パンを1日20個も食べる過食症だった私が飢えていたのは「食欲」ではなく「コミュ欲」だった《海鈴のアイデア帳》
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天狼院書店の山本です。
もし、道端を歩いていて、いきなり歩道につけた車から、メン・イン・ブラックに出てくるような全身真っ黒のスーツの男が降りてきて
「しーっ、怪しい者ではありません。騒がないで聞いてください。実は、地球外生命体があなたの頭の中に乗り移って、あなたの知らないところで操作をしているのです。応急処置をほどこさなければなりません。すぐに車に乗ってください」
という展開に出くわしたとしても、信じろというほうが難しいかもしれません。
けれど私は、きっとその車に乗るでしょう。いきなりそんな場面がやってきたとしても疑いません。
それくらい、当時、自分で自分のことがわかりませんでした。
朝と夜の冷え込みに悩まされ、冬の足音が聞こえてくる、この季節。
いつも、ふと思い出すのです。
あの頃の生活は、今考えても明らかに異常だったなあ、と。
単刀直入に言うと、私は「過食症」になっていました。
医者にかからなかったので、診断をされたわけではありません。ですが、大辞林で見てみると「過食症」の説明について、こうあります。
【過食症】
食物を食べ過ぎたり、食べ始めると止まらなくなる症状(大辞林より引用)
まさに、私は、一晩にパンを10個、ときには20個も胃に放り込むことでストレスを発散するような日々を過ごしていました。
いちど食べ物を口にしてしまうと、永遠に何かを食べ続けなければ気が済まない衝動に駆られていました。
はじめは「確かにちょっと今日は食べる量が多かったかもしれないけど、今日だけ、今日だけ。明日になれば普通に戻るさ」くらいの気持ちでした。
けれど、一人暮らしの冷蔵庫にみっちりと保存してあるパンの山は一晩でみるみるうちになくなり、次の日には新しいパンで中はいっぱいになっていました。これで最後、これで最後と思っても、冷蔵庫を開け、口に放り込むのをやめることがどうしてもできないのです。
それは大学に進学し、はじめて迎える19歳の冬の日のことでした。
ある日突然、私は、ふっ、と授業にもサークルにも出かけていく気力をなくしました。
授業では格別に目立つわけでも、日陰でもなく、いたって普通に参加。サークルは、大学生活のほとんどを捧げるような風潮のところに所属したので、週7日は通う生活をしていました。はたから見れば、順調に「大学生活、謳歌中!」というように見えていたと思います。
授業とサークル、ときどきバイトを往復する、典型的な学生生活。毎日のように夜遅く帰路につき、人でごったかえす池袋駅で乗り換える。構内のこもった匂いに気持ち悪くなりながらも、なんとか日々をつないでいました。
そして11月、サークルで外部とのおおきな大会に全力を注ぎ終えた、ある日のこと。
本当に、突然でした。
「あ、私、こんなことしてて、何になるんだろう」
自覚してしまったら、それが最後でした。
きわめて不気味なくらい、すべてのことに気持ちが引いていったのです。さーっと波が引いていくように、あれだけ毎日行っていたサークルも、大学の授業も、行く気力をなくしました。
電池が切れたように、私は、授業にも行かず、サークルにも行かず、家に引きこもりはじめました。
元来、まじめで完璧主義な性格だった私は、周囲からの期待には応えなければならないと強く思う節がありました。それは、人間関係においても同じことでした。
周りから求められている「私」というキャラに、いつも無理をしてボリュームを合わせていたのかもしれません。「大学生活、謳歌中!」という見かけを保つために、私は周りに合わせ、付いていこうと必死に食らいついていました。無意識に、ストレスを抱えていたのだと思います。
サークルにも授業にも顔を出さなくなった私の、唯一の外との接点は、余ったパンをもらえるので食費が浮くという理由ではじめたパン屋のアルバイトでした。
律儀にたくさんシフトを入れていたアルバイトの時間は、救いでした。「おはようございます」と挨拶をし、人とパンの山をさばいていればいい。何も余計なことを考えなくて済むのです。
いつも頭を占めていたのは、私には何かが足りていない、という焦燥感でした。
大学やサークルでは、周りの友達は、いつも心から楽しそうにしていました。
私も一緒になって笑い、話をするのですが、心のどこかで「笑っている自分を一歩離れて見ている自分」がいることに気づいていました。
