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チーム天狼院

思うようにことばを伝えられないと感じているあなたへ~もし、ヒトに取り扱い説明書がついていたら~《ありさのスケッチブック》


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あーーもう。今日のあれは、ないわー。
終電を待つわたしは、イライラしていた。
イライラの原因は、今日の会話。

会話の内容が面白くなかったとか馬鹿にされたとかそういうわけじゃない。
会話のなかで自分が相手に返したリアクションに納得がいかなかった。
あんなに面白い話をしてくれたのに。すごく興味深く思っていたのに。
興奮しながら話してくれたあの人に、わたしが返したことば。
「そうなんだー!」
「すごいー!」
「なるほどー!」
この三つだけ。ああ、なんて話しがいのない相手だと思われているだろうか。

極め付けはこれだ。
話の最後に、「ね、すごいでしょ?」と言われてわたしは何と答えたか。
「うん!」
いや、うん、じゃないから。なんでこんなことしか言えないの。
心の中のわたしは、言葉の出ない自分を責める。
だがしかし、それ以上ことばが続かない。
相手もこれ以上話は膨らまないと思ったのか、他の人と話し始めた。
わたしはそそくさとその場を離れた。逃げ出したかった。
向こうで、盛り上がっている会話が聞こえる。

ああ、なんでだろう。
わたしは、なんでこんなにも会話が下手なんだろう。
なんてリアクション音痴なんだろう。
なんで、なんで、なんで……

自分に問いかけたって、わからなかった。
何がそうさせているのかもわからないから。
そういう自分だと認識して今まで生きているから。

そう、わたしは後でこんなにぐーるぐる考えてしまうくらい、口下手なのだ。

考えてみれば、わたしはずっと前から自分が思ったことを上手く伝えられない、と思っていた。
深く残された記憶は、小学校2年生の頃のこと。

わたしは、クラスメイトの前に、立たされていた。
わたしを見る、56個の目。
そして、横から見る先生の目。
日直のわたしに課された課題があった。
それを、この場でアウトプットすることを求められていた。

わたしに課された課題、それは「何か自由に話す」ということだった。
それは、当時のわたしにとってどうにもならないくらいの難題だった。

わたしは全員の視線を痛いほど感じながら、
昨日仕込んだ話を話そうとした。
そして、口を開いた。

「今日は、○月○日です。天気は、晴れです。夜になると寒くなるそうです。暖かくしなさいと言われて、服を2枚重ねにしてきました。今日はなわとび大会があるので頑張ってたくさん跳びたいと思います」

よし!これで、終わり。なあんだ、簡単じゃないか。

……なんてことは、起きなかった。
わたしは相変わらず口をきつくむすんだまま、その場に立っていた。
ますます教室が静かになっていた。
先生のいらだった感情を、幼いながらに感じた。
わたしはお母さんが持たせてくれた「話すことメモ」を強く、握りしめた。

先生が、はあ、とため息をついた。
「しゃべらないと、席にもどれませんよ」
そんなことを言った。

わたしはより一層動けなくなった。
そして、渇ききった喉の奥からかすかな声で、切り札を出した。

「特に、ありません」

先生は、はあああああ、とさらに深いため息を吐いた。
そして、投げやりに
「戻りなさい」と言った。

わたしは、言われるがまま席に戻った。
席を戻る途中、誰とも目を合わせたくなくて、下を向いて歩いた。
こんなのもできないのかよ、と思っているに違いないと思っていたから。
席に座ったわたしはそうっと手を開いた。
手のひらの中のしわしわになった「話すことメモ」。
わたしは、泣きそうになるのをぐっとこらえ、うつむいていた。

……今日は、このメモもあったのに。
わたしは、今日も切り札を使ってしまった。
わたしがこの手を使ったのは初めてではない。
こんな手を使わなくてもクラスメイトは話せてしまう。
土日に遊びに行ったはなし、飼っているペットのはなし、もらったプレゼントのはなし……

一方でわたしは、直前まで完璧に話せているイメージが湧いているのに、
どうしても「ナニカジユウニハナス」ということができなかった。
わたしは、できないことが痛いほどわかっていた。
その痛みを増幅させたのは、先ほどのような先生の態度だった。
怒鳴り散らされたりはしない。
しかし、あきれたような目を向けられる。
励ましてくれることなんかない。
ただただ、やりなさい、と冷たい声をかけられる。
そして、やっぱりできないのね、とため息をつかれる。

この出来事がわたしの根幹に、
「わたしは思ったことを上手く伝えることができない」という思いを植え付けた。
思ったことをことばにするのがこわくて、口を閉ざすことが多くなった。

