チーム天狼院

女を振るにもルールってものがあるだろ、バカ《川代ノート》


*この記事はフィクションです

 

「好き」の残骸が、まだあちらこちらに散らばっていた。とても寒い冬の夜だった。マンションの廊下から漏れる光で、薄ぼんやりと部屋の中が照らされているのが嫌で、ドアを閉める。蛍光灯の光の線が細くなって、そして消えていった。そのまま背中を玄関扉に預ける。はあ、とため息をついてしばらくもたれかかったまま、真っ暗な部屋の中でじっとしていた。

なんでだめになっちゃったんだろう、と思った。私、そんなに悪い子だったかな? そんなに嫌な女だったかな? 彼と一緒に過ごした自分の態度を振り返った。でも何も思い当たらなかった。自分がいけないことをした記憶なんかない。

「好きじゃなくなった」と突然、本当に突然言われた。今日。ついさっき。驚いた。普通にいつも通り、仕事終わりにデートをした。小洒落た少し高めのレストランで食事をして、近況を話し合って。あの子、結婚したらしいよ、とか、今度行ってみたいお店があるんだけど、とか、普通の話。カップルなら誰でもするようなありふれた話だ。彼も楽しそうにしていた。何か違うといえば、笑い方くらい。いつも笑うとできるくしゃりとした目尻のしわが、今日は見当たらなかった。疲れているのだろうか、と私は思った。でも違った。

その流れで「別れよう」だなんて、反則だと思った。だって彼は何の予告も出していなかったのだ。別れるつもりなら、何らかの予告を打ってくるのが礼儀ってもんじゃないの? だってそうでしょう。なんで普通に、いつも通りに「じゃ、池袋でね!」なんてライン、送ってくるの。なんで普通に、私が教えて「いいなそれ、俺も使う」って言って買ったスタンプ、送ってくるの。なんで普通に、私があげたマフラー、つけてきてるの?
別れるつもりでくるなら、ちゃんとジャブ打っとけよ、バカ。じゃないと、傷つく度合いが何倍にも膨れちゃうんだよ。本当にきついんだよ。3年付き合った彼氏に振られる女の気持ちも、考えてよ。

ぶるり、と背筋が震えた。このままずっと玄関にいても仕方ないと、観念して電気をつける。うわあ、と思った。私の部屋は、「彼のことが好きな私」であふれていた。キッチンには、彼が最初に泊まりに来たときに置いていったタオル。記念日に買ったマグカップ。青と赤の歯ブラシ。リビングは、「シンプルな部屋が好み」と言った彼に合わせて模様替えをしていた。白を基調とした、シンプルだけれど、女の子らしい部屋。彼が前に買って置いたままだったスポーツ雑誌が、私が毎月買っている「sweet」に紛れて本棚に刺さっていた。

何も聞こえないしんとした空気の中で一人じっとしているのが嫌で、テレビをつける。ちょうどサッカーの試合がやっていた。ぼおっと画面を眺める。あー、もう、だめだよ、がんばれ、そっちそっち。無意識に自分が好きな選手を目で追いかけていると、はっとした。ああ、そうだ、もうサッカーなんてチェックしなくてもいいんだ。「今日の試合観てる?」っていきなり電話してくる人なんか、もういないんだから。もともと別に好きじゃない。選手の名前にも興味はないし、ルールだって全く知らなかった。でも彼が好きだから、知らない間に覚えてしまったのだ。

なんだかむしゃくしゃして、テレビの電源を切った。音楽をつけようかと思ってiPhoneのライブラリを眺めていたら、ほとんど彼に教えてもらった曲だった。もう何をしても、どう行動しても、「好き」の残骸が追いかけてくる。はあ、と深くため息をついてベッドに寝っ転がると、彼の匂いがした。最悪、とつぶやいて、目をとじる。

何がだめだったんだろう、と私は思った。あんなことって、本当にあるんだ。さっき自分の身に起きたことが現実とは思えなくて、頭が真っ白になっていた。なんだったんだろう、あれは。夢か何かだったんじゃないの?

