僕が天狼院を作った本当の理由〜夢の地平を拓くということ〜《映画・演劇『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件』チケット発売開始》
「しかし、おまえがいる店は、必ず潰れるよな」
はるか昔、とあるつまらない飲み会で、とあるつまらない友人が嘲るようにそう言って笑った。
僕も笑うしかなかった。
事実だったからだ。
学生時代から、フリーター時代を通して、僕がアルバイトで入った店が5軒潰れている。
僕がアルバイトをした場所の数は8軒だったから、クラッシュ率62.5%というとてつもない数字になる。
「疫病神なんじゃねえの!」
と、煙草の煙に目を細めて見せながら、そいつは、あ、失礼、その友人は周りを誘いこむように笑って、周りはそれに呼応して笑った。
僕は非合理的なことは信じないし、興味がない。
けれども、疫病神と言われると少なくとも気分がいいわけがない。
それに確かに、そう言われても仕方がないほどに、僕がアルバイトで入った店は潰れている、潰れている、見事に潰れている。
なぜなんだろうかと考えてみた。
理由は明白だった。
僕にはその時は小説家になるという夢があった。その夢が最も大事で、その夢を優先させるために、楽なバイトだけを狙い撃ちで探していたのだ。
時給900円の居酒屋とかのバイトではなく、750円の楽なバイトを選んだ。
暇な時間がある方が、その時間を使って、小説の構想を練られるだろうと考えていた。
それだから、決められた仕事を誰よりも早く終わらせて、どのバイトでも暇な時間を確保し、そこで小さなメモに小説の構成や構想を書き続けた。
つまり、今考えてみると、僕は無意識に「時間を盗める場所」にいたということだ。
盗んだ時間を僕は夢に費やしてきたことになる。
翻って考えるに、僕が疫病神なのではなく、僕が無意識に見い出していた「時間を盗める場所」となってしまった企業や店舗こそが、もっともつぶれやすい傾向にあるということだろう。
当時の僕は、小説家になるために、1日6時間ほどを費やし、平均して原稿用紙40枚分の小説を書いていた。
そこが本分であり、およそ8時間ほどのバイトの時間は、自分を生物的に生かすための、いわゆる「ライスワーク」の時間でしかなかった。
できれば、その8時間も、小説に関連することに費やしたかったのだけども、その当時の僕にはツテも強かさもバイタリティもなく、生きるためにはそうするしかなかった。
バイトをして、たとえばお客様や社員に虐げられるようなことを言われた時も、
「僕は本当はこんなところにいるべきではない。すぐにデビューして見下してやる」
と、ポジティブではなるけどネガティブな妄想に日々取り憑かれていた。
夢を抱いてそれに向かっているということが、大人になることへのある種のモラトリアム(執行猶予)になっていた。
夢を抱いてそれに向かっていることだけが、他者と比較したときに自分の存在価値を自覚させてくれた。
けれども、どこかで「時間泥棒」の僕は引け目を感じていたのだろうと思う。
自分の生き方を、潔くないものだとどこかで確かに感じていたのだろうと思う。
夢を錦の御旗としていれば、「時間泥棒」をしても、一所懸命に働いている人をたとえ見下したとしても、一向に構わないと思っていた。
つまり、当時も僕はモラトリアムの中にあって、まるで死刑を待つ死刑囚のように、鬱々としていたのだろうと思う。
常に、言い訳をしていた。
「今はだめでも、夢が叶えば、必ず借りは返す」
「小説家になれば、見下していた人たちも、僕を誉れとして思ってくれるにちがいない」
「時間泥棒をしても、夢さえかなえれば、理解してくれるに違いない」
他でもない、僕は自分自身に言い訳しながら生きていた。
そもそも、僕が小説家になりたいと思ったのは、どうしても小説を書きたいからではなかった。
正直言うと、小説家になるか、あるいはラーメン屋を開くかで大いに迷っていた時期があった。
僕が欲しかったのは、まとまった額のお金だった。
小説家になれば、たとえば当時江戸川乱歩賞なら、賞金が1,000万円もらえる上に印税で1,000万円が加算され、一夜にして2,000万円を手にすることができた。
また、ラーメン屋でうまくいけば、そのレシピをコピーするだけでチェーン店ができて、働かずしてお金が入ってくると考えた。
そのお金で僕が何をやりたかったといえば、南の島でのんびり遊ぶことでもラスベガスで豪遊することでもなかった。
若い人の夢を支援したいと考えていた。
今思えば、実に奇妙なことだが、若くてひたすらに金も実績もない当時の僕は、大まじめに若い人の支援をしようと考えていたのだ。
天狼院をオープンして、こう聞かれることが多くなった。
「三浦さんは、なぜ、あえて儲からないことに全力を注ぐのですか? もっと儲かる仕事で稼ぐことだってできるはずでしょう?」
別に、僕はあえて儲からないことに全力を注いでいるつもりはない。
本屋だって、雑誌だって、本気で儲かると思ってやっている。
たしかにイージーではなく、僕が請け負っていた他のライティングや営業戦略に比べれば、はるかに儲からない。
本当のところ、天狼院に注いでいる力の半分を、そういった仕事に回したほうが僕と僕の会社ははるかに裕福になるのはわかっている。
なのに、なぜ、僕は他の人が儲からないと思うことに挑戦するのか?
絶え間なく、挑戦し続けるのか?
実は、それを冷静に考えたことがなかった。
けれども、振り返ってみると、書店、雑誌、劇団とてんでバラバラのことを適当にやり散らかしているように見えて、無意識的に、しっかりと筋を通ったことをしていることに気づいた。
若い自分にバイト先で「時間泥棒」をしていたときから、僕は少しも変わっていなかったのだ。
僕は、若い人の夢を支援したいと考えて、天狼院を作った。
若い人の夢を支援するために、まず、僕がその場を広げるために挑戦を続けているだけなのだ。
小説家を生み出したいと思って、Web天狼院書店や雑誌『READING LIFE』で川代紗生や三宅香帆に小説を書かせている。そして、川代を編集長にすえてデジタルマガジン『週刊READING LIFE』を創刊した。
女優や演出を志す、本山由美や石神悠紀やそのほか若い人の活躍の場を広げるために、劇団天狼院を作った。
そして、今回、天狼院は映画を作る。
映画は総合芸術だ。
これがうまくいけば、女優や俳優陣だけでない。
原作を書く小説家志望の人、脚本家志望の人の夢を後押しすることになり、音楽を志す人に活躍の場を提供することになり、カメラマンを志す人に、映画を製作したい人に、チャンスを届けることができようになる。
それは、僕が若い時分から、専一にやりたかったことだ。
「なぜ、あえて儲からないことに全力を注ぐのか?」
その問いに、今答えたいと思う。
それは、人には儲からなくともやらなければならないことがあるからだ。
僕にとってそれは、生涯を賭してやらなければならないことだからだ。
「時間泥棒」になるのは僕ひとりで十分だ。
夢を追う人々が、自らの夢に全力で挑める場を僕は拓きたい。
これが僕の覚悟である。
2015年3月22日、僕が仲間たちと命がけで拓いた夢の地平を、ぜひ、皆様にもご覧いただきたい。
豊島公会堂で、僕と一緒に、新たな「夢を養う場」の誕生を目撃していただきたい。
そして、はるか遠い未来に、あなたの大切な人や子孫に、私はあの始まりをこの目で見たと誇らしく語っていただきたい。
3月22日、豊島公会堂にて、皆様のご来場をお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
2015年2月14日
映画『世界で一番美しい死体〜天狼院殺人事件〜』監督
劇団天狼院主宰
三浦崇典
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