頭も切れて、成績も良くて、容姿だって良くて、それで帰国子女なんていう人たちが、大学にはゴロゴロ転がっていました。上には上がいるとは、まさにこのことでした。周りの人たちはみな自信を持って目の前のことに全力で打ち込んでいる姿が、眩しすぎるくらいでした。この人たちと私は何かが違う種類の人間なんだという気持ちに、常に追いかけられていました。
けれど、家に引きこもっていくら考えたところで、「私が本当にしたいことは何だろう」とか「そもそも、どういう時に私、楽しいと思うんだっけ」という疑問の答えは、出ないのです。
訳のわからないモヤモヤのはけ口は、「食欲」という形で表れはじめます。
アルバイト先でも、ひずみが徐々に出はじめました。以前はパンを2、3個だけ持ち帰っていましたが、徐々に、大きなビニール袋2つも3つにも膨れあがるようになりました。
「……ずいぶん持ち帰るんだねえ」
バイト先の人の驚いたような声にも、
「サークルのみんなに分けてあげようと思って」
と、嘘をつきました。
あくまでも、爽やかに、にこやかに。
そして、自転車のカゴに溢れんばかりのパンを載せ、一人暮らしの家に着き、ドアを開けた瞬間から、私は「食欲」に取り憑かれるのです。
一心不乱に、持ち帰ってきたパンを口に運ぶ。お腹が苦しくなっても、どんなに味に飽き飽きしても、目の前のパンをぜんぶ片付けるまでは、虫が収まりませんでした。
食べている間は、何も余計なことを考えなくて済みます。お腹が満たされているぶん、私の欠けているものも満たされているような気がするのです。
けれど、すべて食べてしまうと、襲ってくるのは後悔の波でした。
苦しい、お腹痛い、もったいない、ばかだ、何をやってるんだ自分は。
そのうち自己嫌悪も面倒臭くなって、考えるのを放棄し、眠る。
朝が来ると一番に「何かを食べなきゃ」という衝動に駆られる。
コンビニで何かを買ってくる。
口に運ぶ。
食べたあとで、後悔する。
後悔して後悔して、時間が来てアルバイトに行く。
アルバイトがなければ、ひたすら眠る。眠っていれば、食欲にさいなまれることもないのです。
そしてまたバイト帰りにはビニール袋いっぱいにパンを抱え、冷蔵庫に放り込む。
今日はもうやめよう、やめようと思っても、冷蔵庫を開ける手が止められない。
口にパンを運ぶ一瞬手前、毎日まいにち、私は私を諦めるのです。
「もう何もかもどうでもいいや」と、本気で思うのです。
春休みの期間に入ると、いよいよ食欲に追われるだけの日々になりました。さすがにやばいとは思いつつ、誰かに打ち明けることもできませんでした。そんなに落ち込むなんて、私のキャラではないと本気で思っていました。
「今日で最後、明日には普通に戻ってるさ」と言い聞かせても、同じ過ちの繰り返し。どうしてこんなに食欲に悩まされなければならないのか、分かりませんでした。
気づけば、しばらく人と普通の会話を交わしていませんでした。
常に考えているようで、本当は何も考えていないような、うつろな思考の日々。今が何日で、何曜日なのか、感覚がなくなっていきました。すりガラスの向こうから世界を見ているようでした。
いつしか「自分が何をやりたいのか」や「何をしていきたい」という考えを巡らすのも、どうでもよくなっていました。ボロ雑巾のようになりながら、部屋とバイト先を往復し、まともな会話すらしないような生活。体調も悪く、気分もいつも優れず、胃もやられていたと思います。
……いよいよ、私もうだめかも。
本格的に自分の身を案じはじめた頃でした。
たまたま、放置していた携帯の画面が目に入ったのです。
届いていたのは、一通のメールでした。
「最近、どう?」
友達から送られてきた、本当に、なんでもない、普通のメールでした。
その文字を見た瞬間、コップから水がふっと溢れるかように、私の中で何かが臨界点を超えるのが分かりました。考えるより先に指は動き、文字を入力していました。
「久しぶり。ご飯、行かない?」
すぐの日程で約束を取り付け、私はその子と、大学の近くのカフェで落ち合いました。そして、本当に久々に、誰かと、普通の会話をしました。
連絡をする感覚が空いていたにもかかわらず、その子は、いつもと変わらず、おだやかに話を聞いてくれました。
異常な食生活をしていたことはその場では打ち明けませんでした。その代わり、「ちょっと、いろいろ悩んでてさ」とだけ伝えると、何かを察したようで、「そうだろうと思ってた」という顔をしました。
久々にちゃんと口を動かしたので、喉を使う感覚に違和感がありました。考えることを放棄していた頭は、モヤがかかったようでハッキリとしません。それでもできる限り、頭を回転させました。
