なぜ人は終わる時に気づくのだろう、自分が幸せだったことに。
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:田中望美(チーム天狼院)
あなたに、会えて、本当に、良かった
嬉しくて、嬉しくて、こと、ばに、できない
ふと気がつくと口ずさんでいた。
目頭の奥の方がむず痒い。
「本当に申し訳ないですっ……」
ここは仕事場だ。
しかも、続々とお客さんがやってくる。
当然、私は接客をしなければならない。
なのに、心が折れそうで涙が出てくる。
こんなところで泣くなんて、ダメだ。
他のお客さんに心配されるだろうし、不快に思う人もいるかもしれない。
お客さんは何も悪くないのだ。
悪いのは全てお店側の私。
私に問題があったという事実は変わらない。
ポロポロとこぼれる涙を拭って、
目が少し赤くなってるかもしれないと悔やみながら、
いつものように、明るく接客をした。
その場を乗り切った。
受付という仕事は、簡単だろうか? 楽しいだろうか? 退屈だろうか? ストレスを受けやすいだろうか?
人と接する窓口。
お店の顔。
一番最初に会話をする人で、お店の印象はプラスにもマイナスにもなる。
店主に言われた。
「ここにくるお客様はみんな、あなたに会いにきているのだよ」
勤務しはじめた頃に言われた時、この意味がよく分からなかった。
だって、お客様はこの店に、ヨガをしにきているのだから。
私に会いにきているわけがない。お客様は、リラックスしたい、痩せたい、綺麗になりたい、仕事にしたいなど、それぞれの動機があってここに来ている。
誰でもいいと言っているわけではないが、普通に仕事をしていれば別に私じゃなくても、お客様はここに来る。必ず。だってヨガがしたいのだから。
店主の言葉に、私はそう思っていた。
でも、ある時、店主の言葉が理解できた。
今考えても、胸が苦しくなる経験をさせていただいたからだ。
私が勤務していたヨガスタジオは、25名が定員だった。その日は予約の人数も多く、直前に電話で予約をされる方、予約せずにくる方、ネット経由で予約される方の対応に追われていた。そういう時に限って、新規のお客様のご案内やイレギュラーな対応が重なり、私はアップアップしていた。
この場を1人で回さなければならないのだ。
インストラクターの先生も手伝ってくださったが、この場を知るのは私だけである。
手続きの仕方、チケットの場所、料金システム。業務内容を知っていて、この場をうまく回していくのが私の仕事である。
インストラクターの先生は、文字通り、ヨガのレッスンを提供することが仕事で、事務や雑用をすることが仕事ではない。
「もうマットないよ」
えっ。
一気に冷や汗が出てきた。
目の前の対応にさえ、気が回らなくなった。
既に原因は分かっていた。
私の記録ミスだ。
電話で予約したお客様をリストに入力していなかった。
それで、1人お客様がレッスンを受けられないことになってしまったのだ。
そんな事態に陥っていることなど全く知らないお客様が、
レッスンのはじまるギリギリに来店した。
私は言葉を失っていた。
どうしよう。どうしよう。
そんなことを考えるうちに、他のお客様から質問が来る。焦りながらも、何とか対応する。
そのお客様が目の前にきた。
「すっ、すっ、すみません。申し訳ございません。只今満杯になってしまいました……」
「えっ、空いてないんですか? 空いてるんじゃなかったんですか?」
「本当にすみません。私のミスです」
「あの〜すみません、お水ください」
「ありがとうございました、また来ます」
その日の受付はごった返していた。
私は1度に沢山のお客様の対応に追われて、結局まともな対応ができずに、レッスンに入ることのできなかったお客様を返してしまった。
本当に最悪な対応だ。
私は怖くなった。
自分の力不足による未熟さを受け止めたくなかった。
過ちを無かったことにしたかった。
でも、できやしない。
それからというもの、とてもビクビクしながら接客をした。
ミスは上司に報告した。
少し呆れられた。
当たり前だ。
信用も失っただろう。
自分の責任だ。
反省して、次に活かさなきゃ。
私は肝に銘じて、ビクビクしながらも、仕事に向かった。ハタから見たら、笑顔で接客する若者に映っていることを願って。