「なんかいきなり、好きじゃなくなった。ごめん。理由はわからない」

彼は真面目な顔でそう言った。レストランで食後のコーヒーを飲んでいるときだった。

「……え?」
「いや、どうしてかはわかんねーんだけど、ごめん。お前のこと、好きじゃなくなった。だから、別れてほしい」
「……」

驚いてしばらく、声が出なかった。嘘でしょ、と言おうとして、やめた。彼は嘘をつくような人間じゃない。嘘がつけない性格なのだ。うまく感情をコントロールできなくて、すぐ顔に出る。そういうところが好きだったのに、今日ばかりは、うまく嘘もつけない不器用さが、憎らしくて仕方なかった。

彼は固まって何も言わない私に追い討ちをかけるように、続けた。お前のことはずっと好きだった。結婚も考えていた。仕事が忙しい自分をずっと支えてくれたこと、本当に感謝している。でもどうしてかわからないけれど、急に「好き」の感情が消えてしまったのだと、彼は言った。私には意味がわからなかった。だってそれまで私たちは三年間、本当に仲良くやっていたのだ。お互いの家に行き来し、両親への挨拶もすませていた。結婚ももうすぐだろうと思っていた。なのに。

「好きじゃなくなったって、でも、この前は普通に楽しくしてたじゃん。別に喧嘩とかしたわけでもないし」

喉の奥から絞り出すように、声を出した。それが精一杯だった。彼は何も言わなかった。ただ、目にかかった前髪を意味もなくいじっていた。答えを探そうとして、見つけられずにいるように見えた。

「もしかして、他に好きな子ができたの?」

思い当たることなんて、それくらいだった。それならそうだと認めて欲しかった。自分以外に好きな子が出来たと言われれば、諦めもつくし、納得もできる。仕事で忙しくて浮気なんてする暇はないと思っていたけれど、顔の広い彼のことだ。仕事関係や知り合いの紹介で、気になる子ができたのかもしれない。
信じられない状況に、とにかく私は動揺していた。自分がきちんと自分を納得させられる理由がほしかった。意味もなく振られただなんて、思いたくなかった。

「……ごめん。本当に理由はないんだ」

彼はもう一度、ごめん、と頭を下げた。俺にもよくわからないんだ。好きだった気持ちが、今朝起きたらいきなり消滅してたんだ。会ってみたら元どおりになるかなと思ったけど、やっぱり何も戻らなかった。

「好き」って気持ちが消滅した、なんて。
そんな理不尽な理由で、私、振られるの?
二十代の一番いい時期を投資した恋愛が、こんなあっけなく終わっちゃうの? こんなの、女子会のネタにすらならないんですけど。

うう、とくぐもった声が喉の奥から漏れた。ベッドの布団にくるまって顔を埋める。もう仕事なんか知るか。今日は気がすむまで泣いてやる。
今日、レストランで話をしたときも、バイバイと言って駅で別れるときも、涙は出なかった。泣いてすがろうという気にもなれなかった。自分の身に起こった出来事は、揺るがすことができないことなのだと、直感的にわかった。わかってしまった。もちろん、認めたくなんかなかったけれど。

一度泣くのを許してしまうと、洪水のように涙が溢れてきた。嗚咽をあげて私は泣いた。息を吸うのも辛かった。もう何もしたくないと思った。辛い、辛い、ただただひたすらに、辛い。考えられるのはそれだけだった。ただ辛いという感情だけが、喉の奥から、目の裏側から溢れてきて、嗚咽や涙という形になって流れてきているような気がした。

何がいけなかったんだろう。私の何が。何がだめで、どこで間違ったんだろう。どうしたら、彼が失った「好き」の気持ちは、戻ってくる? 私の部屋にこんなに散らばってる「好き」をかき集めて、それを彼に渡せば元どおりになる? どうしたら。どうすれば。

この辛さをどうすることもできなくて、スマホで意味もなく「彼氏 復縁」「彼氏 好きじゃなくなった」「振られたとき 曲」などで検索しては、虚しくなってやめた。でももちろん目がさえてとても眠ることなんてできそうになかったし、ぼーっとスマホをいじるしか方法はなかった。

ふと、久しぶりにFacebookを開いた。タイムラインに、懐かしい顔があった。大学の頃の元彼だった。
白い紙を女の子と一緒に持って、幸せそうに笑っている写真。ああ、結婚したんだ、と私は思った。とても優しい彼だった。彼とも、3年近く付き合っていたと思う。私に尽くしてくれて、いろいろな場所に連れて行ってくれて、とても大切にしてくれた人だった。
奥さんは、特別美人というわけではないけれど、可愛らしい雰囲気の人だった。眉も目も鼻も口も、顔の全部のパーツがとろけてしまいそうな笑い方をする子だった。お似合いだな、と私は思って、「いいね!」を押した。

