない。T先生は私から症状を聞き口の中を診察し、レントゲン室に送り込んだ。
「かなり進んでいますね」
レントゲンを見ながらT先生は渋い顔をしていた。銀の詰め物の下から虫歯が発生していたのだ。私は期待を込めてT先生に問いかけた。
「では先生。今から歯を削りますか?」
ここに埋蔵金が埋まっているんですよね?という期待値と変わらない熱を込めて聞いた。むしろそれくらい私の左顎は限界を迎えていた。お願いです。出来れば麻酔ありで私の歯を削ってください。T先生は鋭い眼光を私に向けた。
「残念ですが、あなたの虫歯は骨に炎症を起こしています。一度抗生物質で細菌を殺さないと治療が難しいです」
……虫歯が骨に炎症を起こしている?
先生はレントゲンを指さす。
「顎の骨まで黒くなっているでしょう。膿が溜って炎症を起こし、骨が溶け出しています。今削るのは逆効果です」
……骨、溶けてるんだ?
「今日は抗生物質3日分と痛み止めを処方します。いいですか、抗生物質は朝昼晩、必ず3日分飲み切ってください」
そして私は何も変わらない左顎と共に家に帰された。家に帰って処方薬の袋を開けると今まで見たこのない元気なピンク色のカプセルが9錠入っていた。嫌な予感は確信に変わった。
翌日、私は腫れた顎と抗生物質を持参して職場に出勤した。懲りないところは私の短所でもある。同じ失敗は必ず3回くらいする。
「それで、今これ飲んでるんですよ」
「これ抗生物質なの?」
仕事場の昼休み、懲りない私は貰った抗生物質をネタに昼ごはんを食べていた。顎に達した虫歯に加えてピンクの薬物はなかなかウケていた。こういう時笑ってくれる同僚の存在はありがたい。そんな中渋い顔の同僚が一人いた。
「どうしたんですか。めちゃめちゃ面白くないですか?」
同僚はぼそりとつぶやいた。
「俺、虫歯の治療したんだけどさ。実は詰め物で4万くらいかかったんだよね」
一瞬で静かになるランチタイム。人の突然の出費ほど面白いものはない。
「でも、保険効くんじゃ……?」
私は水を打ったように静まり返った職場で一人薄ら笑いを浮かべて聞いた。
「歯医者に言われたんだけど、保険の銀歯だと隙間から虫歯が出来やすくなるんだって。だから可能なら自費の詰め物のほうが良いって」
4万円は払えない額ではない。もう一度こんな苦しみを味わうなら自費のほうがいいのではないか。私は真剣に考え始めた。
しかし事態は急変する。その日私は顎の痛みがピークに達して仕事中に吐いた。さらに帰宅後、今度は右の奥歯を噛みしめると刺すように痛んだ。私はまたもT先生の歯科医院に急患で飛び込んだ。
 
1週間もしないのに二回も時間外で予約なしで飛び込んでくる上、顎にいっぱい膿を持って顎の骨の溶けている患者。どう考えてもお利口なイメージではない。私は気まずく歯科チェアの上で小さくなっていた。二本目の虫歯の発覚だった。
T先生は私の口腔写真を見てじっと考え込んでいた。
「違ってたらすみませんが、甘いもの、もしかしてお好きですか?」
「え?まあ。仕事の合間は飴をいつも食べてます」
「出来ればお勧めしません」
「でも、歯磨きしてますけど……」
T先生は首を横に振る。
「甘いものを食べる量と虫歯の本数は確実に比例します。皆さん、歯磨きしてるからいいでしょ?って言いますが、実は関係ないんですよ」
歯磨き関係ない。
「特に飴やチョコはなりやすいです」
溶けた左顎、二本の虫歯。私はもう自分が一生飴玉とチョコレートが食べれない体になったことを悟った。
「やめます」
「うん?」
「飴とチョコはもう二度と食べません」
34にもなって、この誓いを親でも何でもない赤の他人にするとは夢にも思わなかった。
 
ズボラな私もここまで来れば流石に歯医者にマメに通ったと思うだろう。しかし私はこの誓いの後二回も診療をすっぽかした。
1回目は疲れて横になったら窓の外は真っ暗になっていた。2回目は普段病気一つしない母が数年ぶりに熱を出し、看病していたらもうすっぽかしていた。3回目。私は手土産を持って超気まずい気持ちで歯医者に向かった。人の足はこうして歯医者から遠のくのだろう。手土産はせんべいにした。私は予約は守らないが誓いは守る患者だ。
 
その日、手土産の挨拶と左右の歯の治療を終えようやく詰め物の相談が始まった。
「詰め物なんですが、どうなさいますか」
しかし治療するのは二本。つまり治療費も二倍である。私は思い切って聞いた。
「今の状態ではどのようなものが保険、自費関係なく適していると思いますか?」
T先生はズバリ回答した。
「金歯かセラミック。……その次はまあ保険のものということになるでしょう」
聞きにくく感じたが私は食い込んだ。
「保険の銀歯は銀歯の下から虫歯になりやすいって、本当ですか?」
先生の顔色がスッと変わり、眉毛と同じくらい目の光が薄くなった。
「たしかに、自費の詰め物に比べてリスクは高くなります。しかし、これは国が定めている基準の治療。なので一概に悪いとは僕たちは言えないんです」
私はさらに思い切って聞いた。ビビりなのでお菓子の手土産を持ってきて本当によかったと思った。
「先生の個人的な意見として、銀歯の治療をどのように思われていますか?」
先生はううんと顔をしかめて腕を組んだ。
「もし僕が虫歯になってしまったら銀歯の治療は自分自身に行わないです」
衝撃を受けた。これは、食材を作っている人がこの食材は危険だから食べません。と言っているのと同じではないか。しかし私は現実に銀歯を入れていて、一ヶ月に二本の歯の神経を抜くという荒療治をしている。私は迷った末、左顎と右の上顎にそれぞれ金歯とセラミックを入れることにした。締めて10万プラス消費税である。こうして、虫歯菌は人の財布にも大穴を空けていった。
 
ちなみに余談なのだが私は甘いものが食べれなくなりすこぶる体調が良くなった。 全然疲れないのである。だからと言って虫歯が良い訳などない。
虫歯が歯の中以外にも巣を作る場所。それは人の財布、そして何より健康の土台の中だ。もしもズキンときたら要注意である。
 
 
 
 
***
 
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