チーム天狼院

多分私たちはもう、出会わない。それでも、永遠に続く。


記事:永井聖司(チーム天狼院)
 
※この文章は、フィクションです。

見とれていた。
そのことに気づいたのは、赤く染まった大きな瞳に、見つめ返されたからだった。

「なに?」

イヤがるわけでもなく、本当に不思議そうに、少し笑顔を浮かべながら、その子は私をまっすぐに見た。
キレイだ、と素直に思った。そして同時に、好きだ、と思った。
 
3週間前。
初めて教室にやってきたその子を見た瞬間から、この気持ちはずっと続いている。

5月下旬。
衣替え前の、ジメジメとした朝の日のことだった。
K中学校、2年2組。その空間に彼女が現れただけで空気が華やいだような、そんな気がした。

両親の仕事の影響で広島から転校してきたという彼女は、黒髪を腰の辺りまで伸ばしていて、クラスの全員が子どもっぽく見えてしまうような、大人っぽい雰囲気があった。私たちとは違う、前の学校の制服なんだろう黒の制服を着ているというのに、戸惑っている様子や、怯えているような雰囲気は一切ない。
『凛としている』という、この間どこかのマンガか小説で知った言葉はきっと、この人のためにあるんだ、と思った。

それでいて、好奇心旺盛な女子たちが話しかけにいってもイヤがるような素振りはなく、気さくに話をし、笑顔を見せる。私はその様子を、友だちと一緒に遠くから眺めていた。目が離せなかった。

6月になり、衣替えと同時に彼女は、私たちと同じ制服を着るようになった。それでもやっぱり、どこか雰囲気が違っていた。
笑顔を見せて話しているのにどこか、いつも薄いバリアを張っているかのような、距離感があった。
いじめたりいじめられたり、どこのクラスでもある問題の範囲外に、彼女はいた。自然と、彼女をターゲットにしようとする雰囲気はなく、クラスで起こっている問題に、彼女が深く関わることもなかった。

どこかの物語から抜け出してきたような、彼女の立ち居振る舞いや雰囲気に、私は引かれていた。

彼女を見かける度、目で追っていた。でも、彼女が見返しそうになったら、目を逸らしていた。彼女の姿を見かけたら、親鶏を追いかけるひよこのように、自然と後を追ってしまうことがあった。そして少ししてから、何をしてるんだろうとハッとした。

今まで、好きになった男の子もいた。それでも、こんな気持ちになったことはなかった。
どうしてこんな事になっているんだろう。
そう思う日々が、続いていた。
 
そんな中で、今日という日がやって来た。

授業で、東京都現代美術館に行くことになったのだ。
鑑賞の授業で、みんながみんな、思い思いに作品を見ていた。

私も最初は、友だちと一緒に回っていた。でもすぐに、その黒髪を目で追ってしまっていた。

誰とも交わることなく、1人で、一つ一つの作品を、じっくりゆっくりと見ていた。でもその姿に、寂しさはなかった。1人でいることが、美しくさえ見えた。
ほとんどのクラスメイトたちが、『わからないね』とか、『なんだコレ!』とか、言っているのに、彼女は何も言わず、ただただ見ていた。
クラスのみんなが次の展示室に移動してしまっても、彼女は自分のペースを崩すことなく作品と向き合い、見続けていた。

チラチラと、クラスの1番最後尾にいる彼女のことを見ながら、進んでいたときだった。

いつまで経っても、彼女が来ないことに気づいた。

そこまで大きくはない美術館の中で、はぐれることはないとわかっているからだろうか、先生が探しに行くような素振りもなかった。

私は、みんなの視線がそれぞれの作品に集中しているのを確認して、ジリジリと後ずさりをし、順路を逆走した。
 
そして、一つ前の展示室にいた彼女の姿を見つけて、見とれてしまった。

とある作品の前に立っている彼女の全身は、作品から放たれる赤い光によって真っ赤に染まっていた。大きな黒い瞳も黒髪も、白い肌も赤く染まり、この世のものではないような、不思議なオーラを放っていた。

