【春から大学生と浮かれることなかれ】立教女子のカテゴライズ事情 みはるの古筆部屋
「大人になるとね、誕生日なんて嬉しくないんだよ」と昔母が言っていた。当時のわたしには到底理解できなかった。みんなから祝ってもらえるし、プレゼントももらえる。自分が生まれたその特別な一日だけは主役になれた。同級生より大人になった気がして嬉しい、と思っていたわたしはまだまだ子どもだった。
久しぶりに会う親戚のおじさんやおばさんには「未晴ちゃん、立派な娘さんになったねえ。この間生まれたと思っていたのに!」とよく言われる。いや、そんなわけ笑 タイムスリップしてるんじゃないんだからと思っていた。
だけど、
今は母が言っていた言葉の意味も、
親戚のおじさんとおばさんが感じていた時の早さも
よーーーーーーーーーくわかる。昨年20歳になったわたしはもう法律上でも大人になり、入学したのが昨日のことのように思える大学ではあろうことか3年生になろうとしている。
例えば、ある年齢に達すると年に名前がつくことがある。20歳はハタチと読むし、30歳になれば三十路と言われる。アラサーやアラフォーといった言葉もその類いかもしれない。もっと年齢が上がれば、還暦や米寿といった長生きしたことを讃える呼び名がある。大学に入学したばかりでまだハタチにもなっていなかったわたしは、年齢に沿った呼び名で呼ばれることなど自分にはほど遠い話だと思っていた。
しかーーーーし!!!!!
立教大学には、女子学生限定でその呼び名があった。その名前で彼女たちをカテゴライズすることで女としての価値を量るという、とても恐ろしいものだ。以下立教女子に入学した瞬間からつきまとう呼び名を紹介しよう。
1年生:華の1女(はなのいちじょ)
2年生:嫉妬の2女(しっとのにじょ)
3年生:仏の3女(ほとけのさんじょ)
4年生:屍の4女(しかばねのよんじょ)
ああ、もう見ただけで震えてくる。
大学生活は4年間しかない(大学院に進学するならまた別の話だが)その限られた時間とキャンパスという空間の中では当然1年生は最も若く、4年生は最も年上だ。だからって、こんな呼び名を付けなくても…… と思う。切実に思う。
わたしだって、いわゆる華の1女だったときは余裕だったのだ。あと1年、あと半年、あと3ヶ月は1女でいられる、と。しかし今はもう嫉妬の2女も終わりを告げ、仏の3女になろうとしている。なんてことだ。信じられない。
これを読んでいる皆さんは、3女(大学3年生)っていったって20歳そこそこでしょ? まだまだ若いとお思いだろう。しかし、大学という小さな世界で生きているわたしたちにはそんな一般常識は一切通用しない。学年が上がると共に呼び名が変わることがどれほど恐ろしいことかを、ぜひ理解していただきたい。そのために、今回わたしは1年生から4年生まで年齢でカテゴライズされる立教女子の生態と扱われ方を完全なる偏見込みで紹介していきたいと思う。
① 1年生:華の1女
立教大学に入学すると彼女たちは、途端に「華の1女」と呼ばれるようになる。文字通り、蝶よ華よと腫れ物に触れるかのように扱われ、大抵のことは1女だからといって許されるようになる。例えば、サークル等の飲み会の席で自分は法律的に飲めないし、飲まない酒を先輩に勧めても「1女の頼みだから」と大概の先輩は喜んで飲んでくれる。初めはそんな扱いに戸惑っている彼女たちも2ヶ月もすれば慣れ、自分たちは何を言っても許されるかわいい「華の1女」であることを自覚し、そのポジションを行使するようになる。
わたしももちろんその中のひとりであった。1年生のときに所属していたサークルでは1女であることをいいことに、何かにつけ先輩に奢ってもらうことが多かった。そして、何が怖いって1女はそれを計算して動いているということだ。同期の男子である1男よりも2男さんや3男さん、3女さんの近くに行って、服を褒めたり、話を聞いたりとかわいい1女を演じ、先輩が何かを買いに動くと「先輩! わたしにも!」とちょっとわがままに言ってみる。先輩は「しょうがないな」と言いながらも少し嬉しそうに奢ってくれるという寸法だ。
そんな誰にでもかわいがってもらえる、おいしいポジションの1女だが…… あるひとたちにだけは、良く思われていない。それは、
② 2年生:嫉妬の2女
ついこの間まで、かわいい1女として周囲と関わってきた立教女子は4月になると一気にその価値が暴落し「嫉妬の2女」という屈辱とも言える呼び名で呼ばれるようになる。2女が1女を良く思わないのは当然と言えば当然のことだ。だって、彼女たちが入学してくる前は「1女だから……」という枕詞付きで本当に何でも許されてきたのだから。しかし、新たな1女がはいり自分たちが2女になると逆に「お前はもう2女だから」と、あんなにちやほやしてくれていた先輩が自分たちに見向きもしなくなってしまう。