そこで、はっとした。
あ、私今、何も思わなかった。
嫉妬とか焦りとか、ああやっぱり彼と別れなければよかったとか、そんなことはちっとも思わなかった。思わないどころか、よかったね、おめでとう、と彼を祝う気持ちしか浮かばなかった。どうしたんだろう。元彼の結婚なんて、知ったらものすごく嫌な気持ちになるものだと思い込んでいたのに。しかも、彼氏に振られたこのタイミングなのに。

でも。
でも……そういえば。
私も元彼と別れたのは、「好き」が消滅したからだった。
とても優しくて、愛してくれて、彼と一緒にいられればずっと幸せでいられるだろうと思って付き合ってきたけれど、でも、ある日突然、「好き」が消えてしまったのだ。前触れもなく。
彼のことを見ても何も思わなくて、大切にしたいという気持ちも浮かんでこなくて、「好き」が完全に消え失せた対象と一緒にいるのに耐えられなくて、別れたのだ。

そうだ、私にも起こったことだ。理不尽だと思っていたけれど、私も同じ振り方をしたことがあったのだ。
一体、あれはなんだったんだろう。
「好き」がなくなるって、いったいどういうことなんだろう。
目に見えれば楽なのに、と思った。ちゃんと今の「好き」が形に表れて、どんな形で、どんな重さか、図れればいいのに。そうしたら、そこら辺に散らばっている「好き」もちりとりでまとめて、ゴミ箱に捨てちゃうのに。

 

 

次の日、何もする気が起きなくて会社を休んだ。
部屋の中に閉じこもって、ひたすらベッドで寝ていた。
ベッドからはまだほのかに彼の香りがしていた。それにくるまっていると、彼に抱きしめられたときのことを思い出した。不安になったとき、仕事に疲れたとき、彼はいつもぎゅっと私を抱きしめ、背中を撫でてくれていた。私が心底安心する瞬間だった。

それが、あのぬくもりがもう二度と手に入らないのだと思うと、心臓の奥が鈍く痛んだ。血管がぎゅっと誰かに握られているような気持ちの悪さだった。彼との3年間を思い出し、彼の好きだったところを数えては泣いた。泣いて、泣いて、泣きまくった。目がパンパンに腫れて奥二重の目が一重になっていた。もともと細いのに、勘弁してよと思った。でも、もうそんなのどうでもいいや。別に、化粧しても、綺麗に着飾っても見せる相手はもういないんだし。

暇で仕方がないので、ずっとテレビを見ていた。ワイドショーを見た。昼ドラを見た。韓国ドラマを見た。夕方のニュース番組を見た。バラエティ番組を見た。刑事もののドラマを見た。何も思わなかった。そもそも、サッカーの試合と同じで、私は別にテレビ番組なんか好きじゃないのだ。ただ他にやることがないから見ているだけで。

ため息をついてテレビの電源を消したとき、あ、と思った。これって、いや、もしかして。
彼も、私も、「好き」がいきなり消滅したって思ってたけど、別にこれって。
別にもともと好きじゃなかっただけなのかもしれない。他に別れる理由が、見当たらなかっただけで。
昔の記憶が蘇ってきた。そうだ。私だってそうだった。
別に、元彼にそこまでの興味はなかった。ただ向こうから結構アピールしてきたから、他に付き合わない理由もないし、付き合っただけ。そうして一緒にいるうちに結構居心地がよくなってきたから、そのまま3年くらい、一緒にいたけれど。

でも、本当は、もっとずっとはじめから、答えは出ていたのかもしれない。
彼もきっと、同じだった。「好き」なんてどこにも生まれていなかったのだ。はじめから。
なんとなくだましだましで付き合って、平凡な幸せを追い求めていたら、なんとなくここまできてしまった。
ただ、とくに付き合わない理由も別れる理由もなかったから、付き合っていた。それだけ。
テレビと同じ。いつもの習慣でなんとなくずっとテレビつけっぱなしにしてたけど、あれ、そもそもこれって見たい番組だったっけ?
夜になってやっとそれに気づいて電源消してみる、みたいな。
私と彼にとっては「新鮮さ」という魔法が切れてしまう期限がちょうど3年だった。それだけのことだったのかもしれない。