その姿を見て、どうして私は彼女のことが好きなのか、ハッキリとわかった。

「なに?」

そんな時に話し掛けられてしまったら、私の口から、まともな日本語が出るわけはなかった。
3週間もあれば、簡単な受け答えをしたことはある。でも、それだけだった。目だって、まともに合わせたことはないのだ。
もしもSMAPのメンバーに話しかけられることがあったら、きっとこんな気持ちなんだろう、と思った。

「そのー、中々来ないから、大丈夫かな、と思って」

私の答えに、彼女はちょっと驚いた様子で、少し目を見開くのが見えた。

「大丈夫。時間は見てるから。それまでには行くようにするよ」

ちょっとの沈黙があって彼女から帰ってきた答えと声からは、言葉にはなっていないけれど、『構わないで』というメッセージを感じた。いつも彼女から感じている、薄いバリアだ。
『そう』と言って、みんなのところに戻ることも出来た。彼女の視線はもう作品に戻っていて、コチラを向いてはいなかった。でも、足は動かなかった。もじもじと、赤く染まった床を見て、彼女を見て、作品を見て、の流を何度か繰り返して、行きたくない気持ちを、表していた。

「……なに?」

何度目かのサイクルの中で目が合った時彼女は、ちょっと呆れたような笑顔を向けていた。その表情を見た私は、自分自身がとても子どもっぽいことをしているんだということを自覚して、恥ずかしくなった。ただ、彼女と同じように私自身も真っ赤に染まっているから、ほっぺたが真っ赤になっていることには気づかれなかっただろう。
そして恥ずかしい気持ちは、私に勢いをつけた。

「一緒に、回ってもいいかな? 美術館」

彼女から離れなかった理由の気持ちが、勝手にこぼれだしてしまった。普通だったら、『イヤだ』なんて言われることを気にして、絶対に言えなかったと思う。
まるで告白をしたみたいな気持ちで、さらに体が熱くなるのを感じたけれど、彼女に気づかれてはいないだろうか。

「いいよ」

少しの沈黙があって、彼女は顔だけをコチラに向けて答えた。

「私マイペースだけど。それで良いなら」

快諾、ではなかった。薄いバリアが消えないままの答えに、私は言ってしまったことを少し後悔した。
どう話を続けて良いのかわからず、その内に彼女がまた作品の方に視線を戻しているのが見えれば私は気まずくなって、彼女がそうしているように体を作品の方に向けた。

赤く光る数字たちが、そこにはあった。
1,2,3,4,5,6,7,8,9、と数字を刻み、9まで来た所で1回真っ暗になるという動きをする赤い光たちが、数え切れないほどに集まっていて、大きな四角形となり、人1人の体を真っ赤に染め上げてしまうような、強い光を放っている。音もなく、バラバラに動き続ける数字だけが、そこにはあった。
彼女を呼び戻しに来る前に見た時は、少し眺めただけで、終わってしまっていた。でも今、半分仕方なくではあるけれどじっくり見てみると、なんだか吸い込まれてしまうような感じがあった。
一つ一つの数字は、それぞれのリズムで数字を変えていっているだけなのに、隣り合う別の数字たちと、なにか関係性があるかのように見えてしまう。数字たちに意思なんてあるわけはなくて、プログラムされた通りに動いてるだけだろうに、何か物語や意味があるように、思ってしまう。
ずっと見ていたいと、不思議と思ってしまう作品だった。

「何に見える?」

そんな時だった。横から声が飛んできた。
驚いて顔を向ければ彼女の、赤く染まった目と、目が合った。

「え? えっと……」

彼女に見つめられているのと、アートの感想を聞かれているということのダブルでドキドキしてしまい、私は口ごもってしまう。
その間も彼女は、笑みを浮かべた柔らかな表情で、ゆっくりと私の答えを待ってくれていた。
でも私は、見つめられれば見つめられるほどに勝手に追い詰められていく。頭で様々な言葉を思いついても、こんなことを言ったら笑われるかもしれない、いやいやそんなはずなんてない! なんて言葉ばかりが浮かんできて、結局口からはまた、言葉にならない言葉を漏らしていた。