今までよりもしっかりとチェックするようになった。
分からないことが少しでもあれば、確認をとるようにした。
できないことはできないと、しっかり言えるようにした。
なーなーになっていた色んなところに気を張った。
常連のお客様だから、許してくれるだろう。
そんな甘い考えがあったのだ。だから私はミスをしたし、その後の対応も最悪だった。
その後、そのお客様と微妙な雰囲気になった。私もできれば顔を合わせたく無かったし、でも、受付だからそんなことできないし。そんなことより、そのお客様の方が私と会いたくないだろう。
わざわざ予約をとってやって来たというのに、とんぼ帰りしなければならなかったのだ。オマケに受付の対応は悪い。
楽しみに、癒されに来たのに、イライラ、ガッカリして帰ったに違いない。
そんな仕打ちをした私に会いたいはずはないのだ。
事実、そのお客様はその後来なくなった。予約は入っているのに、来ないのだ。いわゆる無キャン。
その経緯を知る先生は、嫌がらせかな? 気にすることないよとフォローしてくれた。
でも、気にならないはずがない。
大丈夫です。ありがとうございます。と言いながらも、心が鬱々としていた。
何でこんなにダメなんだ。
数日後、やっとそのお客様が来店された時、私はお客様を見た瞬間に涙が出て来そうになった。ぐっと堪え、いつものように対応をした。
するといつものほんわかとした印象とは打って変わって、厳しい口調で彼女はこう言った。
「私は遊びに来てるんじゃないんです。ちゃんとお金を払ってここに来ているんです。それなのにレッスンには入れず、ロクな対応もしてもらえず、このお店らしくないですね。なんだかガッカリです」
とても心が痛かった。
最もだ。本当にその通りだ。申し訳ない気持ちであふれているのに、その申し訳ないと思っている自分が、彼女に酷い仕打ちをしたのだ。こんな自分が嫌だった。何にもできない自分を目の当たりにするのが苦しかった。もっとうまくやりたいのに。もっと出来た人間になりたいのに。
その日は、泣きながら仕事をした。止めようと思っても、もう止めることができなかった。こんなに自分を責めたことはなかった。
もちろん自分だけが悪いわけではないのかもしれない。でも、私じゃなかったら、しっかりと対応できて、こんなミスもなく、いつものように素敵な時間を提供できていたかもしれない。不快な思いなどしなくてよかったかもしれないのだ。私じゃなければ。
私は後日、お詫びの手紙とお菓子を彼女に用意した。私ができることはこれくらいである。2度と同じ失敗を繰り返さないことを肝に銘じて、彼女にもう一度お詫びを言った。なぜこんなことになってしまったのか、これからはどう対策していくのか。勇気を振り絞って、彼女と向き合い続けた。
「こんにちは~」
「いってらっしゃいませ~」
「お疲れ様でした」
少しずつ、前のように会話できるようになった。レッスンもいつものように定期的に受講してくださるようになった。
こういうことだったのか。
店主の、
お客様はあなたに会いにここに来るという意味は。
私がきちんとしていなければ、お客様はヨガを受けたくても、来なくなる。逆に私がきちんと仕事ができ、信用されて入れば、お客様はどんどんレッスンを受けに来てくれる。
私はこの経験から、
痛いほどこの言葉の意味を知らされた。
そんな矢先である。
あるお客様の靴のロッカーが紛失した。
彼女は、とても態度が悪かった。
マナーも守らず、注意をすると「うるさい」と怒鳴るような人だった。
そんな彼女の靴箱のロッカーの鍵が
紛失した。
案の定、彼女はキレた。
心無い酷いことをたくさん言われた。
他人にこんなぼろくそ言われたのは初めてだった。
その時既に他のお客様はおらず、彼女と私の一対一だった。
絶望的な沈黙が続く。
どこを探しても見当たらないい。
彼女は自分のバックの中身すら確認しようとしない。
こちら側が無くしたと決めつけているのだ。
また、私はもうどうすればいいのか頭が回らなくなった。緊張で震えた。誰かに助けを求めようと他のスタッフやオーナーに電話した。
