自分の孤独に耐えられない人こそ、東野圭吾のこの代表作は読んだほうがいいかもしれない《リーディング・ハイ》
記事:kiku (リーディング・ライティング講座)
「自分の孤独ときちんと向き合ったことのある人は、とても強い。他人にどう言われても、自分の軸がぶれることがない」
どこの誰が言ったのかはっきりと憶えてないが、テレビでとあるタレントが
こう言っていた。
私はこの言葉を聞いたとき、胸にチクっとするものを感じた。
私自身もずっと心のそこで孤独を感じていたからだ。
一般的なサラリーマン家庭で生まれ育ち、何不自由なく暮らしていたはずだが、ずっと心のそこでは、もやもやを抱えていた。
何で私はいつも人と同じことができないのだろうか……
何でいつも孤独なのだろうか……
親に不満がないはずなのに、常に何かが不安で仕方がなかった。
私は小学生の頃、とにかく友達が少ない子供だったと思う。
人一倍、人見知りでいつもクラスの隅っこにいるような子供だったのだ。
クラスの中でも華のある人に私は常に憧れを抱いていた。
何で私はいつも隅っこにいるのだろうか……
なぜ、人とうまく喋れないのだろうか……
そう思っていた。
小学生の頃は、喋っている時にどもってしまう癖があり、
人としゃべることを躊躇している自分がいた。
言葉を覚えるのも、人一倍遅かったのだ。
クラスメイトと話していると、空気を読めずに、会話についていけなくなって、
いつも私は集団から外れていった。
何でうまくコミュニケーションが取れないのか……
幼心にもコミュニケーションの問題という傷が胸の奥に刻み込まれてしまった。
人と話しても、変な目で見られるのなら、自分の殻に閉じこもろう。
そう思った私は、小学校高学年からほとんど人と会話をしなくなっていった。
自分の世界に閉じこもって、自分を傷つけないようにしていったのだ。
人と話して変な空気を作るくらいなら、孤独のままがいい。
そんなことを思っていた。
高校に入っても私はとにかく集団行動ができなかった。
修学旅行に行っても、私だけグループ行動ができなかった。
グループの人たちの意見を尊重して、一緒に行動するということができなかったのだ。
なぜか、集団で行動すると、人との会話に神経を使ってしまい、
私はノイローゼ状態になってしまうのだ。
何で人と同じ行動が出来なんだろう……
私は子供の頃からずっとこの問題を抱えて生きてきたと思う。
とにかく人との会話のキャッチボールに苦手意識があったのだ。
飲み会の席などがとくに苦手だった。
大学生の頃など、特に親しい友人以外が来る飲み会には、とてもじゃないが参加できなかった。
飲み会が終わると同時に、ぐったりしてしまうのだ。
何であの時、話せなかったのだろう……
何でもっと会話を盛り上げることができなかったのだろう……
そんなことを頭の中でぐるぐる考えてしまい、脳みそが疲弊してしまうのだ。
3人ぐらいの席なら言葉のキャッチボールを取れるが、5人を超えた飲み会となると隣の人とどんな会話をしていいかわからなくなり、私はパニックに陥ってしまうことが度々あった。
飲み会のたびに、私はノイローゼ気味になり、神経をすり減らしてしまっていた。
人と話さないで、いっそのこと孤独に生きたほうがいい。
そうずっと思っていた。
そして私は家に閉じこもり、自分が大好きだった映画の世界に逃げ込むようになっていった。子供の頃から映画は好きだった。昔から映画をよく見る方だったが、大学生になると年間350本以上映画を見ては、映画という架空の世界に逃げ込むようになっていった。
この世界の中なら自分を傷つけずに済む。
そんなことを思っていたのだと思う。
心のそこではこんなんじゃダメだ。
もっと人と接するようにならなきゃダメだ!
とわかっていても私には陽の当たる場所に出る勇気がなかったのだ。
孤独のままがいい。
自分の殻にこもり、孤独を抱えたままでも生きていけると思っていた。
そんな時にふと、この本と出会った。
なぜか私はその時、この本を読まなきゃと頭の中で思ったのだ。
本屋で見かけるたびに、あまりのも分厚い本のため、いつかは読もうと思ってスルーしていた東野圭吾さんの「白夜行」。
私はその時、なぜかこの本を読まなきゃいけない……
そんなことを思ったのだ。
私はドラマ版の「白夜行」を中学生の時に、チラッと見ていたのを覚えていた。
初回放送の時だったろうか……
小学生の子供達が犯罪を犯してしまうショッキングな展開に衝撃を受けたのをうっすら覚えていた。
全話見ていたわけではなかった。
しかし、一話目の数分間が私の脳裏に異常にこびりついていた。
小学生達が罪に罪を重ねていってしまうあのシーン。
10年以上たった今でも、そのシーンが脳裏に焼きついていて離れなかった。
私はずっと、いつか原作を読んでみたいと思っていたのだ。
私は古本屋に駆け込み、人気作家の東野圭吾さん特集の棚から「白夜行」を手に持った。
家に帰った途端、ゆっくりゆっくり読んでいった。
それは哀しい愛の物語だった。
本当に哀しい物語なのだ。
ある罪を隠すために、罪に罪を重ねてしまう二人の男女が繰り広げていく
19年間の軌跡に私は夢中になりながら読み耽ってしまった。
こんなにも哀しい話だったんだ……
私は10年前に見たドラマ版のあるシーンを描いたページを読みながら感慨にふけっていた。
そして、あるページの一文が脳裏に焼き付いてしまった。
それは幼少期のトラウマから心を閉ざした主人公の雪穂が言った台詞だった。
「私の上には太陽なんてなかった。でも暗くはなかった。太陽の代わりになるものはあったから。太陽ほど明るくはなかったけど、私にはそれで十分だった」
どんなに暗闇を這いずり回るような人でも、太陽の代わりになるような明かりが必要なのだろう。
私はこれまでずっと真っ暗闇の孤独の中でも生きていけると思っていた。
しかし、人間はどんなに孤独を背負ったところで、太陽の代わりになる明かりがないと生きていけないのだ。
絶対に人は一人では生きていけない。
孤独に耐えられるわけがないんだ。
そんなことを私は感じた。
私はこの小説を読んでから、少しずつではあるが積極的に人と接するようになっていったと思う。
今でも人と話をするのには苦手意識があるが、一歩ずつだけども、人とコミュニケーションを取る時間を増やしていっているつもりだ。
孤独になるのは楽だ。
自分の殻に閉じこもり、自分を傷つけないで済むのだから。
しかし、どんな人も絶対的な孤独には耐えられないのだと思う。
太陽の代わりになるものが必要なのだ。
この小説に登場する二人の男女は、最後哀しい結末を迎えてしまう。
自分を影から見守ってくれた太陽が沈んでしまったら、彼女は生きていけるのだろうか?
私は読み終わった後も色々考えてしまった。
この哀しい愛の物語は私にとって大切な物語になった。
今でもずっと頭の片隅に、雪穂のセリフが残っている。
紹介したい本
「白夜行」 集英社 東野圭吾
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