「わ、わからない、かな……」

時間にして10秒ほど経った後だろうか、私が結局言えたのは、それだけだった。
彼女は、その答えに何も言わなかった。肯定することも否定することも、うなずくこともなく視線を作品に戻し、口を開いた。

「私には、地球に見えるかな」
「地球?」
「そう、一つ一つの動いている数字が人間。数字は脈拍、かな。みんなバラバラに動いてるけど、集まると、大きな光になる。だから、地球」
彼女に言われて、改めて作品を見てみると、そうとしか見えなくなってくる。彼女の済んだ声で言われてしまうと、全てが正しいような気がしてしまうから、不思議だ。
「私には、ね」
でも彼女は、そんな私の考えなどお見通しとばかりに、『私には』を強調して、こちらを見る。何を求められているかは、すぐにわかった。
言って良いのか悪いのか、正しいのか正しくないのかわからずに、言葉が中々出てこない。唇が震えている。それでも彼女が優しくこちらを見て、背中を後押しするようにしてくれれば安心して、思ったことを言うことが出来た。
「私には、数字は生き物に見えた」
少しカタコトになってしまっていることが、変だと思った。でも、その事に気づけるぐらい余裕を持って、話ができている。
「人間だけじゃなくて、犬とか猫とか象とか、生き物全部のこと」
彼女は、私が話し始めるのを見ると、私の話の答え合わせをするように、作品に視線を戻した。
「1から9までの数字は、寿命。リズムが違うのは、それぞれの生きるスピードが違うからで、真っ暗になるのは、死ぬこと」
彼女が何も言わないのが、全てを受け入れてくれているようで、私の声は、少しずつ大きくなっていく。
「でもまた、別の命が生まれるから、また数字が動き出す! みたいな……」
途中で、一方的に話をしていることにようやく気づいて恥ずかしくなり、最後は尻すぼみになってしまったけれどそれでも彼女は何も言わず、最後まで話を聞いてくれた。

彼女は、何も言わない。
私の言ったことを確かめるように、ゆっくりと、作品を見ているように見えた。
数年前までやっていた、「ファイナルアンサー?」と司会者が聞くクイズ番組を思い出し、解答者はきっとこんな気持ちだったんだろうな、なんてことを思った。

「確かに、そうも見えるね」

彼女は作品を見つめたまま、少し笑顔を浮かべて、そう言ってくれた。言葉のトーンから、全てを納得してくれているわけではないことが、よくわかった。
それでも私は、認めてくれたことが嬉しかったし、やっぱり彼女のことが好きだ、と思った。

どうして、彼女を初めて見た時から引きつけられたのか。
彼女の強さに、憧れたのだ。

みんなと違う制服を着ていても、怯えた様子のない強さ。他の誰かの下につくわけでも、目立ってリーダーシップを取ろうとすることもなく、彼女は彼女のままで強く、存在感があった。喧嘩に強いとか言葉に強いとか、力で押し切るわけでもなく、ただただ彼女は、『強い』のだ。
作品を見ている彼女の姿を見た時に、そのことを強く感じた。
誰の意見に流されるでもなく、自分ひとりで作品と向き合い、作品について考えている。堂々と、作品に対する感想を人に言うことが出来る。
その強さが、カッコよかった。どんな芸能人よりもアイドルよりも魅力的に、私には見えたのだ。
 
 
こんなことを思い出すなんて、思いもよらなかった。
10年ぶりにその作品の前に立った私は、鮮やかに蘇ってきた思い出に、驚いていた。リニューアルはされたけれど、同じこの美術館の中で、私は彼女と一緒に、確かにこの作品を見ていた。
赤いデジタルカウンターで数字を刻み続ける作品、《それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く》は変わらずそこにあり、変わったことと言えば、私の身長が伸びたぐらいだ。