あっけないな、と思った。不思議と涙は止まっていた。
「好き」なんて消えるどころか、はじめからどこにも、生まれていなかったのだ。
ただ一方的に私の「好き」を押し付けて、受け入れてもらっていただけ。一方通行の恋だった。

だった、けど。
私は顔をあげて、部屋の中を見渡した。青い彼専用の歯ブラシ。男物のTシャツ。雑誌。アルバム。手紙。借りたCD。彼が褒めてくれたピアス。彼と一緒に寝たベッド。
この部屋の中にはまだ、「好き」が溢れていた。

それを見ているといてもたってもいられなくなって、衝動的にゴミ箱に捨てた。全部、全部捨てていった。彼の名残が少しでもあるものは全部、ビニールのゴミ袋に入れた。手をひたすらに動かした。私は無心でものを捨てていた。ベッドはさすがに無理だったから、シーツと布団カバーを無理やりはがして捨てた。冷蔵庫の中に入っていた、来週うちに来た時に作ろうと思っていたハンバーグの材料も捨てた。歯ブラシももちろん捨てた。全部全部、捨てていった。

はあ、と気がつくと、ゴミ袋5個分がたまっていた。重かった。
部屋の中は、ほとんど生活感がなくなっていた。自分の生活のほとんどを彼が占めていたのだと、物理的な量を見てはじめて気がついた。

そのゴミ袋を見て、どうしよう、と思った。
どうしたらいいんだろう。

「それでも私、彼のこと好きになってよかった!」なんて綺麗事、到底思えなかった。こんなに辛いのなら、はじめから好きにならなければよかったと思った。好きになる前の自分を止めたいとすら思った。

「うまく、いかないもんだなあ」

そう口に出して、ゴミ袋に向かって言ってみた。ゴミは返事をしてくれなかった。でも続けた。

「3年付き合った彼女を振るなら、もっと適当な嘘、つけよ。好きな女が出来たとか、結婚する気がないとか、諦めのつくいい感じの嘘くらい、つけるようになれよ」

素直でバカ正直で、下手にとりつくろったりできない人だった。まっすぐで、熱くて、優しくて。
ずっと好きじゃなかったのかもしれない、なんて。
私の3年間って、なんだったんだろう。

「あたしの好きを半分、分けてあげられればよかったのに」

これだけいっぱいあるんだから、うまいこと半分こして、シェアできればよかった。

無駄な恋なんかない、って言うけれど。
自分のことを本当は好きじゃなかった人に費やした私の3年間は、無駄じゃなかったとどうやったら言えるのだろうか。

「どう考えても、無駄じゃん……」

何も生み出さない恋だった。
学びもない、気づきもない、成長もない。ネタにすらならない。
ただただ虚しいだけの、振られ方だった。

こんなことって、あるんだ。

重いゴミ袋をかかえて、玄関に向かう。
ゴミ庫があるタイプのマンションでよかった、と思った。集荷日までずっとこいつらと一緒に過ごさないといけないなんて、ちょっと耐えられそうにない。

捨てよう。全部、全部全部、捨てちゃおう。
さよなら私の恋、なんてかっこいいことは言えないけれど。絶対これを捨てたからといって吹っ切れるわけないし、明日になってもまだ、泣き続けてると思うけど。

でも、今日だけは、とことんダサいことをしてみたかった。
いかにも失恋しましたみたいな、バカなことをしてみたかった。あとで思い返して、虚しくなるようなことを。

本当に虚しい恋愛だったから、それにふさわしく、虚しい行動をとりたくなったのかもしれない。

ドアを薄く開けると、月明かりが覗いた。肌寒い空気が部屋の中に入ってくる。
重いゴミ袋を無理やり両手に抱えて外に出る。

がさり、というビニールがこすれる音が、やけに耳についた。

寒い冬の夜だった。

 

 

 

 

 

*この記事は、人生を変える「ライティング・ゼミ《ライトコース》」講師でもあるライターの川代が書いたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになると、一般の方でも記事を寄稿していただき、編集部のOKが出ればWEB天狼院書店の記事として掲載することができます。

http://tenro-in.com/zemi/47103

 

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
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2018-02-11 | Posted in チーム天狼院, 川代ノート, 記事

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