チーム天狼院

上海で見つけた、汚さと光と。≪弥咲のむしめがね≫


誰かに連れ出して欲しかったんだと思う。

毎日大学と下宿の行き来では、どうしても息がつまってしまう。

だから、「ねえ、上海行かない?」って友人に誘われたときには、二つ返事で「行く」と答えた。海外に行くお金なんてないのに。でも、久しぶりに連絡をとってくれた友人は、白馬の王子様みたく私を薄汚い下宿から引き出してくれる救世主のように思えた。

その時の私は、半年ばかり手をかけていた研究が思うようにいかず、めちゃくちゃ落ち込んでいた。所詮、社会は数字の世界だ。「わたし、毎日深夜まで残ってこんなに頑張りました!」とアピールしても、誰も「すごいねえ」と言ってくれない。努力したかどうかが重要なんじゃなくて、結果が出せているかが問題なのだ。「頑張ってダメだったなら、それでいいじゃない。自分を認めなよ」と同僚は言ってくれたけど、それで自分を肯定できるほど私は強くなかった。だって、半年間が無駄になったんだよ!? わたしの大切な半年間がっ!!! 「うん、また次から頑張るわー」とは簡単に言えなかった。

 

 

土埃の舞う空港に降り立ったときは、ここがどこなのかさっぱり分からなかった。見渡す限り乾燥した地面が広がっていて、申し訳程度に飛行機が置かれていた。上海の空港はあまりになにもなくて、地平線が見えた。

 

私は上海どころか中国に行くのも初めてだったのだが、異国に対するイメージは良くなかった。インチキ商品が出回っているだとか、人が親切じゃないとか、街が汚いとか、そういうマイナスなものばかりだった。

日本で抱いていたイメージは、上海に来ても変わらなかった。

インチキ商品ばかりだし、人はすぐに怒鳴ってくるし、街はごみだらけだった。

それに加えて、そこら中に洗濯物がかけられているし、川の水は真っ黒だった。

 

 

汚い。ただただ汚い。

私はこんなのを見に来たかったんじゃない。まあ、非日常感は味わえるけど。

おどおどしながら食べ物を買い、他人の洗濯物を見に来たわけじゃない。

気分転換として上海は適切じゃなかったな、と反省した。欲張らずに日本の温泉とかにしとけばよかった、と心から後悔した。

 

でも、そんな後悔は夜を迎えると消え去った。

暗闇の中にそびえたつビルたちが、まばゆい光を放ち、夜空に燦然と輝いていた。

 

わあ! こんなの日本じゃ見られない! すごいよ、上海!!

私は気づけば叫んでいたし、夜景の美しさに間違いなく興奮していた。冗談抜きで、こんなにスケールの大きい夜景を見たことがなかった。

そして、私に足りていなかったのは、この夜景を見ることなのだ、と思った。

癒されたいとか、美しいものを見たいとか、そういう意味じゃない。単純に、ただ単純に、この上海の夜景が私の足りないものを象徴しすぎていると思ったのだ。

 

 

そもそも上海は汚い。

経済大国になったって、その恩恵を受けるのは一部の人であって、一般人は汚い生活のままなのだ。

道を一本外れると、狭くて暗い路地が現れる。そこでは人がところせましと住んでいて、その様子はまさに必死だ。自国が反映しているとか、経済的に豊かだとか、そういうことよりも、今日の夜はなにを食べようかと思い悩む。向かいの家が困っていたら、そっと手を差し伸べる。空いた時間は家の外に出て、近所の人と談笑する。与えられた毎日を、懸命に生きる。それだけ。

 

 

上海の裏道で見たそれらの光景は、きっと上海だけに限らない。日本でも同じだ。でも、日本で暮らしていると、ちょっと見えにくい。

私はお金持ちでもなんでもないし、ビジネスを成功させたわけでも、誰かの役に立っていると胸を張れる自信もない。一生懸命過ごしていたら、あっという間に一日が終わっていた。感じることはそれくらい。

 

影と光は表裏一体だ。影にいるときに、いかに光を感じていられるかどうか、が大事なのだ。

上海は、路地の片隅から空を見上げると、巨大なビルが見える。雲を引き裂きそうに高いビルだ。その光景は、そこにいる人たちの生活とあまりにもかけ離れている。でも、それがいい! 常に見上げれば、光を感じられる。もしかしたら、激しく憎悪を感じるかもしれない。でも、これほどまでに現実を直視できる機会はないと思う。

 

きっと、私に足りなかったものは、光を見る行為だ。

大切なのは、落ち込んだとき、つらいとき、逃げ出したいときに、自分を責めたりくよくよしたりするんじゃなくて、自分にとっての光を見続けることなのだと思う。自分のずっと先にある光だけを頼りに突き進むことが、まっとうな生き方なんじゃないだろうか。

今は泥臭くても、貧しくても、不安でもいい。混沌とした中に身を置いていても、光を意識して生活できるかが大事なんだ。

 

上海に行ったことで、今まで自分が過ごしてきた時間が、より一層愛しく思えた。

さて、いまからなにをしようかな。


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