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長いお別れ


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記事:島本智恵子(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
母が死んだ。
悲しくないわけじゃない。けれど、私があまりにも落ち込んでなくて周囲がびっくりするくらいには平気である。
 
私は冷たいのであろうか? 10年住んだ東京から佐賀に帰って来た頃、
「ちえこは東京に行ってから冷たくなって帰ってきた」と母に言わしめたくらいには、
冷たくなっているのかもしれない。が、そうではない気がする。ではなぜだ?
 
うちの家族は、険悪な家族だったのか?
振り返ってみるが、ごく一般的な家族だったと思う。父と母がいて、私がいて3歳下の弟がいる。母は、私よりも弟の方を可愛がっていたように記憶している。が、幼い頃の記憶は、まぁ、あんまり当てにならないのではないか? とも思うので、自分の記憶半分で考えたとしても、やはり弟の方が、気にかけて貰えていたように思う。毎日の学校の準備は、私は自分でやったけれど、弟は、母がやっていたし、喧嘩して怒られるのは、いつも私だった。
 
一方、父は私に甘かったように思う。
小学生の頃は、習い事の帰りにセブンイレブンでコーラフロートを買って貰うことが楽しみだった。弟にも母にも内緒のコーラフロート。(本当に内緒だったかは不明である)今でも、コーラの中に入っていた氷についたモカアイスの味を覚えてる。
自分が子育てして思ったのだが、下の子が生まれると上の子がところてん方式で父の方に追いやられる。これはもう必然的にそうなる。抱っこおっぱいおむつの繰り返しの赤ちゃんがいるのだから、もうこれは仕方がない。それを考えると、弟が生まれたのをきっかけに私は、お父さんっ子になり、父は私に甘くなったのでは? と思っている。と言うことは、私がお父さんっ子だったことが原因なのか? いや、それも一つの要因ではあるかもしれないが、きっとそれだけじゃない。
 
本当に、たくさんの要因が重なり合っているとは思うが、1番大きな要因は、母が認知症を患っていたことだと思う。
母は、66歳の時に認知症と診断された。当時、東京に住んでいた私は、上の娘を里帰り出産後、東京に戻っていた。その頃から、少し様子がおかしいことがあり、里帰り中に一緒に心療内科を受診したけれど、その時は「老人性の鬱」と診断された。その後も、処方された薬の服用を忘れたり、支払ったはずの税金の受領書を無くしたり、あるはずの通帳が無くなったり、弟から母の様子を聞く度に、「老人性の鬱じゃない気がするな」と思っていた。結局、母は認知症と診断され、私はその後、佐賀に家族で引っ越すことになり、母の認知症発症から13年、母の介護をすることになった。
 
最初のうちは、夕飯を作って貰ったり、洗濯をして貰ったり、娘とも遊んで貰っていて、側から見ると一般的な三世代同居の家族だった思う。けれど、認知症の進行と共に日常は、段々と変化していく。
母の場合は、進行スピードが比較的緩やかな方だったと思うが、それでも年単位で少しずつやれることは減っていった。財布の管理が出来なくなり、通帳の管理も出来なくなる。ゆうちょの通帳には、再発行の回数が6回目だと分かる数字が並んでた。そんな風だから、車の運転はもちろん難しいし、料理の味もおかしくなっていく。部屋の掃除も億劫なのか、やらなくなるし、お風呂に入らない日も増えていく。庭仕事が大好きだったはずなのに、段々と庭の手入れが行き届かなくなり、庭にも出なくなっていった。四季折々の季節の花が咲き、春にはさやえんどう、夏にはきゅうり、秋には茄子、冬には大根。季節ごとの野菜が実っていた畑も、草が生えまくっていった。そうやって、この13年の間、私は、母が色々なことをやれなくなっていく時間を共有していた。
保育園の行事で、元気なおじいちゃんおばあちゃんを見ると「なんで母は認知症なんだろうか?」と答えのない問いが頭の中に浮かんできた。
バイト先で、レジにいると、孫と買い物にきたおばあちゃんに出会う。その度に、「あぁ、もう母は、こうやって孫と買い物に行くことも出来ないし、その姿を私が見ることも出来ないんだなぁ」と仕事をしながら泣きそうになったことが、何度も何度もある。娘と買い物する姿を、娘と笑いながら会話している姿を想像してしまって、「もう本当に無理なんだなぁ」と、勝手に悲しくなって凹んだこともある。
なんで母なんだろうか、22歳の時に大好きだった父が亡くなって、母しかいないのに。なんで母は認知症になったんだろうか? と何度も考えた。この問いには、答えはないと分かっているけど、この悲しさを感じなければならない理由が、答えが、どこかにあったらいいな。と思ってた。
そうやって私は、何年もかけて、母の体はここに存在しているが、母という存在が段々居なくなる。ということを痛感し続けて来たのだ。
だからきっと、母が亡くなったことが悲しくないのだ。いや、悲しくないわけではないが、喪失感と言う意味では、母が生きている間に、何度も何度も感じていたから、母の言動が母でなくなっていくことを何度も目の当たりにして来たから、母という肉体が無くなったことよりも、母の心みたいなものが無くなっていくことの方が何倍も悲しかったから、肉体が亡くなったことの悲しさが、思ったより大きくないのかもしれない。
 
まだ母が施設でお世話になっていた頃、ある映画を観た。認知症の母を看取った今、自分の介護生活を振り返って、改めて思うのは、その映画のタイトルの通りだな。と言うこと。
その映画は、「長いお別れ」アメリカで認知症を形容する時に「Long Goodbye」と言うらしい。
私と母は、13年という長い時間をかけて、ゆっくりゆっくりお別れをしていたんだと思う。
少しずつ小さく細やかに、私は、母を失う悲しみを感じながら癒して来たのだと思う。
 
 
 
 
***
 
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