最近あの子が会計士を目指して学校に通いだしたよ、とか、あの子は別のサークルで頑張ってるよ、などといった取り留めのない会話からはじまりました。だんだん将来のこと、進路のこと、何が正解か分からないし、どうすればいいのか分からないよ、私はどうしたらいいんだろうと、今まで取り繕っていた不安を吐露しました。直前まであれだけモヤモヤしていたのに、口に出した瞬間に、それは大したことのないように思えました。
そうして胸の内の不安を潰していき、一通り話をしたあと、私の口から飛び出したのは予想もしていなかった言葉でした。
「……話しただけで、本当に救われた。ありがとう」
あまりにも口が先行して動いたので、最初、自分が何を感じてその言葉を発したのか分かりませんでした。
……そうか、そうだったのか。
そのとき初めて、私が永遠に何かを食べ続けていないと気が済まなかった原因が、はっきりと分かったのです。
私が本当に悩まされていたのは「食欲」ではなく、「コミュ欲」、つまり「コミュニケーション欲」だったのです。
私は、自分の考えていることを受けとめてくれる人、誰かと考えを交わすことを、心から渇望していたのでした。
それなのに、周りについていこうと必死で、心の内にある不安や焦燥まですべて見ないふりをしつづけていたのです。「周りと自分は違う種類の人間だ」と思っていたのは、私が勝手に差別をしていたようなものでした。自分ができないことを認めたくない、代わりの言い訳として、都合よく解釈していたのです。
古代ギリシャより、アリストテレスは「人間は社会的動物である」と言っています。それまでの私は、完全にコミュニケーションというものを舐めていました。往々にして、人間は人との関わりの中でないと生きられないのだということを実感しました。
今でも、訳もわからずモヤモヤしている状態というのは、たいていの場合、自分の気持ちを吐露できていないことが多いのです。「コミュ欲」が満たされていないと、私の場合「食欲」という形で、反動が現れやすい傾向にあるのでした。
飢えの原因に気づくことができた私は、その日を境に、一気に普通の私に戻っていきました。
何を変なプライドに縛られていたのだろうと気づいてからは、無理に肩肘を張らず、のびのびと生活ができるようになりました。授業に行き、サークルにも復活しました。周りの友達が何も変わらずに迎えてくれたのも、救いでした。
あんな大量のパンを持ち帰り衝動的にお腹に詰め込んでいた日々は、やはりエイリアンが私に乗り移っていたのではないかと、今でも思います。
けれどそのエイリアンのおかげで、「お腹が減ったな」と感じたとき、それが本当に、生命活動の維持に必要なための食欲なのか? それとも、コミュニケーションが足りていない状態から発生する代償の欲なのか? 立ち止まって確かめるようになったのです。
私の中で、「食欲」はグループの親玉みたいなものでした。
三大欲求以外のいろんな欲たちは子分です。たとえば「コミュニケーション欲」が
「おやびん、こいつ、俺っちのこといじめてくるんです。なんとかしてくださいよぅ」
と懇願すると、リーダーである「食欲」が、誰よりも先に出てくるのです。
「うちの子分を泣かせるとはどういうこった? 出てこいや、直接相手してやる」
といった具合です。
表に出てきているものとは別に、本当に困っているのは何の欲なのか、いちど確かめてみる必要がありました。
お腹が空いていると思っていても、私の場合、話をしてしまえば満足できているケースが非常に多いことがわかったのです。
ストレスの原因を見極め、自分の気分がよくなる条件を、再現性のあるパターンで処理する。
これが、気分よく生きるために大事なことなのだと、身を持って知ったのです。
東京で過ごしたあの異常な冬の日々は、もう昔のこと。今、私のいる福岡は、もつ鍋に、焼き鳥、ラーメンと、美味しい食べ物の香りが街を漂います。でももう、よく噛みもせず、味も分からず、ただ衝動的に食欲に身を任せることはありません。
こうして今、幸せに食べ物を食べることのできている状態って、やっぱり、いい。そして、あの出来事がなければ、胸のモヤモヤの正体に、気づくこともなかったのかもしれません。
そう考えると、あのエイリアンの襲来も、今となってはよかったんだな。
もつ鍋を食べながら、店の窓の向こうに、あの冬の出来事をぼんやりと思うのでした。
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