生きている意味なんて、ないのかもしれないね。《スタッフ平野の備忘録》
記事:平野謙治(チーム天狼院)
不幸なことって、何だろう。
見渡してみれば、いろいろあるけれど。パッと思い浮かんだことが、ひとつある。
それは、「意味がないこと」。
自分のやっていることに、「意味がない」。
自分が生きている「意味がない」。そんな感覚は、間違いなく不幸と言えるだろう。
聞いたことがある。どこかの国では、犯罪者に罰として、穴を掘らせるという。
その意味など、何も伝えず。目的もわからないままに、とにかく穴を掘らせる。
そうして、丸一日かけて、ヘトヘトになりながら深い穴を掘った後。
看守は突然、こう告げる。「今掘った穴を、埋めろ」。
やっとの想いで掘った穴を、今度はせっせと埋める。また長い時間をかけて。
そうして地面が、真っ平らに戻った後、今度はこう告げるんだ。
「もう一度、穴を掘れ」。
おわかりいただけただろうか。
この指示に、意味なんて存在しない。穴を掘ることに、目的なんかない。
あえて言うとするならば、苦痛を与えること。それが、目的だ。
全く意味をなさない、無限ループ。
3日も繰り返せば、囚人たちは皆、気が狂い始めるという。
舌を噛み切って、自殺する者もいるという。
初めて聞いた時、思ったんだ。死刑より、エグいと。
意味がないことを、無限に強制させられる。そこには、生きていることの喜びなんて、これっぽちもなくて。
次第に生きている意味すら、見失ってしまうんだ。
これなら死んだ方がマシだって。そう、思うのだろう。
これは極端な例かもしれない。
だけど意味がないことは、それだけ不幸だと実感を持って思う。
駅まで必死に走ったのに、結局電車を逃して遅刻してしまった時。
一生懸命レベル上げしたゲームの、セーブデータが消えてしまった時。
手間暇かけて準備したイベントが、何かしらの要因で中止になってしまった時。
ああ。こんなことなら、最初から何もしなければ良かったなって。
頑張ったことに、意味なんかなかったなって。思い知る羽目になるんだ。
だからなるべく、意味があることをしたいなと思う。
それこそ、「有意義なこと」を。
その行動が、誰かのためになっていたり。
大きな目標に繋がっていたり。
自分の将来の、ためになっていたり。
そういった感覚を求めて、日々過ごしている。
だけど、同時に思うんだ。
意味を求めすぎることも、危険だって。
忘れもしない。あれは、10代後半の秋。
すべてが、どうでもよくなってしまった時のこと。
その電話は、急にかかって来た。
受話器をとった母親の顔が、険しくなる。
予想はついていたとは言え、悲しみの色は拭えなかった。
身内が、亡くなった。初めての、経験だった。
小さい頃によく遊んでくれていた、おじいちゃんの弟。
享年71歳。死因は、心筋梗塞だった。
お通夜の日。棺の中の、その顔を見た時。
初めて、理解した気がした。「死」とは、どういうことなのかを。
当然、知っていた。いずれ人は、死ぬということを。
だけど本当の意味で、理解していなかった。なんとなく自分も、周りの人も、ずっと生きているものだと、思ってしまっていた。
でもそんなこと、なかった。「終わり」は、確かにあった。
もう会えない。話せない。写真と、記憶の中だけの存在。
その記憶すら、年々薄れていく。忘れ去られていく。
そうして「死」を理解すると同時に、思ってしまった。
「どうせ死ぬのに、どうして生きているのだろう」って。
「いずれ死ぬなら、生きていたことすら忘れ去られるなら、何をしたって意味がない」って。
思いたくなかった。でも、思ってしまった。
何も知らないままで、いたかった。泣いたり、笑ったりを繰り返す、平凡で、でもたまに幸せなこの日常が。
いつまでもずっと、なんとなく続いていくって。思い込んだまま、過ごしていけたら良かったのにな。
でももう、無理だ。僕は、知ってしまったから。人が死ぬということを、理解してしまったから。
自分も、家族も、友達も。大切な人たち皆、いつか死ぬ。平等に。確実に。
これは、動かしようがない事実。避けられない運命なんだ。
そう思ってしまったが、最後。もう何をしていても、楽しくなかった。何も頑張る気が、起きなかった。
幸い、「自殺しよう」とかは考えなかったし、そんな勇気も持ち合わせていなかったけれど。
食事量も極端に減り、夜も眠れない日が続いた。何もせず、部屋の中で、漠然と「死」について、考え続けていた。
あの頃の僕は、間違いなく不幸だった。
生きることそのものに、意味を見出すことができず、無気力のままに毎日を過ごしていた。
そう、「あの頃」は。
生きる意味がないだなんて、今も思っているわけじゃない。価値観が変わる経験が、あれから何回もあったから。
中でも、最初のきっかけは、本当に些細なものだった。だけどそれは確かに、僕に変化を与えた。
あの時、あの作品に出会えて、本当に良かったなと。
今でも、そう思っている。
『弱虫ペダル』という作品を、ご存知だろうか。
アニメや、舞台にもなっている。知っている人も、多いであろう。自転車競技をテーマにした、作品だ。
当時の僕は、『弱虫ペダル』を知らなかった。
きっかけを与えてくれたのは、友人だった。