彼女たちにとってこの変化はとても辛いものだ。学年がひとつ上がっただけで、自分たちの対外的価値が下がるということを突きつけられるのだから。
そんな事実をなかなか受け入れられない2女は1女が嫌いになる。一方で、世間一般の女子が物心ついたときから必然的に訓練している、「忍法! 表面上では仲良しの術」をふんだんに使って、周りから見ると1女をかわいがる良い先輩を演じるようになる。そうでもしないと、同期の男子や3男さんからの評価がさらに下がりそうで怖いからだ。しかし、1女と必要以上に仲良くして一緒に遊びに行ったり、何かを奢ったりは決してしない。もし、そんな2女がいたら相当な物好きか八方美人以外の何者でもない。
そんな端から見るとちょっと見苦しい2女の行動を「自分にもそんな時期があった、懐かしいなあ」と見守っているのが、
③ 3年生:仏の3女
何をしても許される1女の時期を遥か昔に終え、立教内のニューヒロインとして迎えられる新たな1女に嫉妬していた2女としての1年を終えた立教女子は、次に「仏の3女」と呼ばれるようになる。
3年生になった立教女子はゼミやサークル、バイト先といったあらゆるコミュニティーで自分たちが最も年上というポジションに追いやられることになるだろう。そうなってくると、年齢が1つや2つしか変わらない後輩たちがすべて「世間知らずの赤ちゃんのように見えてくる現象」が起こるのだ。まさに静かに見守ってくれる仏様状態。
だから、1女という自分のポジションを駆使して得をしている彼女たちを見ても、そんな1女に嫉妬心を燃やしている2女を見ても、何も感じなくなる。要は、「ちょっと大人の良いお姉さん」になるのだ。3女にもなると、同期の男子や4男の先輩と1男や2男といった年下男子への関わり方を変えることができるようになる。1女のときとは違った意味で自分のポジションを自覚し、それを行使することができるようになるということだ。
年下男子には、頼りにされるお姉さん的自分を
先輩男子には、いつまでも何もわかっていないかわいい後輩を
同期の男子には、何でもそつなくこなすできる女を
見せるようになる。
周りからの評価や価値を気にせず、自分を全面に出すようになった3女として1年間過ごした彼女たちは、ついに大学生としては最後の年を迎えるようになる。
④ 4年生:屍の4女
大学卒業に必要な単位数をほとんど取り終え、ゼミやサークルを引退した彼女たちはいよいよ就活に力を入れ始めるため大学に来なくなる。そんな彼女たちは4月からはいってくる1男や1女にとっては見たこともない、雲の上の存在だ。だから、「ゼミ(またはサークル)の4女さんは美人で優秀なひとが多いらしい」とかいう根も葉もない噂が立つようになる(ちなみに、わたしのゼミの4女さんは本当に美人で優秀なひとばかりだったから驚いた)
屍というのは、死んだひとのからだという意味らしい。屍の4女というと聞こえは悪いが、実際会ったこともない4女を表すには丁度いい呼び名なのかもしれない。すでに死んでいる歴史上の偉人に、ああでもない、こうでもないと妄想を繰り広げるように、4女に対しても1女や1男は様々な理想や妄想を押し付けるということだ。
こうして、立教女子は入学した瞬間から4年間を通して自分たちの価値を量られる呼び名で呼ばれることになる。
1年生:華の1女(はなのいちじょ)
2年生:嫉妬の2女(しっとのにじょ)
3年生:仏の3女(ほとけのさんじょ)
4年生:屍の4女(しかばねのよんじょ)
ああ、なんて辛いのだろう。恐ろしいのだろう。
わたしはもう1女のように華やかでもなければ、2女のように年下と張り合う気もない。そんな彼女たちを「かわいい後輩だな」と高みの見物する3女になる立教女子だ。
確かに、昔母が言っていたように年を重ねるだけになった誕生日は嬉しくなくなったし、まるでタイムスリップをしているかのようにときが過ぎるのが早い。そう感じる度に「そっか、わたし大人になったんだな」と思うようになった。
春休みが終わればまた1日の半分以上を過ごすことになる小さな世界、立教大学。その小さな世界で自分たちの価値を必死に守ろうとする立教女子。
4月から晴れて3女になるわたしは、わたしが見てきた先輩立教女子のように周りからの評価や価値を気にせず、自分を全面に出すことができる女性になりたい。
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