それでも勇気を振り絞って、一生懸命喋ってもこう言われてしまっていた。
「で、それってどういうことなの?」
「どういう意味かわかんない」
悪意のないことばだとわかっているからこそ、わたしの口はさらに重くなった。

ことばを発することに対しての恐れの影響は、文章にも出た。
レポートを書けば、自分でもいやになるくらい訳の分からない文章になった。
作文を書けば、だらだらと長く、本当に言いたいことを隠すような文章を書いていた。
回りくどい言い方をするくせが、文章に出たせいである。

わたしには、話すことでも、書くことでも、「ことば」は操れない。
そうわたしは悟った。

しかしながら、どうしても操れないということを認めたくなかった。

出来ないことが分かっていても、「ことば」というものが好きだから。
幼いころから週に10冊もの小説を読んでいた。
小学校で物語を書いたときは想像をかたちにできる作業に夢中になった。
自信のないわたしに、希望の光を見せてくれる、先生の一言があった。

でも、自分にはどうもできなかった。
悔しかった。悲しかった。苦しかった。
こんなにも好きなのに、どうして上手くいかないんだろう。
長い間そう思い続けていた。

そんなわたしに転機が訪れた。
大学一年生。秋学期。
学部の専門科目の授業でのことだった。

論理思考を学ぶ授業だった。
わたしはシラバスを見た時、直観的にこれだ、と思ったのである。
論理思考は理路整然としていて、すっきりものごとを伝えられるイメージがあったから。
この能力を身に着ければきっとわたしも思うようにことばを伝えられるはず、そう思った。

この授業はまさにわたしの大改造計画だった。
あんなにことばを発することがこわかったわたしが、いつしか「文章を書くのが得意です!」と自信を持って言えるようになったのだから。

たったひとつの視点を押さえるだけでよかったのだ。
わたしがものごとを伝える時に、忘れていたことは何か。

ことばを発信するときは、「相手ありき」である、ということ。
この文章を読んで、相手はどう思っているだろうか。
この言葉を発することで、相手はどう思うだろうか。
どうしたら、すぐに理解できるだろうか。

そういう視点が、私には欠けていた。
だから自分が思いついた順番にことばを並べるような文章の書き方や喋り方をしていた。
完全にわたしのエゴだった。

自分はどういう目的でことばを発信しているのか、ということでさえも押さえられていなかった。
そのことに気づいたわたしはひたすら授業の中で試行錯誤した。
受講するにとどまらず、次の年にはそのクラスの運営をしてさらに文章力を磨いた。
そして今も、このクラスの発展バージョンのクラスの運営をしている。

やっと、わたしは「思ったことを上手く伝えることができない」のではない、ということがわかった。
「思ったことを上手く伝えるのには時間がかかる」だけだったのだ。

小学校のころわたしは確かにどんなに仕込んできても話すことができなかった。
しかし、いつの間にか私は成長していた。
時間をかければ、しっかり自分の思いが伝えられるようになれたのだ。

わたしは「わたしは主に“書くことで”ことばを操れる」と言えるようになった。
一方で、話す方は未だに上手くいかないし、話しかけられてすぐに返せない。
自分がリアクションを返せなくてイライラしてしまうのは、
「話しことばを思うようにあやつれない」というよりも、
「もう少し時間があればわたしにもできるのに」と思ってしまうからだろう。
できないのではなく、納得するレベルのことばにできなかっただけなのだ。

話の面白さをわかっていないわけではない。
リアクションができないわけじゃない。
素直になれないわけじゃない。
何も考えていないわけではない。
そう、伝えたいのにすぐに表現できない自分がいるのである。

だから。
思っていたことを、家に帰ってから事細かに日記を書く。
伝えられなかった感謝のことばを、手紙やメールに書く。
もやもやして言語化できずにいた思いをこうやって記事にする。

わたしが文章ばかり書いてしまう理由。
一番自分が納得できるかたちで的確に、素直に思ったことを伝えられるからだろう。

もし、話をするとき次の言葉を返すのが10秒後、なんてルールがあったら。
きっと、わたしは話し上手なはずだ。
そんな都合のよいルールがある世界をわたしは想像してしまうのであった。

もし、あの有名歌手が歌うようにヒトに取扱証明書がついていたら。
その項目にひとつに、「ことば」という欄があったら。

話すことが好きなひとなら、「話しを聞いてあげてください」
書くことが好きなひとなら「文章を書かせてみてください」
こんな風に書いてあるだろう。

もし、わたしの取り扱い説明書があって、「ことば」欄があったらなんて書いてあるだろうか。
「文章を書かせてみてください」は、あるだろう。
そしてきっとこれもあるはずだ。
「パフォーマンスを向上させるために、話すまでに時間をあげてください」


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