「これ本当に面白いから。絶対読んだ方がいい」。そんな風に、とにかく強くオススメされた。それでも気が進まない僕だったけれど。
「絶対後悔させない。俺が持っているやつ貸すから」と、半ば強引に渡された。
まあどうせ、何もすることもない。そこまで言うなら、暇つぶしがてら読んでみるか。
そんな軽い気持ちで、単行本を借りた。読み始めた、途端。
ページをめくる手が、止まらなくなった。気づけば次の巻、その次の巻と、一気に読み進めてしまった。
感情を強く、揺さぶられた。涙を流すシーンも、あった。
読みながら、思った。懸命に、生きること。それはなんて、美しいことだろうと。
作中の大会では、主人公たちのチーム、ライバルたちのチームが、鬼気迫るレースを展開する。
それこそ、命を削るような。そんな走りが、描かれている。
「1秒でも早く」、「少しでも前へ」。
強い意志が、躍動となって表れる。
目的はひとつ。「自分のチームを勝たせるため」。
胸が、熱くなった。涙が、溢れ出てきた。
こんな風に、生きることができたらなって。そう、思ったんだ。
わかっている。突き詰めれば、そこに意味なんてない。
たったのコンマ数秒。ライバルより速くゴールしたとして。だから、何だって言うんだ。何かを犠牲にしてまで、必死になる意味なんてあるのだろうか。
そう言ってしまえば、それまでだけれど。
だけどそこにはある。
命を削ってまで、呼吸できなくなるくらいに、ペダルを回してまで、
成し遂げたいと、思わせる何かが。
身体を突き動かす、何かが。
読んでいるこちらまで、有無を言わさずに、
納得させられる、何かが。
確かにそこには、あったんだ。
「漫画の話だろ」と言われれば、その通り。だけどそこに描かれているのは、あくまで人の感情。
少なくとも僕は、この作品に救われた。価値観を、揺さぶられたんだ。
意味は、あった方がいい。有意義に、生きていたい。
そう思う気持ちは、今でも変わらない。
だけど、どうせ死ぬから生きていても仕方がないだなんて、今は思わない。
懸命に、今を生きること。何かを成し遂げようと、必死に生きること。
それは、客観的な意味の有無なんかに関わらず。
ただひたすらに美しいことだと。今は、思っている。
むしろ、反対なんだ。
どうせ死ぬなら、限りある今を、美しく生きていたい。
そんな変化を、僕にもたらしてくれた。それが、『弱虫ペダル』という、この作品だ。
ちょうど、思い出す機会があったんだ。
それは、ついこの前のこと。好きな漫画について、同僚と話していた。
僕は当然、この作品を挙げた。そして話しながら、思った。「最近読み返していなかったな」って。
仕事終わりの、帰り道。電車内で、思い出していたんだ。この作品に出会った時のことを。
同時に、自分自身に投げかけてみた。
今僕は、懸命に生きることができているのだろうか、と。
「YES」とは言い切れない何かが、そこにはあった。
自分なりに、必死にやっているつもりだけれども。
そう。あくまで、「つもり」なんだ。
自分で作った基準の中で、一喜一憂しているだけ。
限界を越えようという意識などは、そこにはない。
果たしてそれは、懸命だと言えるのだろうか。
少なくとも、作中の主人公たちのような美しさなんて、今の自分からは感じられなかった。
もっと必死に、できるはずだ。
仕事ひとつとっても、そう。必死に考え抜いて、行動して。無我夢中で、誰かの役に立とうとする。
そういった本気の姿は、誰がどう見ても、美しいものだ。
その姿に、近づくために。できることはいくらでも、あるはずだ。
あんな風に、懸命に生きてみたい。そう思った、あの日の気持ちを忘れるな。
思い返していたら、胸が熱くなった。この躍動を、止めたくないと強く思った。
同時に、湧き上がる焦燥。「こうしちゃいられない」という気持ち。
気づけば僕は、走り出していた。駅から家までの、誰もいない夜道を、全力で駆ける。
そこに、意味なんてない。今はただ、走れ。走りたいと、お前が思うのならば。
そうだ。俺にはある。やるべきことが。やりたいことが。
ならば、生き急げ。時間を惜しめ。今、この瞬間を、懸命に生きてみせろ。
息が、切れる。膝が、痛む。バクバクと脈打つ、心臓。
しんどい。苦しい。それなのに今、これほどまでに、なぜ。
俺は、生きているって。
強く、そう感じた気がした。
◽︎平野謙治(チーム天狼院)
東京天狼院スタッフ。
1995年生まれ25歳。千葉県出身。
早稲田大学卒業後、広告会社に入社。2年目に退職し、2019年7月から天狼院スタッフに転身。
2019年2月開講のライティング・ゼミを受講。
青年の悩みや憂いを主題とし、16週間で15作品がメディアグランプリに掲載される。
同年6月から、 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部所属。
初回投稿作品『退屈という毒に対する特効薬』で、週刊READING LIFEデビューを果たす。
メディアグランプリ33rd Season総合優勝。
『なんとなく大人になってしまった、何もない僕たちへ。』など、3作品でメディアグランプリ週間1位を獲得。
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