「若かったなぁ……」

当時のことを思い出して、小さく呟いてしまった。
思春期真っ只中だった当時の私は、人の顔色を伺い、自分の言いたいことを押し殺してしまう自分がイヤだった。いつも空気を読んで、でしゃばらないようにしていれば比較的平穏無事な学生生活ではあったけれど、そのせいで損な役回りになることも多かった。その度、どうして思ったことが言えないのか、何にビビっているんだろうと思っていたのだ。
そんな中で現れた彼女の存在が、私にとって強烈に魅力的に見えたのは、当然のことだったのだ。
道端で美しく咲くたんぽぽのように、彼女は何も飾ることがなく、そこにいるだけでただただ強く、美しかった。

「ん? なんか言った?」

聞こえてきた声に反応して横を見ればそこには、あの時の彼女と同じように、全身を真っ赤に染めた人がいた。私よりも一回り大きい、茶色の短髪の、彼氏だ。

「大したことじゃないよ、前に見た時のこと、思い出しただけ」
「前にも見たんだ、これ?」
「もう、10年も前だけどねー」

10年前のあの時、一緒にこの作品を見て、その後も2人で美術館を回った後、私と彼女の距離は急速に縮まった。なんてことはなかった。話す回数は増えたけれど、それは、憧れすぎていて話しかけられなかった私が、その他のクラスメイトと同列に、話ができるようになっただけのことだった。高校入学と同時に彼女が広島に戻ってしまえば特別やりとりをすることもなく、会ってもいない。

「何に見える?」

前を見たまま私は、彼に問いかけた。きっと、あの時の私と彼女と、同じ立ち位置に立っていたせいだ。

「え? うーん……」

彼は全く、絵に興味がない。今回も、彼がたまたま展覧会の招待券をもらったから、無駄にするのもアレだからと、来ただけのことなのだ。
「……野球、かな」
「野球?」

思いもよらなかった彼の答えに、私は思わず彼の方に顔を向けてしまう。

「いやだって、1から9って言ったら野球だろ? 1チーム9人で18人」
「18人以上確実にいるんだけど」
「監督とかコーチとか、後、観客!」

しどろもどろになりながら答える彼の姿に、私は思わず笑ってしまう。それでもやっぱり、あの時の彼女と同じように、思ったことをそのまま言えるのは良いことだな、と思う。
「生き物に見えた」という私の答えは実は、彼女の答えに影響を受けて、その場で急遽言うことを変更した結果だった。本当は最初、人間関係、とか言おうとしたのだけど、彼女にどう思われるかを考えてしまったら、言えなかったのだ。
それでも、言ってしまった後に彼女に認められてしまえば、それはそれで良かったんだろうと、今は思う。人の意見に左右されやすい、当時の私らしい答えだったと思う。

「ほら、次行こ、次」

自分の答えに恥ずかしくなったのか彼が、私の肩を軽く押す。

「もうちょっとだけ」

私は、足に力を入れて軽く踏ん張って、彼を制した。そのことに彼は、10年前のあの時、彼女が私を見たように少しだけ目を見開いて、驚いた様子だった。

「珍しく自己主張強めだな」

あの日あの時の彼女とのやり取りが、私の人生を大きく変えた、なんてことはなかった。

私はその後も変わらず、人の顔色を伺ってしまうし、人の意見に流されやすい。私自身の意見なんてろくに言えないし、彼に強く言われてしまえば、受け入れてしまうことがほとんどだ。彼女に憧れていたはずが、まるで近づいてる様子はない。

それでも、ふとした瞬間に、今日みたいに、彼女のことを思い出す時がくる。
私が憧れていた彼女だったらどうするだろう、どう答えるだろう、そう考えて、いつもと違う私になる時がある。
それは、大きな変化もない日々の中で、ちょっとしたスパイスのように、私の人生に刺激を与えてくれる。

私たちはもうきっと、出会わない。
それでも、彼女があの日、私に言ってくれたこと、そして一緒に過ごした日々の中で彼女が私に見せてくれた姿が、これからも時折、私の人生に関係し、影響を与えるんだ。その時々によって、意味を変えながら。
もう、直接的に連絡を取るようなつながりはなくても、私と彼女の関係は、永遠に続いていく。


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