怒鳴られながらも、ようやくスペアキーを見つけ出し、鍵を開けることができた。その日も朝から晩まで働いた後で、疲れ切っていた。何だかもう「無」だ。悲しくとも何ともない。だけど、事が無事解決した瞬間、心の緊張がほどけて、何かがプツッと切れたように涙がでてきた。なんで私がこんな目に合うんだ。どんなことでもしっかりとした対応の出来る人になりたいのに、慌てふためいてしまい、全くだ。泣いても誰も励ましてはくれない。それに、こんなことでヘタレるなんてかっこ悪い。一人泣きながら帰った。帰宅してケータイを見ると、先輩スタッフが心配してメールをくれていた。私はやっぱりまだまだ弱い。先輩に今日あったことを吐き出した。優しい言葉をくれて、それでいて、あっさりと大丈夫だと言ってくれる先輩に私は救われた。この話を聞いた職場の人たちは、会うたびに心配してくれた。優しさと気遣いに感謝だ。でも、自分の未熟さが招いたこの事件。もし、もっと私がしっかりと冷静さを保てていれば、あるいはほかのスタッフだったなら、大きな事態にならずに解決していたかもしれないのだ。ひどい客だね、とスタッフの方々は私の味方になってくれたけれど、私はあの時そのお客様から言われた言葉が図星すぎて相当なダメージを食らった。その言葉だけはお客様の言うとおりだったのだ。
「へらへら笑ってごまかすな」
そう。私は、あの時、笑っていたのだ。
パニックでどうしようもなくなると、人は相手からの攻撃を受けないように笑顔を見せる。防衛としての笑顔であり、誤魔化すための笑顔だ。
私は、スペアキーをなくしてイライラして言う彼女を目前にして、機嫌を損ねないようにと、引きつりながらも笑顔で対応した。それが逆に彼女の癪に障ったようだ。こっちは真剣に困っているのに、何でお前は笑ってるんだ、と。
私は怖くて、さらに笑った。すみませんと、顔を引きつらせて笑った。笑っちゃダメなのにと思えば思うほど、笑顔でごまかすことから抜けられなくなった。
本当にダメダメな対応だ。
そんなこんなあって、いろいろやらかしたし、注意を受けたし、でもできるとその分励まされたり、褒められることもあった。何より、お客様や職場の方々と仲を深められることが嬉しかった。人と人のつながりはこうやって地道に繋いでいくものなのだと知った。出来ないならできないなりに、悔しがってめげることなく働いた。それくらいしかできなかったから。
失敗を重ね、苦しい思いをしても、それでも続けていき、すこしずつできることが増えゆく。その場所に居心地の良さを感じるということは、多くの学びがあり、自分にとって成長の場であるということだ。
昨日、私はその職場のラスト勤務だった。迷惑をかけたお客様も、いつも私を娘のように温かく接してくださっていたお客様も、これから別の目標に向かっていく私に、ありがとうと頑張ってねの言葉をくれた。別れを惜しんでくれた。ここでの縁を切りたくないからと、連絡先を交換したりもした。たくさんのお客様が、未熟な私を我が子のように見守ってくれていたことに、今更ながら強く感じた日だった。
だから私は最後の最後まで、お客様に笑顔で、きびきびと対応した。もう、あの頃のダメダメで嫌な自分に戻りたくなんてない。こうやって見守ってくれて、助けてくれる人に少しでもいいから私にできることをして、恩返しがしたい。その一心だった。こんな風に思える所で働けていたことに、最後の勤務日に気がついたのだ。今更気がつくなんて、私はやっぱりまだまだだ。
全てのお客様が笑顔で店をでてゆき、私はこの店に一人になった。静まり返った店内。一人黙々と戸締りをしていく。そしてカギを締める。誰もいなくなった店内をみて急に寂しくなった。さっきまで、
短い間でしたが、お世話になりました。ありがとうございましたと、
口々に言い、本日の主役になった気分だったのに。
荷物を抱えて、夜道を歩き出す。車が時々、バーッと通り過ぎる。ふと気がつけば口ずさんでいた。
あなたに、会えて、本当に、良かった
嬉しくて、嬉しくて、こと、ばに、できない
なんだ、私本当にこの職場が大好きだったんだな。
楽しいことばかりではなかったけれど、いろいろあったけれど、心の奥底ではこんな風に思っていたんだと、冷たい外気とは裏腹に、温かい気持ちが体中に充満した。
どうしてだろう。人は終わるときになって初めて気がつく。自分がとても幸せだったということに。
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